扉を閉ざしたままの愛
夏目よる (夜)
第1話 雪の夜の図書館
十二月の東京は、例年より早く雪が降り出した。
午後六時の鐘が鳴り響くと、藤川柚希は図書館で仕上げの本整理を終えた。指先が冷たい書籍の背表紙を滑り、紙の質感が指腹を撫でる——それは人の体温よりも穏やかで、言葉の温もりよりも長く続く、彼女のなじみ深い触感だった。
「柚希ちゃん、一緒におでん食べに行かない?新宿のあの店、大根がめちゃくちゃ柔らかくて最高だよ!」向こうのカウンターから、水野紗織の明るい声が響く。首に巻いたマフラーのピンクの毛玉が動きに合わせてゆらゆらし、踊る飴玉のようだった。
柚希は首を振り、整理した本を台車に積み込む。「だめ、家に帰って猫に餌をあげなきゃ。」
「またその言い訳!」紗織が不満そうに顔をしかめ、彼女の腕に指をつける。「君の家のススケ、明明自分で餌箱を開けられるくせに、ただ人と一緒にいるのが嫌なだけでしょ?」
柚希の手の動きが一瞬止まる。振り返ることもなく、「雪が強くなってきたから、早く帰った方が安全よ」と答えた。
紗織は彼女の背中を見てため息をつく。藤川柚希は透明な氷の殻に包まれた人だ。人混みの中にいても、いつも届かないガラス越しのような距離感がある。三年間同僚として働いてきたが、紗織は彼女が誰かと親しくなる姿を見たことがないし、心から暖かい笑顔を見せる瞬間も、一度もなかった。
台車を図書館の裏口まで押して行くと、雪片はもう鵞毛のように大きくなり、肩に降り積もった雪がすぐに溶けて、さっと冷たい湿り気を残した。柚希はマフラーを引き上げ、顔の半分を柔らかい羊毛の中に埋め込み、ポケットに入れた鍵に指先が触れる。金属の冷たさが少しだけ心を落ち着かせてくれた。
彼女の住むアパートは図書館から三つ目の駅の古い町並みにある。おばあさんが残してくれた家で、小さな庭が付いていて、冬の庭の桜の木は葉を落とした枝だけが突き刺さり、空を仰ぐ枯れた手のようだった。
町の角を曲がった瞬間、柚希は足を止めた。
街灯の光の輪の中に、一人の男性が立っていた。濃い茶色のコートを着て背が高く、頭を下げてスマホを見ている。雪が髪の毛と肩に積もり、薄い一層になっていた。足音に気づいて彼が顔を上げると、視線が柚希とぶつかった。
穏やかな瞳だった。雪解けた黒曜石のようで、少しの驚きと、言い表せない懐かしさが混ざっている。
柚希の心臓が突然握り締められるように痛んだ。
柏木蒼だ。
高校時代、彼女の斜め後ろの席に座っていた少年。朝の読書の時間にこっそり彼女を見ていて、雨の日に彼女が傘を忘れたとき、傘を渡してはすぐに走って行ってしまった、あの柏木蒼だ。
もうこの顔も、陽だまりに包まれたような高校時代の日々も忘れたと思っていたのに、今、記憶は雪水に浸かった紙のように、曖昧だった輪郭が突然鮮明に浮かび上がってきた。
「藤川さん?」柏木蒼が先に声をかけた。高校時代より少し低く沈んだ声で、確かめるような口調だった。
柚希は台車の取っ手を握り締め、指節が青白くなる。振り返って逃げ出したい、彼を認識しないふりをしたい、また自分の殻の中に閉じこもりたい。だが足は雪の中に釘付けになり、動かなかった。
「久しぶり。」柏木蒼が二、三步近づいてきて、雪の上に足跡を残す。「ここで会うとは思わなかった。」
彼の視線が彼女の顔に一瞬とどまり、それから先に移り、彼女の後ろの図書館の方を見た。「ここで働いてるの?」
「うん。」柚希は喉から一字を絞り出し、声はサンドペーパーで擦られたように渇いていた。
雪が降り積もる音と、二人の少し気まずい沈黙だけが空気に満ちていた。柏木蒼は彼女の遠慮を察したように、口元の笑みが薄れるが、それでも穏やかな口調を保った。「弟がこの近くの塾に通ってるんだ、迎えに来て待ってるところだ。」
彼は近くの塾の看板を指す。柚希はその指の方向を見るが、目に入るのは霞んだネオンの光だけだった。
「雪がひどいから、早く帰りなさい。」柚希はやっと話しかける理由を見つけ、台車を押して歩き始める。
「藤川さん。」柏木蒼が彼女を呼び止めた。
柚希の足は止まったが、振り返らなかった。
「君は……」彼は言葉を選ぶように一瞬頓挫してから、続けた。「この間、大丈夫だった?」
大丈夫だったのか?
柚希は問いかけたくなった。どんな様子なら大丈夫と言えるのだろう?毎日往復するだけの日々を送り、本と猫だけを頼りに、近づいてくる誰もを門の外に追い払っている今の自分は、それで大丈夫なのだろうか?
彼女は口元を引っ張って笑おうとしたが、顔の筋肉が硬直して、かすかで無愛想な返事しか出なかった。「大丈夫だよ。」
言い終えたら、もう立ち止まることもなく、台車を押して雪の幕の中に急いで歩み込んだ。コートの裾が雪を掻き分け、浅い跡を残すが、すぐに新しい雪に埋められてしまった。
柏木蒼は街灯の下に立ち、彼女の背中が路地の奥に消えていくのを見つめていた。雪片が睫毛に降り積もり、水滴に溶けた。彼はスマホを取り出してロックを解除すると、待ち受け画面には建築設計図が表示されていた。アルバムを開くと、高校時代の集合写真が保存されていた——写真の藤川柚希は桜の木の下に立ち、本を手にしていて、横顔の輪郭が陽光で柔らかく描かれ、今のような冷たさはまったくなかった。
彼はため息をつき、指先で画面の人影を優しく撫でた。
十年が経った。彼女は依然として自分を門の中に閉じ込め、一筋のすき間も残そうとしない。
そして彼は、彼女に会った瞬間、高校時代に言い出せなかった告白と、雪に吹き飛ばされた「好きだ」という言葉を、また思い出してしまったのだ。
雪はまだ降り続ける。柏木蒼はスマホを取り出し、弟にメッセージを送った。【十分くらい待ってて、少し用事がある。】
彼は振り返り、柚希が消えた路地に向かって歩き始めた。足取りは確かで、十年間塵にまみれた扉に向かい、閉ざされた錠を開けようとするかのようだった。
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