【パイロット版】断れない魔導学者の俺が唯一素でいられる場所は、幼馴染の道具屋だった
久野真一
第1話 聴講者の顔をして研究集会に参加しようとしたけど無理だった
魔法は、天から授かる神秘じゃない。
理論があり、実験があり、再現性がある。
誰かが編み出した術式を、別の誰かが検証し、改良し、体系化する。
その繰り返しで、魔導学という学問は発展してきた。
おかげで今や、魔法は社会の隅々まで浸透している。
街灯を灯すのも、水を浄化するのも、荷馬車を動かすのも、全部魔導術式だ。
便利な世の中になった。
ただし、一つだけ厄介な問題がある。
術式は、暴走する。
構築の不備、魔力の過負荷、外的要因による干渉――理由は様々だが、一度暴走が始まると手がつけられない。術式は術者の制御を離れ、周囲の魔力を際限なく吸い上げて膨張していく。炎の術式なら大火災、風の術式なら竜巻、そして複合術式ともなれば、街一つが消し飛ぶこともある。
五年前のヴェルデン暴走事件では、アカデミー郊外の研究施設が吹き飛んだ。死者十二名、重軽傷者五十名以上。あの日の轟音と悲鳴は、今でも夢に出る。
あの時、暴走を止めたのが俺だった。
俺、レイ・クロスフェルトが編み出した「切断理論」で。
切断理論の基本テーゼは単純だ。
術式が動き続けるためには、魔力の供給が必要になる。だから、供給経路を遮断すれば、術式は停止する。水路を塞げば水車が止まるのと同じ理屈だ。
ただし、「理屈」と「実践」の間には深い溝がある。
魔力の経路は目に見えない。
暴走術式は刻一刻と形を変える。
しかも、魔力というのは厄介な性質を持っている。ほとんどの物質を素通りするのだ。壁を作っても、盾を構えても、魔力は平気で貫通する。だから、「経路を塞ぐ」と言っても、具体的にどうやって塞ぐのか、誰にもわからなかった。
俺がやったのは、二つのことだ。
一つは、「どこを切れば止まるか」を定式化したこと。
暴走術式の構造を解析し、魔力が最も集中している経路を特定する。そこさえ断てば、術式全体が崩壊する。いわば急所を見つける理論だ。
もう一つは、「何で切るか」を見つけたこと。
魔力を通さない物質だ。存在自体は昔から知られていた。ただ、誰も注目していなかった。魔力を通さないということは、魔法が使えないということだ。魔導学の世界では「役立たず」の烙印を押されていた。
俺はその「役立たず」を、刃の形に加工した。
暴走術式の急所に、魔力不導体の刃を打ち込む。
魔力の経路が物理的に切断される。
術式は供給を断たれ、崩壊する。
これが「切断理論」だ。
理論と実践を繋いだ、暴走対処の第三の選択肢。
それまでの対処法は二つしかなかった。
一つは、術式が自然に消耗するまで待つこと。
被害は甚大になるが、安全ではある。
もう一つは、より強力な術式で上書きすること。
成功すれば暴走は止まるが、失敗すれば二重暴走を引き起こす。賭けだ。
切断理論は、暴走を「止める」のではなく「断つ」。
外科手術のように、正確に、安全に。
二十歳の俺が、まだ未完成だったこの理論を実践で証明してみせた時、学術都市アルカニアは騒然となった。
「若き天才」「安全の守護者」「切断理論の英雄」。
望んでもいない称号が、次々と俺に降り積もった。
それから五年。
俺は今日も、「善意」という名の重圧に押し潰されそうになっている。
◇◇◇◇
研究集会というのは、魔導学者にとって避けては通れない行事だ。
理論の発表、審査、禁呪の規格策定、事故調査、共同研究の調整――名目は様々だが、要するに「顔を出せ」ということらしい。年に数十回は開催される。多い月だと週に二回。
俺は今日も研究集会の会場に足を運んでいた。
ただし、審査員としてではない。
一般聴講者として、だ。
(今日くらいは、静かに話を聞いて帰りたい)
そう願いながら、受付で聴講者用のバッジを受け取ろうとした。
その時だった。
「クロスフェルト先生。何聴講者の顔してるんですか」
背後から声がかかる。
振り返ると、運営委員の腕章をつけた若い研究者が、呆れたような顔で立っていた。名前は確か……思い出せない。顔は見たことがある。たぶん、去年の集会で一度話した。
「……いや、今日は審査の予定は入ってないはずだけど」
「急遽お願いしたいんですよ」
やっぱりか。
「第三セッションの審査員が体調不良で欠席になりまして。テーマが術式制御なんです。お手数おかけしますが、先生に代わりを務めていただければ」
「他に適任者がいるんじゃないか? ベルント教授とか」
「ベルント教授は第一セッションで登壇されてます。それに……」
運営委員は少し言いにくそうに続けた。
「切断理論の発展形がテーマなんです。創始者の先生に審査していただいた方が、発表者も納得するかと」
創始者。
その言葉が、重い。
俺が切断理論を作ったのは事実だ。でも、それは俺一人の功績じゃない。先行研究があり、協力者がいて、何より運が良かった。魔力不導体の加工技術だって、ミナの父親――月光堂の先代店主に教わったものだ。
でも、世間はそうは見ない。
「クロスフェルト先生が作った」「クロスフェルト先生が止めた」「クロスフェルト先生なら間違いない」。
そういう「像」が、俺の意思とは関係なく出来上がっている。
「えっと、俺、今日は……」
「お願いします。先生がいないと審査が成り立たないんです」
運営委員は俺の腕を掴んだ。
逃がさないとばかりに。
(……断れない)
俺の悪い癖だ。
「仕方ない」と思った瞬間、口が勝手に動いてしまう。
「……わかった。やるよ」
「ありがとうございます!では、審査員席へどうぞ」
こうして俺は、今日も「善意」に押し流されていくのだった。
◇◇◇◇
審査員席というのは、壇上の最前列にある。
発表者と向かい合う形で座らされるから、居眠りなんてできない。
隣に座った中年の審査員――顔は知っているが名前が出てこない――が、小声で話しかけてきた。
「クロスフェルト先生、お久しぶりです。今日もよろしくお願いします」
「ああ、よろしく」
「しかし、先生も大変ですな。どこの集会に行っても引っ張りだこで」
苦笑するしかない。
「正直、たまには静かに聴講だけしたいんですけどね」
「ははは、贅沢な悩みですな。私なんぞ、声がかかるだけでもありがたい」
そういうものなのだろうか。
俺にはよくわからない。
第三セッションが始まった。
テーマは「術式制御における新理論」。俺の切断理論を応用した研究が中心だ。
最初の発表者が壇上に立つ。緊張した面持ちで資料を魔道具で投影し出した。
「えー、本日は『切断理論における境界条件の拡張』についてご報告いたします」
切断理論の「境界条件」。
これは、術式のどこを切断するかを決める基準のことだ。
暴走術式は複雑だ。魔力の経路が一本だけということは、まずない。幹があり、枝があり、それらが絡み合っている。全部を切る必要はない。幹を断てば、枝は勝手に枯れる。
問題は、どれが「幹」なのかを、瞬時に判断しなければならないことだ。暴走術式は刻一刻と変化する。悠長に計算している暇はない。
俺が編み出した境界条件は、その判断を定式化したものだ。魔力の流量、密度、変動率。この三つの変数を測定すれば、切断すべき「幹」が特定できる。
この発表者は、その変数を四つに拡張しようとしている。
着眼点は悪くない。ただ……。
(この式だと、特定のパターンで破綻する)
俺は黙ってメモを取った。質疑応答で指摘しよう。
発表が終わり、質疑応答の時間になった。
「三枚目に戻ってもらえますか」
俺が口を開くと、会場がしんと静まった。
発表者の顔が強張る。
「境界条件の拡張式なんですが、第四変数に時間微分を入れていますよね。これだと、振動型の暴走パターンで符号が反転します。つまり、切断点が真逆に出る」
「え……」
「具体的には、波動術式の暴走時にこの式を適用すると、幹ではなく枝を切断することになります。枝を切っても術式は止まらない。むしろ、切断部から魔力が漏出して、暴走が加速する可能性がある」
発表者の顔が青くなった。
会場がざわつく。
隣の審査員が感心したように呟いた。
「さすがですな、先生。一目で見抜かれるとは」
別に見抜いたわけじゃない。俺自身、同じ失敗を昔やったことがあるだけだ。
「あ、いや、基本的な発想は良いと思います」
慌ててフォローを入れる。
「時間微分を入れるアイデア自体は有効です。ただ、符号の扱いに一工夫必要で……具体的には、ここに絶対値を入れて、さらに位相補正項を加えれば、振動型でも安定します。修正すれば、十分に論文として成立しますよ」
発表者は「ありがとうございます」と頭を下げた。
顔色は戻らなかったけど、少しだけ表情が和らいだように見えた。
(はあ……)
こういうのが、地味に疲れる。
俺が何か言うと、会場の空気が変わる。「創始者のお墨付き」か「創始者のダメ出し」か、そのどちらかとして受け取られてしまう。
普通に議論がしたいだけなのに。
◇◇◇◇
二人目、三人目と発表が続く。
俺は質問をしたり、しなかったり。
頭の中では、早く終わらないかとそればかり考えていた。
四人目の発表者が壇上に立った時、俺は少しだけ目を見開いた。
金髪のショートカット。空色の瞳。背筋がピンと伸びた、活発そうな少女。
ユイ・アストレア。
アカデミーの一年目。十九歳。俺に弟子入りを志願している子だ。
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