第7話 神様の禁忌



 アキテリアが無断でテレネスの絵を破壊した。これは神界における、最も重い禁忌の一つだった。アキテリアはすぐに拘束され、裁きを待つこととなった。


「君が勝手に絵に触れたせいで、無関係だった一枚まで壊れた。それに……九枚の絵にも“染み”のような模様が浮いてしまった。あれでは作品が台無しだよ」


 拘束されて床に膝をつくアキテリアに、ユーデンが静かに告げた。しかし、アキテリアの視線は、どこにも向けられていなかった。アキテリアの目にはあの絵しか映っていなかったのだから。


 激怒したテレネスが荒々しく歩み寄る。


「アキテリア!よくも私の絵を壊したな。私は“あの作品”と会話ができるように、何百年、何千年も悩み、計算し、手をかけたのよ!その重みを、貴方はっ!」


 テレネスにとって“作品と会話する”ことは夢そのものだった。雫を描く際、テレネスはごく少量の自らの涙を混ぜていた。多すぎれば人外の存在となり、少なすぎれば言葉を交わせない。雫が十七歳に成熟した時、やっと夢が叶うはずだったのだ。


 ――人間として存在しつつ、意思疎通ができる。その絶妙な“塩梅”を探し続けた長い年月。そしてついに、完成に近づいたはずだった。


「……だからです」


 テレネスの怒号を浴びてもなお、アキテリアは静かに迷う事なく答えた。


「テレネス様の作品は、まさに“会話”が生まれようとしていました。だからこそ……“今”壊すのが、一番美しいと感じたのです」


「……だからといって許されるとでも?貴方は狂っている。こういう事態を避けるためにあるルールがあるんです。まるでそれを忘れたようですね」


「……俺はルールより美を選んだ。それだけです」


テレネスは深く息を吐き、アキテリアを見る目を閉ざした。


「……もういい。貴方と話していても意味がない」


背を向け、テレネスはその場を去った。



――――

――


 神界に衝撃が走った。アキテリアが禁忌を犯した。その事実だけでも十分なのに、壊されたのは“創造派の傑作”。

整美の会議とは程遠い空気の中、三つの派閥が集まり、処遇を決める緊急会議が開かれた。


「では、アキテリアの対応について。まず創造派の意見を」


 ユーデンが問いかけると、テレネスは静かに立ち上がった。


「私はアキテリアの神界追放を望む。そして雫のキャンバスは修復する。砕けたガラスの破片は……一つ残らず返してもらいたい」


「承知した。では次に傍観派」


 ミラノストがゆったりと口を開いた。


「傍観派としても、テレネスの作品は美しかったし、成長の過程が楽しみでした。本来なら“作品の修復”は我々の原則に反します、が……今回はテレネスは被害者。妥当でしょう。アキテリアについては、まだまだ新参者。未熟だからルールを破ったのも仕方ないと思いますが……これは禁忌だ。追放までの必要はありませんが、何かしらの罰は与えるべきかと」


 ミラノストは腕を組んだまま、アキテリアを見た。アキテリアの持つ筆は、完全に黒くない。まだ微かに紫を帯びているのは、破壊派の神として一人前ではないという証だ。将来有望であるアキテリアを、この一件で追放するのは……アビウスにとっても痛いのではないのか?

 ミラノストはそのままアビウスに視線を移し表情を伺った。


「なるほど。では破壊派は?」


 ユーデンの声は淡々としていた。アビウスが肩をすくめる。


「監督である私の不手際は認めるよ。砕けたテレネスの作品は全て返す。修復するか捨てるかは、好きにすればいい。ただし、これだけは言わせてほしい。破壊派は“破壊の美”を求める者たちだ。けれど、破壊には多数決という制限がある。お前たち創造派や傍観派には、そんな制限はないだろう?未熟なアキ一人を切り捨てるのは……あまりに不憫じゃないかね?」


 場が一瞬静まり返った。ユーデンが軽く息を吸い、三派の意見を見渡した。


「では、絵はテレネスが修復で決まりだ。そしてキテリアの処遇だが……創造派は追放、傍観派は保留、破壊派は反対……意見は割れている。そこで提案だ。アキテリアを一時的に“人間界で学ばせる”というのはどうだろうか。神界追放の猶予期間として」


 神々がざわめいた。アキテリアは、ただ静かにその言葉を聞いていた。

 ユーデンはアキテリアをみる。……今のアキテリアはここにいても、何も変わらないだろう。それは他の神も同じ事を思っていた。


「人間の尊さを知れば、自らの欲望に溺れ絵を壊す事もなくなるだろう。創造派がそれでも物足りないと感じるなら、アキテリアの筆を半分に折ろう。能力は十分に使えない。それでどうだろうか?」


 三つの派閥は互いに顔を見合わせ、ゆっくりと頷いた。こうしてアキテリアは、処罰として“人間界で学ぶ”ことが決まった。

 会議が終わると同時に、テレネスは席を立ち、自分のアトリエへと駆け戻った。砕けたガラスの破片を机いっぱいに広げ、一つひとつ丁寧に並べていく。


 しかし……。


「……ない」


 雫の左目にあたる部分が1つ足りない。破片は全て返してもらったはずなのに何故だ?!何度も探す。


「っなんて事だ。……これでは修復出来ないではないか!」


 テレネスは両手で顔を覆い、震えた。このままでは、雫は本当に“破壊される作品”として処分されてしまう。人間でありながら会話できるように、何百年も試行錯誤を重ねてきた絵だ。失うわけにはいかなかった。


「……これだけは避けたかったのだけど……雫、君を生かす為だ」


 テレネスは自分の金色の髪を一本抜くと、穴を埋めるかのように金の刺繍を施した。それはまるで雪の結晶のような美しい刺繍だった。


 私の力が強すぎるかもしれない……。でも、この子が人間でいられるように願いながら丁寧に縫っていた。



――――

――


 一方で、会議が終わった後のアキテリアは、神々の注目の的だった。静かに見守る中、アビウスがアキテリアに近づく。


「お前の美は己よりも追求すべきものなのか?なぁ、アキ」


「アビ様……。俺は自分の美に従ったまでです」


 アビ様には色んな事を教わった。それなのに俺はアビ様の言いつけを守らず、禁忌を起こした。アビ様は失望したかもしれない……。でも、……それでも俺は、雫を壊した事に悔いは無い。


「クスッ。そうか。それこそアキテリアだな。私の目に狂いは無い」


「え?」


 アビ様の反応は意外だった。叱られると思っていたのに笑っている。それだけ言うとアビ様は去ってしまった。


 アビウスが行ったのを確認したユーデンがアキテリアに近づき、声をかけた。その声は穏やかでありながら、神界の空気を震わせるほどの威厳を帯びていた。


「アキテリア、貴方にはこれからなる人間と人間界の基礎知識だけ入れておこう。しっかりと人間と触れ合い、今後、欲望のまま作品の破壊がないとこちらが判断するまで、貴方は神の世界には戻れませんからね?それから、神である事を気付かれてはいけませんよ。知られてしまえば、しまう程貴方は能力が使えなくなります」


「……わかりました。早く送ってください」


 別に、この世界に戻れなくてもいい。皆は人間界で学べと言うけれど……俺は……もう一度あの光景をみれるのなら、もう一度雫を壊したい。人間界で。テレネス様は必ず雫を修復するだろう。早くあの子を見つけて壊しに行かないと。


「では最後に一つ。貴方も人間と同じ命ある物となります。人間は寿命じゃなくても死にますから、くれぐれもお気をつけて」


 ユーデンが筆が何もない空間に神の文字を書く。東雲色の文字が浮き出て、文字たちが光り輝きながらアキテリアに巻きついた。

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