第八章 ― 血に染まる狩り
彼らは、隊列を組んで進軍してきた。
まるで――
地獄を、
鋼と信仰の力で
洗い流せるとでも
信じているかのように。
灰色の平原を渡る
塩気を帯びた風の中、
人間の軍旗がはためく。
装甲を施した軍馬。
護符を携えた司祭。
銀に覆われた魔導士たち。
その瞳には、
憎悪が燃えていた。
そして――
軍勢の先頭に立つのは。
彼。
ヴァルリック隊長。
最初に、
アリアンヌを守ると誓った者。
最初に、
彼女を殺そうとした者。
その隣――
白き軍馬に跨り、
祝福された鋼を纏う女。
彼女。
リラ。
血を分けぬ姉妹。
パンと秘密を分かち合った存在。
決して見捨てないと誓った――
義姉。
今や彼女は、
処刑部隊を率いていた。
その瞳に宿る光は、
他の者たちと同じ。
怒り。
そして――
正義に偽装された恐怖。
アリアンヌは、
深淵の黒き城壁の上から
彼らを見下ろしていた。
生きた鎧。
炎に裂かれた外套。
地に突き立てられた剣。
――震えは、ない。
だが――
胸の奥で、
何かが叫んでいた。
『解き放て』
『裏切られたのだ』
『お前が喰われたように、
今度は――喰らえ』
悪魔の声は、
迫り来る戦の轟きと
同じほどに、明瞭だった。
だが――
アリアンヌは、
深く息を吸った。
――答えない。
戦の夜明け、
彼女は
深淵の軍勢の先頭に立った。
数千の影が、
その背に従う。
太古の姿を持つ悪魔。
魔力を宿す獣。
黒き槍。
眼に刻まれたルーン。
彼女は、
丘の頂で
馬を止めた。
――待つ。
彼らが、
彼女を見るまで。
兜はない。
盾もない。
ただ――
アリアンヌ。
堕ちた騎士。
紅の剣。
ヴァルリックが、
馬を進めた。
数歩手前で、止まる。
「……まだ、引き返せる」
「奴らに、毒されたのだ」
「――救いは、まだある」
アリアンヌは、
微笑んだ。
穏やかで。
残酷で。
――美しい笑み。
「私は――
救われた」
「あなたたちが、
私を殺そうと決めた日にな」
背後から、
リラの声が裂けた。
「あなたは、
私の姉だった!」
「……なら、なぜ
私を殺しに来た?」
「あなたが――
過ちになったからよ!」
アリアンヌの答えは、
言葉ではなかった。
剣を抜き、
前方の地に――
突き立てる。
脅しではない。
――警告。
「私は、過ちじゃない」
「私は――
答えだ」
「そして今日、
お前たちは知る」
「なぜ――
この世界には
怪物が必要なのかを」
内なる悪魔が、
飢えた咆哮を上げる。
――だが、
彼女は抑えた。
弱さではない。
選択だ。
「私は、獣にはならない」
「――裁きとなる」
戦場は――
飢えた喉のように、口を開いた。
粉塵は、
屍よりも先に舞い上がり、
魔力は、
見えぬ矢のように
空で歌った。
ルーンが爆ぜる。
赤。
白。
黄金。
空は唸り、
大地は震える。
そして――
その中心で。
アリアンヌは、舞っていた。
彼女は、叫んで率いない。
見られることで、率いた。
止まらぬ身体。
生きた剣。
影と光。
――痛みと優雅の、完全な均衡。
人間側では、
呪文が連続して放たれ、
障壁が立ち上がり、
兵士たちは祝福に守られていた。
――だが、
それでは足りない。
なぜなら――
彼女が来るからだ。
堕ちた騎士。
紅の剣。
神々は、
彼女を止める術を
誰にも教えていなかった。
アリアンヌは、
陣形の側面を切り裂き、
闇の魔力を
外科的な精度で振るった。
すべてを壊さない。
――必要なものだけを、倒す。
彼女は、
顔を見る。
見覚えのある顔。
かつての顔。
一度は、
彼女に微笑んだ者たち。
今は――
恐怖と、怒りと、
罪悪感を抱えている。
彼女は、躊躇しない。
――だが、
楽しんで殺しもしない。
確信だけで、斬る。
その時――
リラが、現れた。
銀に包まれ、
編まれた髪。
涙か、
怒りか――
溢れた眼。
彼女は、
アリアンヌへと
馬を駆った。
叫びながら。
「……まだ、覚えている?」
「冬の夜を」
「市場で盗んだパンを」
「分け合った、あの庇を」
アリアンヌは、
混沌のただ中で――
立ち止まった。
「……覚えている」
「だからこそ――
裏切られた時、
あなたを殺さなかった」
「あなたは、
私のすべてを殺した!」
「違う」
「私は――
受け入れられようと
懇願するのをやめただけ」
「そしてあなたは――
私が自由になるのを
耐えられなかった」
二人は、
刃を交えた。
剣と剣。
姉妹同然の二人。
一方は、
傷ついた光。
もう一方は、
抑えられた闇。
リラは、叫ぶ。
アリアンヌは、沈黙する。
リラは、泣く。
アリアンヌは――
耐える。
リラの一撃一撃は、
歪められた記憶。
アリアンヌの防御は、
それに応える
傷跡そのもの。
やがて――
違いは、明白になった。
リラは、
なおも証明しようとしている。
――アリアンヌが
過ちであることを。
だが、
アリアンヌは違う。
――存在するために、
戦っている。
澄んだ一回転。
アリアンヌは、
姉の武器を弾き飛ばした。
銀の剣が、
泥に落ちる。
リラは、
膝をついた。
息を荒げ、
血を流し、
――敗北して。
アリアンヌは、
刃の先を
彼女の肩に当てた。
「……私を殺したいなら」
「今日、
なぜ負けたのかを
理解してからにしなさい」
リラは、
埃と涙にまみれた顔を
上げた。
「……生かすの?」
「慈悲じゃない」
「私はもう――
あなたの死を
欲していないだけ」
「……なら、
私に何を望むの?」
アリアンヌは、
微笑んだ。
「……生きなさい」
「そして――
自分が間違っていたと
知るほど長く。」
戦場は――
制圧されていた。
人間たちは、
秩序を失い、後退する。
陣形は崩れ、
司祭は倒れ、
魔導士は逃げ惑う。
大地は、
闇のルーンに焼かれていた。
アリアンヌは、
荒い息を吐きながらも、
確かに立っていた。
血が、
額から唇へと流れる。
紅の瞳は、
なおも獲物を探す刃のように、
すべての動きを捉えている。
――その時。
ヴァルリック。
ヴァルリック隊長。
かつての指揮官。
彼女の処刑の鎖を引いた者。
鎧に“裏切り者”の印を
焼き付けた男。
彼は、
浄化陣の影から姿を現した。
銀の生きた光に浸された剣を手に。
そして――
膝をつくリラへと、
封印を投げ放った。
無防備な、
倒れた義姉へ。
「……彼女が
過ちを殺せないなら!」
ヴァルリックが叫ぶ。
「――なら、
過ちと共に死ね!!」
時が、止まった。
アリアンヌにとって、
世界は――
無音になった。
それは、
神聖にして禁断の破壊印。
完全消滅を目的とした、
許されぬ術。
――それが、
リラに迫っていた。
裏切り者かもしれない。
だが――
生きている。
まだ、人間だ。
そして――
アリアンヌは。
彼女の死を、
望まなかった。
あんな形では。
あの男の手では。
封印が、
触れようとした瞬間。
アリアンヌは――
叫んだ。
痛みでも、
怒りでもない。
――選択の叫び。
「伏せろ!」
リラは、反射的に身を伏せた。
そして――
アリアンヌは、解き放った。
すべてを。
胸の封印が、
黒き炎となって裂ける。
内なる悪魔が、
歓喜と誇りと飢えで
咆哮した。
影の角が、
こめかみを這い上がり、
血管は、
溶岩のように
皮膚の下で輝く。
そして――
翼。
そう――
今や彼女には、
翼があった。
棘と深紅の光で形成された、
破壊の翼。
彼女は――
女を超え、
戦士を超え、
伝説を超えた。
彼女は、
判決そのものとなった。
ヴァルリックは、後ずさる。
――だが、遅すぎた。
アリアンヌは、
沈黙に閉じ込められた
千年の怒りと共に、
彼に降り立つ。
剣は、
彼の手の中で砕け散る。
手は、
爪へと変わり。
数秒後――
そこに、
“人間”はなかった。
あるのは、
破片。
瓦礫。
終焉。
慈悲のための血すら、
残されていなかった。
人間の軍勢は、
逃げ惑った。
命令もなく。
名誉もなく。
信仰もなく。
そして――
膝をつくリラは。
恐怖に見開いた眼で、
アリアンヌの正体を見た。
――泣かなかった。
恐れではない。
理解だった。
遠く、
深淵の城壁の上。
ノクスは、
そのすべてを見ていた。
炎が、
琥珀の瞳に映る。
そして――
微笑んだ。
「……ようやく、だな」
「我が騎士」
「お前は、
存在するために
許しを乞うのをやめた」
その夜――
欠けゆく月の下。
森は、燃えていた。
戦の残響が、
まだ空気に残る中。
アリアンヌは、
岩の上に腰を下ろしていた。
灰にまみれ、
痛みに包まれ、
――勝利の中で。
胸の封印は、
ゆっくりと鼓動している。
完全で。
受け入れられ。
制御され。
選び取られたものとして。
彼女は、
過ちではない。
重荷でもない。
怪物でもない。
――彼女は、アリアンヌ。
紅の剣。
地獄さえも、
敬意を払うことを
選んだ存在。
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世界を焼き尽くすために生まれ変わった @Nox_Ling
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