世界を焼き尽くすために生まれ変わった
@Nox_Ling
第一章 ― 名もなき少女の死
彼女が死ぬ直前に覚えていた最後の記憶は、血の味だった。
戦場で流れる温かい血でもなければ、
噛み合う唇から滲む甘い血でもない。
それは――
金属のように冷たく、
吐瀉物と泥と絶望が混ざり合った血。
助けを求めて叫ぼうとした、喉が裂けるほどに。
だがそこは、誰も振り返らない路地裏だった。
その味は、傷ついた喉を伝って流れ落ちていった。
夜ではなかった。
昼間だった。
だからこそ、共犯だった。
車は通り過ぎ、
人々は見て、
誰一人として立ち止まらなかった。
彼女は、何かの物語の主人公ではなかった。
陰謀者に殺されたわけでもなく、
誰かのために命を捧げたわけでもない。
ただ――崩れ落ちただけ。
生きることに疲れ果てた身体。
声にならない叫びで裂けた肺。
誰にも握られることのなかった心臓。
周囲の街は、何事もなかったかのように脈打ち続けた。
アスファルトに飲み込まれる、ただの一体の身体。
新聞の七面を汚す、ただの一つの数字。
そして――沈黙。
……
だが、忘れ去られた者にとって、
死は終わりではない。
次なる災厄の始まりにすぎない。
光は見えなかった。
トンネルも、
地獄も、天国も。
ただ――冷たさだけ。
そして、
ぬめるような音。
肉が収縮するような音。
内側から、書き換えられていく感覚。
彼女は目を覚ました――
泣きながら。
だがその泣き声は奇妙だった。
高く、か細く、小さな声。
開かれた視界には、
灰色の空、揺れる葉、湿った土の匂い。
そして――
大きく、硬く、荒れた腕が、彼女を包み込んでいた。
「……赤ん坊だ……捨てられているのか?」
「かわいそうに……まだ、生まれて数日ほどだろう……」
彼女を見つけた夫婦は、質素な人々だった。
黒い土に生きる農民。
荒れた手と、この世界には不釣り合いなほど優しい目。
温かい乳を与え、
粗い布に包み、
朝露のように響く名を授けた。
――アリアンヌ(Arlianne)。
だが、アリアンヌは新しい魂ではなかった。
その脆い身体の奥で、
血の味の記憶が燃え続けていた。
そして確信していた。
この世界がどこであろうと――
弱き者を、決して赦さないのだと。
アリアンヌは、笑顔がやけに簡単に浮かぶ村で育った。
――だが、それは扉が閉まるまでの話だった。
農民たちは、持てるもので彼女を育てた。
それでも彼女は、理由も分からぬまま感じていた。
自分は、ここに属していない。
その瞳は……埃の中に埋もれた紅玉(ルビー)。
その髪は……太陽の下でもなお、灰色だった。
他の子どもたちは彼女を「化け物」と呼んだ。
裸足の足元に泥を投げつけ、
森から生まれ、ひとり泣きながら見つかった――
そんな噂話を囁いた。
だが、彼女は泣き返さなかった。
その代わりに――鍛えた。
五歳の頃、嘲笑った者たちの顔を模した藁人形を作った。
六歳で、枝を束ねて槍の形にすることを覚えた。
七歳になると、毎朝吐くまで走り続けた。
八歳で、年上の少年に決闘を挑み、
棒で鼻をへし折った。
血が泥の上に流れ落ちた。
その時、彼女は――初めて笑った。
「強くなればいい」
そう、心の中で呟いた。
――十分に強くなれれば、もう二度と消されはしない。
王国の兵士たちが、従者を探して村を訪れたとき、
養母は必死に彼女を隠そうとした。
弱い、病弱だ、役に立たない――そう言い張った。
だが、アリアンヌは姿を現した。
鍋の蓋と兎革で作った即席の鎧を身にまとい、
その場で従者に挑んだ。
獣のように――戦った。
訓練が終わった時、
彼女の腕は外れ、口は裂けていた。
そして、従者は地面に倒れ、呻いていた。
迷うことなく、彼女は選ばれた。
――まだ、十歳だった。
馬車が村を離れるとき、
村人たちは顔を歪めた。
嫉妬する者、恐れる者。
養父母は、手を振らなかった。
アリアンヌは、振り返らなかった。
十一歳で、
他の従者が持ち上げることすらできない
無垢な木製の訓練剣を軽々と扱った。
十二歳で、
模擬戦にて軍曹を打ち倒した。
十三歳になる頃には、
殴られても血を流さなくなっていた。
痛みを無視することを覚え、
空腹を無視し、
情を無視した。
貴族の前では、完璧な姿勢を保ち、
上官の前では、規律どおりに頭を下げた。
だが――
一人になると、
拳が痛むまで、何時間も刃を研ぎ続けた。
十四歳の誕生日、
彼女は正式に王国近衛見習いに任命された。
清潔な鎧と、虚ろな眼差しで首都へ向かった。
そして十七歳。
夜嵐のごとく馬を駆る姿――
翻る青い外套、
焼けた銀のように輝く黒き鎧、
腰には、身体の延長のように長剣を携えて。
人々は彼女を
「天才」と呼び、
「完璧」と讃え、
「模範」とした。
だが誰も見なかった。
その内側で、アリアンヌは
剣と沈黙で埋められた、ただの空洞だったことを。
そして――
血の味は、まだそこにあった。
喉の奥に。
誰からも忘れ去られても、
彼女だけは、忘れなかった。
任務の朝、空は赤かった。
血の色ではない――
生肉のような赤。
アリアンヌは、いつも通り正確な動きで黒い牝馬に跨っていた。
語らず、笑わず、ただ耳を傾ける。
「北の古代神殿。放棄されている。
下級魔物の掃討任務だ。」
中級位の王国近衛に与えられる、ごくありふれた任務。
だがアリアンヌにとって、それは――処罰を装った試験だった。
彼女が命令に従えるのか。
それとも、魂を持たぬ刃に過ぎないのか。
神殿は小さく、忘れ去られ、
苔むした岩と絡み合う根に埋もれていた。
扉はない。
あるのは、井戸の底のように暗い、
ひび割れた階段だけ。
アリアンヌは――一人で降りた。
他の者たちには、位置を保つよう命じた。
神殿の奥、空気は重かった。
黴、骨――
そして……
……熱せられた鉄の匂い。
崩壊寸前の構造の中で、
ただ一つ、無傷のまま残るものがあった。
それは女神ではない。
戦士でもない。
裸の女性の像。
目は布で覆われ、
指先には鉤爪。
背からは、露出した骨のような石の棘が生え、
周囲には彫刻された炎が踊っている。
そして――
像の顎から、血が滴っていた。
アリアンヌは近づいた。
何かが、彼女を引き寄せていた。
魂に掛けられた釣り針。
彼女は、その魚だった。
理解できぬまま、
像の台座に触れた。
空気を裂く音。
――ガガガガァァァ……
石が砕けた。
大地が震えた。
言葉にできぬ熱が、
胸から、腹から、背骨から――
内側から爆発した。
まるで、太陽を丸呑みしたかのように。
彼女は叫んだ。
だが、その叫びは――
彼女一人のものではなかった。
湿り、深く、太古の声が、
爪で硝子を引っ掻くように
彼女の精神を滑り降りる。
『……ついに。
お前が、ここへ連れてきた』
世界が、赤に弾けた。
アリアンヌが目を覚ました時、
周囲は瓦礫の山だった。
神殿は崩壊し、
地面は裂けていた。
仲間たちは――
怯えきっていた。
彼女は立っていた。
だが身体は震え、
肌からは蒸気が立ち昇っている。
瞳が焼けるように熱く、
鋼に映ったその色は――
生きた熾火のような赤。
純粋な魔力が、
彼女の両手から溢れていた。
不安定で、歪で、忌まわしいほどに。
一人の兵士が、剣を抜いて近づいた。
「……お前は、
もはや人間ではない」
アリアンヌには、理解できなかった。
だが――見えた。
恐怖。
嫌悪。
かつて村で見た、あの表情。
彼女は言った。
落ち着いてほしい、と。
何が起きたのか、自分でも分からない、と。
彼らは――聞かなかった。
三人が剣を抜き、
一人が封印の詠唱を始め、
もう一人が援軍を呼ぶ。
アリアンヌは……後ずさった。
だが、
内側の熱は、退かなかった。
出たがっていた。
――乾いた音。
――悲鳴。
気づいた時には、
一人の兵士が地に伏し、
黒い炎に包まれていた。
彼女は触れていない。
だが――
彼女の力が、触れた。
アリアンヌは逃げた。
振り返ることなく、
何時間も馬を走らせた。
翌日、
疲れ果て、混乱し、答えを求めて
村へ戻った時――
皆が、待っていた。
抱擁ではない。
松明を持って。
両親。
近衛の仲間。
子どもたちでさえ。
全員が――
恐怖と憎しみの目をしていた。
「怪物だ」
「憑かれている」
「これ以上殺す前に、焼け」
そして――
人生で二度目。
アリアンヌは、
金属のような血の味を感じた。
だが、今度は……
彼女の血ではなかった。
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