ヴェルヒラ物語 時計がカチリと鳴るまで

ジェーシー・ベガ

第0話 プロローグ――時計がカチリと鳴るまで

彼女は、いくつもの名で呼ばれていた。


「環の都」と――地図師と詩人たちはそう記した。

神の時計仕掛けのように同心円で組まれた構造に魅せられ、

それは建築家ではなく、時計師が設計したのではないかと思えるほど精密な都市の歯車だった。


「賢者の都」と――中環に生きる労働者たちは、憤りを含んだ声でそう囁いた。

煤けた大理石の塔の影、科学の黒煙の下で、命令と図面の間に押し込められ、

けれど彼らには決して理解できない式と設計に支配される場所。


だが、もっと下。

壊れた歯車、曇った窓、蒸気の雫が落ちる天井の下で生まれる者たちにとっては――


……ただ、こう呼ぶだけだった。

「時の都」。


ヴェルヒラ。


もはや誰も話さない言語から受け継がれた名。

それでもその残響は、塔の鐘の音に、時計師たちの骨に、まだ脈打っている。


祖先はそれを「ヴェル・ハル」と呼んだ――“日々の時計”。


ヴェルヒラのすべては、ゆっくりと、そして残酷に、

ただひとつの概念の周りで回っていた。


時間。


詩や思い出としての時間ではない。

哲学としての時間でもない。

命令としての時間、秩序としての時間、法としての時間。


誰もそのリズムから逃れられない。

誰もその進みを疑わない。

それを無視して生き残れる者はいない。


ヴェルヒラは眠らなかった。

街が生きているからではない。

誰もが、完全に目を閉じることを恐れるようになったからだ。


眠ることは、明け渡すこと。

明け渡すことは、この街では、遅れること――

……そして切り捨てられることだった。


この街には、三つの「時間」があると言われていた。

時計が刻むのは時刻だけではない。階級と運命もまた刻むのだ、と。


核(コア)では、“現在”は決して止まらない機械だった。

銅の塔が煙雲に触れ、赤い球体の大時計が聳え、

そしてクロノ技師評議会の本拠がある。

法ではなく方程式で統治していると信じる男と女たち。

そこでは時間は“生きられる”ものではない。

“管理される”ものだった。


中環(ミドル・リング)では、“未来”はいつだって下書きにすぎない。

発明家の区画、学舎、工場、

インクと錆と絶望の匂いが染みついた薄暗いカフェ。

そこでは、毎日が約束のように見えて――

だが、その約束が果たされることは稀だった。


外縁(ペリフェリ)では、時間は幽霊だった。

職人、操り人形師、路地の絵描き、

壊れたバルブの音色で奏でる楽師たちが住む場所。

彼らはまだ、過去が何かを教えてくれるかのように語った。

そこでは、思想は生まれ――光を見る前に死んでいった。


街の至るところを、列車が金属の動脈のように貫いていた。

蒸気を吐き、鉄を喘ぎ、割れた汽笛で叫ぶ。

「あれだけがまだ夢を見ることを許されている」――そう言う者もいた。


列車はヴェルヒラのどこへでも連れていく。

どの環へも、どの塔へも、どの地下へも。


ただひとつだけ、行けない場所がある。


日々の路線のさらに向こうに、

古い柱と埃をかぶったガラスの間に隠れた駅があった。


ヴァルリア駅。


最も古く、最も美しく、そして最も空っぽの駅。


時間さえ吊り下げてしまったかのようなドームの下から、

別の列車が発つ。


行先は定まらず、案内もなく、戻りもない。

乗る者は少ない。

そして、乗った者は――二度と帰ってこなかった。


「あれは、もう“属さない者”を運ぶのだ」と言う者がいる。

「評議会に断罪された者のための輸送だ」と言う者もいる。

そして、ほんの一握りが――希望と恐れを混ぜた声で囁いた。


「あの列車は、自由へ向かうのだ」と。


蒸気の向こうへ。

時間の向こうへ。

ヴェルヒラの向こうへ。


だが、誰も確かなことは知らない。


ただ、これだけは知られていた。


その列車は、誰も待たない。

そして必ず、沈黙のまま発車する。


……時計が、カチリと鳴るまで。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る