第15話 この場所の正体
夜だった。
家の中は静かで、全員がそれぞれの部屋に引きこもっている。
電気の消えた廊下を歩きながら、俺は自分の足音だけを聞いていた。
カナデに呼ばれたのは、地下――
正確には、元・物置だった場所。
いつの間にか、簡易的な結界装置と端末が並んでいる。
「……来たか」
カナデは、すでにそこにいた。
「ここが……核心?」
「……そう」
彼女は端末の画面を操作しながら、淡々と話し始める。
*
「この家は、元々“何もない”」
いきなり、そんなことを言った。
「霊道でも、異界門でもない。ただの、古い住宅」
「じゃあ、なんで――」
「……変わったのは、数ヶ月前」
画面に、波形が映し出される。
「あなたが、ここに引きこもった頃」
胸が、少しだけ痛んだ。
*
「……失恋した」
俺が、先に言った。
カナデは、否定しない。
「告白して、振られた」
ありふれた話だ。
世界が壊れるような出来事じゃない。
「理由は聞かなかった。聞く勇気もなかった」
だから、勝手に考えた。
自分が足りなかったのか。
何か間違えたのか。
「……でも、諦めきれなかった」
未練。
後悔。
自責。
「立ち直ろうとも、完全に沈むこともできなかった」
だから、学校にも行かず、
でも、何かを壊すほど荒れることもなく。
ただ、止まった。
*
「……その状態が、問題だった」
カナデは静かに言う。
「人間の精神は、通常、どちらかに傾く」
「前向きか、後ろ向きか」
「拒絶か、執着か」
彼女は続ける。
「だが、あなたは違った」
画面に映る波形は、ほとんど揺れていない。
「……揺れているが、崩れていない」
「不安定だが、壊れていない」
「前にも後ろにも、行かない」
それは、欠陥ではなかった。
「……それが、“錨”」
境界を、ここに繋ぎ止める存在。
*
「霊は、未練に引き寄せられる」
「異界の者は、安定を求める」
「魔力は、停滞を好む」
カナデは、こちらを見た。
「……あなたは、それら全てを、拒まなかった」
追い出さず、
否定せず、
恐れすぎず。
「だから、この家は“居場所”になった」
*
「……俺は、何もしてない」
「……それが、問題」
きっぱりと言う。
「何もしないことが、
最も強い影響を持つ場合もある」
沈黙。
確かに、俺は何も決断していなかった。
立ち直ることも、
完全に沈むことも。
だから、境界が揺れる。
*
「……じゃあ、どうすればいい?」
問いかける。
カナデは、少しだけ間を置いた。
「……選ぶ」
「何を?」
「……どこに属するか」
現世か。
境界か。
曖昧なままか。
「あなたが“前に進めば”」
「錨は、外れる」
「……そうなれば」
彼女は言葉を切った。
「ここに集まった者は、元の場所へ戻る」
胸が、締め付けられる。
あの静かな時間も。
何もしない癒しも。
普通の放課後も。
全部。
*
「……逆に」
「ここに留まれば?」
「……境界は、さらに混ざる」
「戻れなくなる者が出る」
選択は、残酷だった。
*
「……なあ、カナデ」
俺は、ゆっくり言った。
「俺は……悪いこと、したか?」
彼女は、首を振る。
「……いいえ」
「ただ、人間として、とても“人間らしい”」
その言葉が、少し救いだった。
*
地下を出ると、家はいつも通りだった。
でも、もう違う。
この場所は、偶然じゃない。
俺の心が、作った場所。
境界線がゆるいのは、
俺自身が、曖昧だから。
それでも――
この家で過ごした時間は、
確かに、本物だった。
だからこそ。
次に来る選択から、
目を背けることはできなかった。
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