第5話:一般人が一番危険
インターホンが鳴った。
それは、この家において最も鳴ってはいけない音だった。
俺は一瞬、固まったまま天井を見上げる。
頭の中で、これまでの光景が高速でフラッシュバックする。
半裸同然の‘超巨乳’霊界案内人。
煤だらけで煙突から出てきたエルフ。
無言で居座り続ける異世界の魔法使い見習い。
——いや、無理だろ。
どう考えても、今この家に第三者を入れてはいけない。
「……居留守、使う?」
背後から、やけに落ち着いた声がした。
振り返ると、ソファに座ったレイナが脚を組んでいる。相変わらず布面積が仕事をしていない。
「使わない。というか使えない。今の音、完全に“人間”だ」
「ふーん。じゃあ普通に出れば?」
「“普通”が通用しないから問題なんだよ……」
再びインターホンが鳴る。
今度は少し長め。遠慮と躊躇が入り混じった押し方。
その押し方に、俺は心当たりがあった。
「……渚、か?」
大学のゼミで、席が近いだけのクラスメイト。
特別仲が良いわけでもない。だが、無視するほど疎遠でもない。
資料を忘れたと、昨日メッセージが来ていたのを思い出す。
「終わった……」
「誰?」とセラフィナが首を傾げる。
薄い白布のドレスが、動きに合わせて不穏な揺れ方をする。
「一般人だ。完全な」
「それ、一番厄介じゃない?」
——その通りだよ。
意を決して、俺は玄関に向かった。
ドアを開けると、そこに立っていたのは——
「……あ」
渚 澪は、紙袋を胸に抱えたまま、少し驚いた顔でこちらを見上げていた。
「急にごめん。ゼミの資料、これ……」
「いや、うん。ありがとう」
会話は成立している。
問題は、この“先”だった。
「……あの、入る?」
言ってから後悔した。
だが、言わないという選択肢もなかった。
「少しだけなら」
澪はそう言って、靴を揃えて上がる。
——そして、リビングが視界に入った瞬間。
時間が、止まった。
ソファには露出過多の女。
床には耳の尖った長身の女。
部屋の隅には無言で本を読む銀髪の少女。
「………………」
澪の思考が、完全に停止しているのが分かった。
口が、わずかに開いたまま。
瞬きの回数が明らかにおかしい。
「えっと……」
俺は必死に言葉を探す。
「説明、するね」
「……うん」
澪の返事は、妙に冷静だった。
その冷静さが、逆に怖い。
「まず、あの露出多めの人は霊界案内人で」
「はーい、レイナでーす」
軽く手を振るレイナ。
「で、あっちはエルフで」
「セラフィナよ。よろしく、人間の娘」
「……で、あの子は?」
「エイル。魔法使い見習い」
全員が、当たり前のように自己紹介を終える。
澪は、ゆっくりと視線を巡らせたあと——
「……ちょっと座っていい?」
「どうぞ」
澪は椅子に座り、深呼吸を一つ。
「夢じゃないよね?」
「残念ながら」
「……そっか」
そこで取り乱さないのが、彼女の凄いところだった。
「つまり、ここって……」
「危険地帯」
即答したのはレイナだった。
「普通の人が一番長居しちゃダメな場所」
澪は、俺を見る。
「……あんた、何やってるの?」
「俺も聞きたい」
沈黙が落ちる。
その沈黙を破ったのは、澪だった。
「ねえ」
「なに?」
「これ、誰にも言わない方がいいやつだよね」
「絶対に」
「……じゃあさ」
澪は少し困ったように笑う。
「私、もう巻き込まれてる?」
誰も否定しなかった。
——こうして。
最も普通で、最も危険な存在が、この家の事情を知ってしまった。
日常は、さらに歪み始める。
そして俺は思う。
この家で一番信用できないのは、
異世界の住人でも、霊でもなく——
現実を知ってしまった一般人なのだと。
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