第1話:この家、何かがおかしい

 ──遡ること数週間前。


 シェアハウスに異変が起きた。

 この家に引っ越してきたのは、半年前だった。

 大学から少し離れた古い一軒家。家賃が安く、シェアハウスという形態にも特に抵抗はなかった。


 入居した時は学年は違うが、何人か同じ大学に通っている学生がいた。


 で、数ヶ月前、同じサークルの女の子に告白してフラれた。

 それをきっかけに、何かがぷつりと切れたように、大学に行かなくなった。

 講義に出るのは月に数回。

 もうかれこれ3ヶ月近くこんな感じだ。

 基本的に部屋に籠もって、カーテンを閉め切り、時間が過ぎるのを待つだけ。

 なので、シェアハウスとはいえ、共有スペースに顔を出すこともほとんどなかった。

 他の同居人と関わることなんて無かった。

 興味がなかった。

 ……そのはずだった。

 

 ある夜。

 部屋の天井から、かすかな物音がする。

 ギシ、ギシ、と何かを引きずるような音。

 それに混じって、低い呻き声のようなもの。

 最初は気のせいだと思った。

 古い家だし、音が鳴ること自体は珍しくない。

 それが連日続き、無視できるレベルを超えていた。

「……マジでうるさいな……」

 ため息をつき、久しぶりに部屋のドアを開ける。

 廊下の空気が、妙に冷たい。

 共有スペース――リビングの方から、淡い光が漏れていた。

 誰か、いる。

 普段なら関わらない。

 でも、今夜はさすがに我慢ならなかった。

 せめて一言、静かにしてほしいと伝える。それだけだ。

 そう思って、リビングに足を踏み入れた瞬間。

「……あ」

 思わず、声が漏れた。

 そこにいたのは――見知らぬ女の人だった。

 長い髪。

 健康的というには明らかに主張しすぎている胸元。

 そして、布面積の少ない水着のような格好。

 ――いや、水着だ。

 しかも、かなり際どい。

 あれはマイクロビキニというやつか?

 グラビアアイドルとか叡智なビデオに出ている人しか着ないと思っていたが、この目で現実にそれを着ている人を見たのは初めてだった。

 その女は、宙を見上げるように立っていて、何かを指差している。


「あー、まだ残ってる」


 彼女の視線の先――天井付近には、ぼんやりとした人影のようなものが漂っていた。

 ……人影?

「……え?」


 理解が追いつかないまま立ち尽くしていると、女がこちらに気づいた。


「……あ」


 一瞬、気まずそうな顔。

 次の瞬間、彼女はにっこりと笑った。


「ごめん、起こしちゃった?」

「……いや、あの……」


 喉がひくりと鳴る。

 ツッコミたいことは山ほどある。

 服装。状況。そもそも、宙に浮いている何か。

 だが、最初に口をついて出たのは、どうでもいい一言だった。


「……ここ、シェアハウスなんですけど」

「あー、だよね。知ってる」


 あっさり返される。


「ていうか、君ここの住人?」

「……まあ」

「そっか」


 女は納得したように頷くと、改めてこちらを見た。

 近い。

 距離感が、妙に近い。

 顔を近づけ女の大きな胸が視界に入る。


「じゃあ説明しよっか」


 彼女は、軽い調子で言った。


「ここ、霊の溜まり場になってる」

「……は?」

「正確に言うとね――霊道」


 彼女は、胸元が揺れるのも気にせず、さらっと言い放った。 


「現世と霊界を行き来する通り道。だから、放っておくとこういうのが溜まる」


 そう言って、天井付近を指差す。

 そこには、さっきよりもはっきりと、人の形をした影が見えた。

 ……見えてしまっている時点で、もう普通じゃない。


「ちなみに私はレイナ」


 女――レイナは、親指で自分を指す。


「霊界案内人。迷った魂を、ちゃんと送るのが仕事」

「……」


 頭が、完全に停止していた。

 引きこもっていた数ヶ月。

 社会復帰どころか、現実認識の方が先に壊れたらしい。

 そんな俺の沈黙を、レイナは気にも留めず、にこにこしながら続ける。


「ま、今夜はちょっと騒がしくなるかも。ごめんね」

「……」

「終わったら静かにするからさ」


 そう言って、彼女はくるりと背を向けた。

 その背中越しに、もう一度だけ、こちらを振り返る。


「それとも、一緒に見る?」

「……何を」

「日常が壊れる瞬間」


 冗談みたいな口調。

 でも、その言葉がやけに現実味を帯びて聞こえた。

 ――この家、何かがおかしい。

 そう気づいた時には、もう遅かった。

 俺の静かな引きこもり生活は、音を立てて崩れ始めていた。

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