白い狐の二宮さんと高校生の高浜くん

へのぽん

祝いのマーチに怨叉が混じる

注)怨嗟(えんさ)

  怨叉(おんさ)は造語です。


 ブラスバンド部が新入生歓迎音楽を鳴らしていた。来春の歓迎式典の練習だそうだ。この音は去年高浜も聴いたが、どうもざわつく。


「そんな場合じゃない。追試……」


 耐震補強の筋交いが廊下を暗くしていた。同級生の二宮はブラスバンドを見つめていた。今さら何か思い出したなど、わざとらしい演技をして引き返せるわけもない。

 高浜は気まずいまま伏せ目がちに後ろを通ろうとした。


「高浜君」


 声をかけられた。白い頬を包むような首までの髪がかすかに動いて振り向いた。いつもきちんとしているはずなのに、彼女のブレザーの下のネクタイは解かれていた。


「あ、後ろ通りま〜す」

「待て」


 二宮の手首からネクタイが跳ねて高浜の首に巻きついた。


「あたたた」

「由緒ある二宮家のわたしを待たせたのを気にしてるのか」

「今日は付き合わん。塾のテストあるんで。追試の勉強しないと」

「おまえは修行するんだ。塾と人の世の安定のどちらが重い」

「このままじゃ落単なんだよ。去年と同じみたいに、ブラスバンドに祝われたくないんだよ」


 もしこのまま人の世の安定とやらが守られるならば、社会に出て食わなければならない。卒業しても自分が守ったおかげで人の世は守られているなど誰にも言えないから。


「見て」

「見ない」

「見ろ!」


 高浜は二宮の指を見た。手入れはされているが、美しいだけのしなやかな指ではなく、道場で居合や弓をしている強さも備えているものだった。


「指の向こう」

「ネイルしてるんですか。それも校則違反ですよ」

「爪の向こう」

「ガラスが汚れてますね」

「ガラスの向こうにカラスがバタバタと飛んできている」

「見えないな」

「黒い鳥が見えないのか」

「黒い鳥は見えるけど、バタバタというのがどこにあるのか」


 高浜はガツンと頬に二宮の手加減した拳を食らわされた。要するにこっちは見たくないと言っているのがわからないのか。


「よお」


 カラスが耐震補強材の筋交いに止まった。これは古い建物の窓の外、クロス状に入れられた無骨な鉄骨である。


「幻妖の者が現れた」

「権兵衛、あんたもだ」

「俺は良い幻妖だぞ。おまえたち二人を守るように言われた。だからおまえたちは常世から密かに来る幻妖の者から守られているんだぞ。世の安寧を守ることができるのは俺が後ろであれやこれやと云々…八百万の神の間を行き来して……云々」


 高浜は手で制した。これ以上騒がれると他に迷惑だ。他人には烏に襲われているように見えるはずだ。


(やかましい)


 二宮との出会いは……冬だ。年を越せば高校受験を迎える、寒い十二月だった。公園を抜けるとき、高浜は倒れた白い犬を抱き上げた。息も絶え絶えで、せめて抱き締めてあたためてやろうとした。

 しばらく抱えていて気づくと、ぬくもりと重さか変わるのに驚いた。やがて見る見るうちに尾と頭に耳が飛び出した耳が消えて人の姿になった。高浜は慌てた。裸の彼女をコートをかけて、どうしていいものかとうろたえたいると、ぶん殴られた。


「あのときはひどくやられて、わざわざこの俺が天地風の力を補充せねば小娘は死ぬところだった」


 カラスが何をしていたのか話してくれたことがある。補充するにしても、もっと隠れてしてくれという話だと思った。ボロボロの姿をしていたので、今から思えば幻妖獣とやらと死闘を繰り広げた後、隠れることもできずに二宮は倒れていたのだ。

 だから二宮と高浜はニコイチになってしまったという。ややこしい。それまでとは違い、今では高浜がいなければ、二宮は幻妖獣を封じ込めることはできない。白狐に変化することも、戦うこともできない。

 今も同じだ。


「あのときおまえにわたしの力が流れてきた気がしたんだ。いくつもの白狐としての力もおまえに奪われたまんまだ」

「知らないよ。ほっとくわけにはいかなかったから引き返してきたのに。人の姿になろうとしていたところに悪い印象しかしない。早く狐に戻してあげてください」

「そもそもわたしは人だ。これまで二宮の女は白狐の魂を継いできた」


 五穀豊穣の稲荷に使える彼女は、人の世に迷い込んでくる、幻妖なる者を退治しているらしいのだが、それからというもの高浜も巻き込まれることになってしまった。


「おまえがもっと力を操れなければ、わたしは強くなれん。だからおまえには修行させる。おまえはどこぞの誰かの出した問題を紙の上で解いて喜んでいる暇はない」

「成績一番で喜んでいたくせに」

「まあ……それはそれだ」


 二宮は顔を赤らめて咳をした。


「二宮家のこともあるからな。簡単な試験くらい人としての振る舞いも学ばんと」


 救った後、二宮は私立小学校から大学まで保証されていたところ、わざわざ高浜が入学した公立高校に転校してきた。縁が切れたと思っていたのに、入試のときに廊下で見たときは驚いた。他の生徒は二宮の美しさに驚いていたが、動揺して失敗した高浜は合格発表の日まで寝込んだ。

 合格発表が行われ、晴れて高校に入学できたときのうれしさと、二宮に見つけられたときの悲しさは今でも忘れない。せっかく華やかな高校生活を夢見ていたのに、わからないことに巻き込まれたくはないので必死で逃れようとしているところだ。


 あれはGW前の合宿で起きた。


 小学時代からの友人の定本が、二宮に惚れてしまった。バスケットボール部の一年生で地区強化選手に選ばれ、しかも学力は優秀で容姿もいい。話もおもしろい。高浜は引き立て役だ。そんな定本が、バスケットボール部の大会に来てくれと、二宮を誘おうと思うんだけどと相談してきた。


「誘えばいいのでは?」


 と高浜は答えた。

 実際誘ったらしいものの、バスケットボールには興味がないと断られたと落ち込んでいた。定本は凄い。夏休みも花火大会も誘った。夏休みも花火大会も興味はないと断られたようだ。二宮に「定本に興味がないのか」と尋ねたところ、二宮は「身も蓋もない言い方はできん」と答えた。定本は学年二番に甘んじたとき、二宮に勉強のことで話したが、勉強にも興味がないと簡単に流されていた。ちなみに一番は二宮だ。


 

 二宮はカラスに尋ねた。


「幻妖はどこにいるの?まだ上に?」

「ああ」


 カラスの権兵衛が筋交い越しに屋上を見上げた。


「屋上に急に気配が現れたの。他にもいるからな。ややこしい話のようだ」

「ややこしいのか」

 

 高浜は鞄を背負いなおした。


「そろそろ塾へ」

「あのな。おまえがいなければ、わたしは戦えないんだ。ちゃんと支援しろ」


 高浜はリュックを掴まれた。


「二人で組んでから半年、まだまだわたしは心許ない」

「組んでない」

「早く来い」


 力任せに連れていく二宮が、急に立ち止まると、リップの光る唇を寄せてきた。


「逃げたら八つ裂きだ」

「できるもんならやれ。俺がいなきゃ術も使えんくせに」


 二宮は恨めしそうに唇に力を込めて高浜をギロッと見ると、腹立たしまぎれに突き放した。しかし沈黙しても着いてこいという後ろ姿は変わらないし、また着いてくるだろうという気持ちも漏れていた。しかも高浜も着いていくお人好しだ。わずかに肩越しに見てきた彼女の顔は、着いてきてくれるんだよねと安心していた。


(卑怯な顔するなよ)

「あざとかわいくしても、定本や他の生徒に通じても僕には気味悪いんだよ」


 ぶ頭を手の平ではたかれた。

 

(無意識にあんな表情するから異性だけでなくて同性までも引き寄せるんだぞ)


 すでに二階から三階へ上がる踊り場が重い空気に満たされていた。三階から屋上へ繋がる階段には、採光窓から光が差し込んでいて、今の高浜には黒い炭粒まで浮かんているように見えた。二宮のスカートの裾が激しく揺れて、膝の上が覗きかけた。


「今、見えた?」

「何が?」

「影よ。他に何があるの?」


 二宮の問いに、高浜は視線を彼女の膝の裏に動かした。


「あのね」

「もう少しで」


 二宮が指弾のように弾くと、石の粒なようなものが額に当たった。


「あたっ!」

「まったくふざけるな」


 二宮はスカートを押さえながら階段を駆け上がった。かつては部活動も屋上でしていたようだが、今や安全のために立入禁止の看板が立ち、普通に施錠されていた。


「急に何するんだよ」

「さっき下着見ようとした」

「指弾で済んだろ?」

「じかに罰を与えんと気が済まん」


 ぐっと頬をつままれた。これが本当の狐につままれるということだ。

 高浜はノブを回した。


「鍵が開いてる」

「レディファスト。どうぞ」

「あ、り、が、と!」


 扉を開けかけたとき、高浜は二宮に蹴飛ばされるように屋上へと転げた。何かすると思っていたが、まさかこっちを盾にするとは卑怯すぎないかと抗議した。

 二宮の頬にキズが走った。

 鉄の扉が凹んだ。


 高浜が這いつくばると、


「何かいるな」


 と呟いて、屋上を見渡した。青い空から雨が落ちてきて、錆びた金網に細い錆びた針金ハンガーが冷たい風に揺れていた。


「高浜、いると思うか。わたしには見えないんだからな。おまえしかいない」

「ここからは冗談なし」

「ずっと本気よ」


 高浜は屋上で膝をついて、中腰のままそろそろとリュックを降ろした。はるか遠くから権兵衛の羽音が聞こえ、どういうわけか、いないはずの部活の声も聞こえる。


「部活してるのか。吹奏楽?」

「屋上は使われてないはずだ」

「あ、消えた」


 高浜は出入口から離れて金網と貯水タンクとの間を探るように歩いた。不意にタンクの裏に「影」が見えた。


(人がいる?)


 悪寒がした。しかし後ろに二宮の気配を信じつつ、追いかけることにしたとき、金網と支柱ごと屋上から突き落とされた。


「落……ちる!?」


 中庭の生徒たちが見え、高浜の体は足を支点に校舎の淵で弧を描いた。二宮が手首をつかんでいて、振り回されるように貯水槽に激突した。


「高浜!大丈夫かっ!」

「くっそ痛いわっ」


 金網が中庭に落ちた音が響いた。

 高浜は駆けつけた二宮の背後にいくつかの影を見た。振り向きざまに二宮はいくつもの空気の粒を連続して弾いた。


「手応えは?」

「ある」

「三匹いた」

「三匹!?僕には五匹に見えたぞ」


 高浜の言葉に二宮はムスッとした。彼は打ちつけた頭を押さえて、青く澄み渡る放課後の空を見上げた。二宮の腕に抱かれているとき見下した気配が見えるし、あちらこちらから嘲る笑いが聞こえてくる。


「消えたみたいだ」

「うん」


 扉のセキュリティが知らせ、異変に気づいた数人の教師が駆け込んできた。


「誰かいるのか」


 国語科の中年の中ノ瀬が来た。必死で駆け上がってきたようで、しばらく膝に手をついて肩で息をしていた。続いて庭に学校中の野次馬が押し寄せてきていた。


「おまえたち二人」


 中ノ瀬が息を整えた。


「こんなところで何をしている。どうやってここに入ったんだ」

「ノブを回して」

「立入禁止の看板があるだろ。いったん職員室へ行こうか。話は後だ」


 高浜は、野次馬を見ていた。一人の生徒が背を向けて消えるのを見た気がした。



 生徒指導室で、高浜は体育科の宮本を前に話を聞かれた。どうやって屋上に入ったことと、二宮と二人で何をしていた。何をしていて金網にもたれた。下に人がいたらどうなるか考えたかと言われた。

 高浜は権兵衛が金網を何とか人のいないところへ運ぼうとして、途中で失敗したのは見ている。他の生徒には突風に見えたかもしれないが、権兵衛がつかみ損ねていたのだ。権兵衛はテヘペロしていた。


「二人とも、このことは親御さんにも話さんといかんからな。立入禁止の看板は読んでないのか?弁償も考えるぞ」


 不意に宮本が顔を突き出してきた。


「交際しているのか」

「二宮とですか?幸いにもお付き合いなんてしてませんよ。頼まれても嫌です。あんなの性格ブスですよ。ああして澄ましてるのは話すとボロが出るからです」

「おい」

「すぐ暴力ですからね。男女平等も知らないんじゃないのかな。だいたい人を慈しむという気持ちすら持ち合わせてるかどうか怪しい。どれほど二宮家が金持っ……」


 脳天から拳骨が落とされた。目から火花が出て涙が火を消した。二宮の冷たく煌めく瞳で見つめたいた。


「二宮の方は済んだのか」


 宮本が乾いた笑いで話した。


「はい。近いうちに親を呼んで今日のことを話すとのことです。ちなみにわたしはコイツと付き合うほどバカではありません」

「なぜ上に?」

「一緒に塾へ行こうとしていたら、屋上に人影が見えたんです」

「あ、おまえら同じ塾か」

「はい」


 二宮は答えた。

 高浜は頭を押さえていた。


「こんなにも差がつくんだな」


(やかましいわっ)


 夕暮れの中、校舎のあちらこちらから人の視線が見えた。二宮は気にしてないように歩いたが、高浜は特に男どもに刺されているような気持ちがした。


「まだガンガンする」

「わたしの悪口を言うからだ」

「冗談だ。まさかお付き合いしてますなんて言えないだろ?」

「してないからな」

 

 頭が割れていないか気にした。髪の毛の生え際がたんこぶで膨らんでいた。


「本気で殴っただろ」

「本気なら死んでるわよ」

「何で変な視線浴びせられないといけないんだよ。絶対に付き合わないし」

「同意見だ」


 グラウンドを抜けるとき、体育館から数人の男子生徒が見ていた。同級生も上級生も高浜を目の敵にしている様子だ。


「昔のことだ。まだ屋上が閉鎖される前のことらしい。たいていいつも吹奏楽部か空手部が練習していたんだそうだ」


 正門を出て歩道を歩いた。


「屋上から、吹奏楽の人が転落した。トランペットを練習するのに貯水槽の陰でいたんだそうだ。女の子だと」


 二宮は卒アルから転写した女の子の写るスマホを見せてきた。まるで集合写真にいたかのように加工されていた子は童顔だ。


「2000年だった」

「自殺?事故?」

「あの頃から金網はあったみたい」

「上ってから飛び降りたのか」


 高浜が横断歩道を渡ろうとした。トラックが急ブレーキをかけて、とっさに二宮に後ろに引き倒された。


「赤だぞ」


 二宮が後ろに引きずった。

 勢いで鞭打ちになる。


「何してるんだ」


 二宮が覗き込んできた。


「え?何してた?」

「話しながら停まるかと思ったのに」


 高浜は、横断歩道の向こうに、二宮に似た影を見つけて追いかけた。今度は腕で首を巻きつけられて止められた。


「どわっ!」

「だから見えてないのか!」


 高浜は指差した。二宮は高浜の肩越しに指の方を見ていた。


「あれは何?わたしか?」

「俺には見えるだけだし、聞こえるだけだから何だかわからない。今、俺とくっついてる二宮にも見えてるんなら」

「そういうことだろうな」

「消えた」

「学校近辺でしかいられないのか」


 二宮は道の向こうの影に矢をつがえる仕草をしたが、途中でやめた。


 高浜がぼぉっとしていた。


「何してるの」と二宮。

「へ?」

「わたしの力はおまえが源だ。おまえも同じように思わないと、この矢を射ることなどできない」

「あぁ」

「まあいい。やたら走られるくらいなら突っ立ってるくらいがいい。おまえが追いついたところでどうにもできないんだから」

「どうもすみませんね」


 高浜は拗ねたように答えた。


「死なれては困る」


 二宮はぶっきらぼうに言った。それから信号が青になると、二人で渡った。今のが何だったのか。なぜこれまで現れていなかった禍々しい妖の気配が現れたのか。



 速読と二倍速でカリキュラムを終えた二宮は、塾の玄関で高浜を待つともなく待っていた。


「残されてるにしても遅いな」


 二宮は胸騒ぎを堪えながら学校へと走り出した。


 

 夜の校舎は静かだが、職員室には光が見えた。誰かいるのだろうか。高浜は一気に廊下を駆け抜ける。屋上に近づくにつれて、放課後に見えた闇に覆われていることを察した。


(一人で来るんじゃなかったかな)


 どこかで不気味にケタケタ、コロコロと無邪気に笑う声、捻じるように体を歪ませて喜ぶ影の姿が見える。


(このままいても二宮の足手まといになるだけだし。何とか一人でできること)


 今のところの高浜の力は「見える」「聞こえる」しかない。話せるわけでも、戦えるわけでもないので、二宮のためにもう少しマシになれればと悩んでもいた。

 三つの影が飛び込んできた。高浜は不意打ちを食らい、貯水槽を支える鉄骨の基礎に転げて後頭部をガツンと打った。

 しかし何とか立ち上がる。

 貯水槽の反対、金網の崩れたところに自殺した女の子の姿が見えた。高浜は人目もはばからずに、あられもない姿で金網をよじ登る彼女に、ふらふらと抱きついた。

「もうやめよう。君は死んだんだ。だから毎日同じことする必要はないんだよ」

「わたしは今から死ぬのよ」

(これは一緒に落ちる……)


 高浜は地上を見た。

 金網が崩れて落ちていった。


 ☆☆☆☆

 二宮が高浜を一緒に抱き締めて、屋上へと引きずり戻した。高浜の手から劣化したマウスピースが転げ落ちてきた。


「間に合った」


 二宮は高浜を乱暴に屋上の地面に叩きつけた。勝手なことをするなという腹立たしさもあるが、高浜を失いたくないという怖さも混在していた。


「バカか」

「貯水タンクの下で見つけた」

「黙れ!おまえは彼女の思念に巻き込まれかけてたんだぞ!」


 四人の影が揺らいでいた。

 敵の中、二宮は体が熱くなるのを感じながら乱暴に高浜の胸ぐらをつかんだ。


「おまえまで引きずられた。あの四人は彼女を囃し立てたんだ」


 高浜はほほ笑んだ。


「もうあの子は何度も何度も同じことを繰り返しているんだ。止めてやらないと」

(おまえを道連れにしようとしたんだぞ?なのになぜ同情できる?)

「この子はずっと同じことを繰り返してるんだ。通学して、授業を受けて、放課後にトランペットの練習してる。さっき貯水槽の下でマウスピースを見つけたんだ」


 高浜は静かに訴えた。二宮はそんな高浜の様子を見て力が抜けたように、彼を放した。高浜はやさしすぎるんだ。


「もういい」

「これどうする?」

「お祓いでもするよ」

(呆れたよ)

 

 あの冬の夜、高浜は倒れた白狐姿の二宮に恐る恐る近づいてきて、ミリタリーコートにくるんで抱き上げてくれた。血塗れにもかかわらずに臆することなく救おうとしてくれた。二宮は高浜の鼓動のたびに熱いものが流れ込んできたのを覚えている。


「二宮、今こそガキを喰らえ」


 権兵衛が夜空を旋回した。

 二宮は烏に叫んだ。


「黙れ!わたしは死んでた。今生きているのは、奴が抱き締めてくれたからだ。奴か生きる力が流れ込んできたんだ」

「たかが人ごときに同情するな」

「人ごときに救われたんだ!」


 権兵衛と言い合っていると、急に高浜が背後から抱きついてきた。


「な、何っ!?」


 高浜の背が裂けて膝から崩れた。

 高浜と接しているせいで、いくつもの笑い声と影が見えたが、今二宮には三人の女子生徒と二人の男子生徒、実際に生きて呆然とする国語科の中ノ瀬の姿が見えた。


(高浜……)


「白狐、動きを止めろ」


 優雅に眺めていた権兵衛が、突然急降下して中ノ瀬の頭を鷲掴みにした。


「おまえたち動くな!」


 二宮は手で制しつつ、倒れた高浜の血塗れの体を右腕と右膝で支えた。同時に四人の影に向いて網をかけるように左手に力を込めた。こんなキズなのに、まだ高浜は二宮のために見えるようにしてくれている。


「起きろ、高浜!」

「死ねばおまえに力が戻るぞ」


 権兵衛がはやし立てた。


「権兵衛、さっさとおまえの持っている魂のカケラを渡せ。でないとおまえを」

「わかったよ。これは高いんだぞ」

「高浜が死んだら、おまえも殺す」


 権兵衛はくちばしからサファイアのような小粒を投げて寄越した。二宮はカケラを高浜の唇に押し込んだ。青く包まれた高浜の体はじっとしていた。


「権兵衛、奴らは何だ!高浜が見えている連中のことだ」

「俺にわかるわけないだろ。高浜に聞くしかない。俺にもビジュアルは見えん」


 権兵衛は羽ばたくのをやめると、中ノ瀬は糸が切れたように落ちた。何か知っている気配がしたので、二宮は冷たく尋ねた。


「どういうことだ?」

「今年、私がここに赴任してきた。新人のときに来た高校に、二十年ぶりに来たときに気づいた。まだあの子らがいると」

「あの子ら?」

「イジメだよ。俺が担任を持ったときのクラスで起きた。起きていたんだ。でも俺は関わるのが怖くて知らないことにした」

「見殺しにした」

「死ぬとは思わなかったんだ」


 そろそろ二宮の四人を制止した腕が限界に近づいていた。


「二宮、網を解くな。まだ奴らは暴れるぞ。奴らのあのときの負の気持ちは今でも奴らを捕らえている。生霊だ」

「限界だ。高浜の力がいる」

「封じ込めろ」

「こいつが倒れてるのに、完全に力を発揮することなんてできないんだよ!」


 それぞれの影は檻で暴れる猛獣のように空気を震わせた。



(あのときの逆だよ)


 高浜は夢うつつで白い子狐を抱いた日を思い出した。コートの中、凍え死にそうな白狐を抱き締めていた。自分みたいな平凡なものができることは、せめて抱き締めてやることくらいだった。


(二宮、救おうとしてくれてるのか)


 高浜はぼんやりと残された女の子の姿を見ていた。難しい勉強のことや上がらない成績のこと、当落選にいた部活のこと、教室で孤立して心が折れたことが、サイレント映画のように目の前を流れる。若い担任は視線を合わせてもすぐ逸らされた。


「二宮、終わらせよう」

「おまえのキズが……」

「これくらい平気だ。やっつけてくれ」


 二宮はためらっていたが、高浜が背後から抱き締めるようにしてくれ、どこからか力がこみ上げてきた。


「散るがいい!」


 影は霧散した。


「さすがお狐様だ」


 高浜は、何とか二宮の肩を借りて立ち上がると、金網の落ちた校舎の淵で残された彼女に近づいた。何とか支えてくれる二宮に「引き込まれるぞ」と止められた。


『わたしは許さない』

「だよな」


 彼女は涙をこぼしていた。


「君も聖人君子じゃないもんな」

『誰も救ってくれなかった。家族も友だちも先生も。わたしのことを無視した』

「わかると言えば叱られるよね。でも一つだけ言えるよ。もう君くらいは、自分を許してあげなよ。必死で生きたんだから」

『わたし……?』

「君は自殺を選んだ。自分くらい認めてやらないと悲しいじゃないか」

『死にたくて死んだんじゃない』

「そうだね」


 高浜の頭の夜空から、青い光が柱のように降り注いだ。触れ合った肌から二宮にも光の粒子が流れ込んでいた。


『わたしは生きたかった!まだこの世界にいたいの!ここでわたしを救ってくれなかった奴らのすべてを見てやる!わたしの悪意で奴らを』

「もうおしまいだ!魂の流れに戻れ!」


 二宮から二宮の姿が離れ、それが白い狐に変化し、一人残された彼女に襲いかかってバラバラにした。すぐに白い狐は二宮に吸い込まれ、二宮の鼓動が激しくなった。


「二宮……」

「これ以上、奴と話していれば、おまえが憑かれた。中ノ瀬先生と同じように」

「でも彼女の救いは……」

「わたしはおまえを失いたくない」

「僕には涙まで見えた」

「ああ。今のわたしには影にしか見えないんだ。おぼろげながらしかわからない」


 二宮は高浜を抱いて答えた。

 権兵衛が屋上に散らばった、いくつかの紫に輝く石をくわえて跳ねていた。


「これ、あ、それもいい」


 権兵衛があれやこれやと欲をかいているうちに石は消えた。二宮はどこまでもお気楽だなと呆れながら眺めていた。


 ☆☆☆☆

 数日後、公園のブランコに腰を掛けた二宮は表情のない顔で話した。隣にはキズを気にするように高浜がいた。


「突然、殺さなくてもいいのに。あの子だけでも何とかして、もっと聞いてあげられたら……」

「た、か、ら」

「わかってる」

「ならいい。キズは平気か」

「まだ痛い。制服がズタズタで買い替えるおカネが……バイト……」


 二宮のことを無視した。


「中ノ瀬から聞いた。はじめ話す気はないと突っぱねてたけど、何とか」


 中ノ瀬は新任当時からパソコンにイジメていた生徒の名前と住所、進学先などをメモしていたということだ。彼も自殺した子に憑かれていたのかもしれない。二十年ずっとイジメた四人を追いかけていた。


「四人のうち二人は結婚して子どもを生んだ。 二人の子どもは、わたしたちの同級生として、この学校にいる」

「刺激されたのかな」

「かもな。もう一人は大阪にいるらしいんだけど、シングルマザーで……」

「もういいよ」

「だな」

「中ノ瀬先生は、どうしようもないのに追い続けていたんだな」

「二十年を経て、この学校に赴任したときは怖かったんだと」

「中ノ瀬先生は解放されるのか」

「本人次第だ」


 二宮はすっと立ち上がった。


「高浜、ところで彼女のマウスピースはどうする気なんだ」

「彼女の両親に渡しても、今さら困ると思うしね。お祓いでもしてもらうか」

「権兵衛が欲しいらしい」

「権兵衛が?俺を見殺しにしようとしていたくせに。それにこんなもの集めてどうするんだよ。ま、二宮から渡してくれ」


 高浜は二宮に渡した。


「このままニコイチじゃな。また僕は今回みたいに、二宮に迷惑かけるよ」

「何とかしないととは思う。それまでちゃんといつでも充電しておいてくれ」

「僕はスマホかよ」


 おわり


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