ill〜怪異特務課事件簿〜
錦木
プロローグ
闇が夜の静寂を支配していた。
この言葉はただの比喩だ。
だが俺は本当の意味で、その言葉通りに静寂を実感していた。
暗い。静かだ。
周りからは何も聞こえない。
音は自分の内からだけ響いていた。
コポコポと音を立て腹から血が流れ落ちていく。心臓の音がどんどん聞こえなくなってきた。
最早痛みも感じない。視界から光が消えていく。
嫌だ。
心のうちでそう思い、冷えた指先で掴むものもないのに宙をかき回した。
いやだ。ーー死にたくない。
指先が、墨に浸したように闇に溶けていく。
その時静寂を破って、真横に何者かがしゃがむ音がした。
「
声を聞いて、最初は敵かと思った。
俺を目の前にそびえ立つビルから落下させたものの仲間かもしれないと。
でもすぐに違うことがわかった。
男には殺気がない。何よりやつらならのんびり話すより先に俺を始末しているはずだ。
人影は特に何もせず俺を見下ろしている。珍しいものを観察するように。
男は不意に口を開いた。魅惑的な契約を持ち出すように穏やかな声で俺に問う。
「死にたくない?」
聞かれたのは極めてシンプルな問いで。
霞む目でも男の口が笑みの形に弧を描いていることがわかる。
凪いでいた俺の心に小さな揺れが起こる。それは増幅し、やがてかき乱す嵐になって脳を揺さぶった。
それは、名をつけるなら恐怖。戦慄。
そんなものでは言い表せない絶望。
そんなものを切り離していたことに忘れていたことに今になってようやく気づく。
俺は呟いた。
「しに、たくない…。まだ。いきたい」
声が震えて勝手に嗚咽を漏らす。
男が俺の目前に何かを差し出した。
それは月明かりに照らされた、真っ赤な血が滴る片手。
「だったらこれを舐めろ」
頰に落ちて滑る雫は生温かくて、鉄錆の臭いがした。
愉快そうな声で、男は言った。
「君がまだ死にたくないというのなら」
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