夜明けの雑煮

跡部佐知

夜明けの雑煮

 それは十一月の夜のこと。

「今年の大晦日ね、年越し夜勤しようと思うの」

 お母さんは病院で看護師さんをやっている。早番と遅番に、日勤と夜勤の日があって、夜勤のときは学校に行く時間になっても帰ってこない。だから、一人で朝食を作る。

 中学生になってから、お母さんは夜勤を入れるようになった。給料が上がり、しかも翌日休みになる夜勤が好きらしい。

「ちとせももう中二でしょ。お姉ちゃんも帰ってくるからいいよね?」

 一人暮らしをし始めたお姉ちゃんは、ずっと帰ってきていない。

「うん。平気だよ」

 嘘だ。お姉ちゃんが引っ越しててから、一人でご飯を食べることが増えて、そのたびにわたしは孤独を感じていた。

 家族そろってご飯を食べられるのが貴重だということに気づいたのは、お姉ちゃんが出て行ってから。

 たぶん、この家で年を越せるのも残り五回ほどだろう。そしてどんな大金があろうとも、家族で慎ましく過ごす日常は買えない。

 年越しという特別な時間は、夜勤の給与では割に合わないと思った。

 でもお母さんは、家族三人で過ごす時間よりも、一夜(ひとよ)の数万円を選んだのだ。

 早番の日は、帰ると夕ご飯のにおいがするから好き。遅番のときは、わたしが台所に立ってお米を炊き、お味噌汁を作る。小学校高学年くらいから、お風呂を洗ったり、遅番の日にご飯を作ったりするのが役目になった。

 でも、主食は必ずお母さんが作ってくれた。お母さんは料理がうまくて、なんでもおいしく食べられる。

 帰りを待っているとき、動画を見て時間を潰す。画面が一瞬暗転したときに、学校指定のジャージを着たわたしがぽつんと映ると、急に切なくなってくる。

「よかった。大晦日は夜勤にするけど、お姉ちゃんが帰ってくるはずだから」

 月日は流れ、クリスマスがやってきた。

 早番でお母さんはいなかったが、手のひらサイズのクリスマスツリーの下に、ずっと欲しかったゲームのカセットが届いていた。

 嬉しい気持ちを胸に、積雪を踏みしめて歩いた。早く帰ってゲームをしよう。サンタさんに感謝しながら一日を過ごした。

 今日で二学期も終わる。うちの中学では、終業式とクリスマスは被ることが多い。

 終業式のあと、友だちといっしょに帰っていた。友だちは、家庭のことも知っていて、なんでも話せる。だから、二人で夕日を浴びながら歩くこの時間は落ち着く。

「ねえ、サンタさんに何もらった?」

 問いかけると、困ったような顔をされた。

「えっ、サンタさんは小学生で終わったよ」

「サンタさんに終わるとかあるの?」

「ちとせってしっかりしてるのか、抜けてるのかわかんないね」

「サンタさんはいるよ。今年もお手紙書いたし、朝、ゲームのカセット届いてたよ」

 ふふっ、と上品に友だちが笑った。

「ちとせはいい子なんだねえ。微笑ましい」

「馬鹿にしてる?」

「してないよ」

 二人でことことと笑いあった。

「夕飯作ったりもしてるんでしょ? お正月はお年玉もいっぱいもらえるんだろうな」

 羨ましい、と友だちが呟いた。

「えっとね。十四歳だから、一万四千円。これで一年やり過ごさなきゃだよ」

 友だちと遊びに行くお金はすべてお年玉でやりくりするのが、我が家のルール。

「おばあちゃんの家に帰ったりしないの?」

「ないなあ。今年はうちの親、年越し夜勤するらしいし」

「ええ! それ寂しくない?」

「寂しくないよ。全然平気だよ」

 ぎこちない空気の帰り道を、二人で歩いた。

「ちとせ」

 いつもの分かれ道で友だちが振り向いた。

「よいお年を」

「うん。よいお年を」

 期間限定のこのさよならに宿る雰囲気が好き。なんとなく、ぬくもりを感じるから。

 冬休みになってゲームばかりしていると、あっという間に大晦日になっていた。

「じゃあ、お母さん行ってくるから」

 ゲームを中断して、玄関まで見送る。

「お腹空いたらお蕎麦食べるんだよ。海老天はオーブンで温めて。あと、硬くなる前にのし餅切って冷凍しておいてね」

 こくりと頷いた。

「いってきます」

「いってらっしゃい」

 ひらひらと手を振った。バタン、という音ともにドアが閉まる。車のエンジン音が過ぎると家の中がしんとした。一気に寂寥感が募った。

 スマートフォンの通知音が鳴り目をやる。お姉ちゃんからだ。

〈ごめん! バイト入っちゃって帰れない〉

 妖精がいたら枯れてしまいそうなほど、大きな大きなため息が零れた。

「もう。みんなお仕事ばっかじゃん」

 そんな声も虚空に響くだけで誰に届くことさえなかった。

 寂しくなって、テレビを点けた。ざわめき声があるだけで、だいぶ安心する。しかし、その安心が続くのも数時間だけ。

 年末の特番は、誰かと見るから面白いのだ。歌番組も、お笑いも、何一つ面白いと思えなかった。まるで、面白さを受け取るセンサーが故障しているかのようだった。

 お蕎麦を茹で、海老天を温めるついでにのし餅を切っておいた。

「ほんとだったら、お姉ちゃんもいたのに」

 ずるずる、ずるずる、とそばをすする音がダイニングに残る。耳を澄ませば時計の秒針の音まで聴こえるくらいの静寂。

 夜勤の日の寂しさには慣れていたけれど、白雪に包まれた年末の外は異常なほど冷たくて、隣近所からにぎやかな笑い声が届くと胸が痛んだ。

「お風呂が、沸けました」

 いつもなら、気にも留めない電子音に、ありがとうと言いたくなる。

 一人でお風呂に入ったあと、パジャマに着替えた。年越しのカウントダウンをする気力もなく、早々と一人で眠った。

 目を覚ますと午前七時。今日から二〇二六年らしい。年を越した実感はない。オムレツを焼き、パンと牛乳をいっしょに食べる。ゲームをしていると、昼前にエンジン音が聴こえた。これはお母さんの車の音。

 右手にゲーム機を持ったまま、駆け足で玄関へ急ぐ。

「ごめんね、遅くなって。お姉ちゃんも帰ってこられなかったから、寂しかったよね」

「ううん。全然」

 にぱっと歯を見せて笑ってみせた。

「いまからお雑煮作るよ!」

 目の下に大きなクマができている。なのに表情は明るくて、お日さまみたいだった。

「お餅、切っててくれたのね」

「うん! 上手でしょ」

「とっても。怪我してない?」

「大丈夫だよ」

 鍋に醤油とお水を入れ、野菜と鶏肉を入れる。火が通ったらお餅を入れた。お椀によそったお雑煮に、柚子と紅白かまぼこを飾り付けたらできあがり。

「さ。いただきますしよ」

 こたつに入り、二人でお雑煮を食べた。

「おいしい?」

「おいしい。夜勤明けなのにありがとう」

 お母さんは柔い微笑みを浮かべている。

「昨日はごめんね。年越し夜勤って、誰もやりたがらないの。でも、誰かがやらなきゃいけないことなんだ」

 でも、二人で過ごす時間は買えない。

「おかげで三が日は休めるよ」

「明日と明後日は、お休みってこと?」

「そういうこと。何かしたいことある?」

 自分が恥ずかしくなった。

 年越しよりお金を優先したのだと思っていたけれど、お母さんは、三が日にお雑煮を食べさせて、二人で過ごしたかったのだ。

「いっしょにゲームしたいな」

「ええ。そんなのでいいの?」

「うんっ」

「よし。食べ終わったらいっしょに遊ぼっか」

 年越しだけが特別なのではなくて、互いを思い合う日々が特別を生むのかもしれない。

「あっ、あけましておめでとう。お母さん」

「うん、おめでとう。今年もよろしくね」

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