第七話 アンナ


 死屍累々。

 

 ミンチ肉が広がる大地。

 

 そう表現するしかない洞窟内を、クトウは一人歩く。

 

「少し、血なまぐさいな……」

 

 野盗を全滅させたクトウは、散策を開始していた。

 

 炸裂弾がばら撒かれたような洞窟奥の広場にて。

 

 赤黒い生血に彩られた大地を踏みしめながら、クトウは野盗を全滅させるために使った深淵魔法『禍汝側かながわ』について考察する。

 

 まず、野営広場で殺した野盗たちをアンデッドに変え、アジトに帰還させた。

 

 生前と同じ行動パターンを取る仲間を見て、誰も彼らが人間爆弾にされているとは思わない。

 

 すばらしい魔法だ。

 

 先制攻撃にも、敵対者の迎撃にも利用できる。

 

 宴会の最中、クトウが魔法を起動すると野盗たちは粉微塵になって消えた。


 勧善懲悪。

 

 阿鼻叫喚の中で、生者もアンデッドも等しく死という暗黒に吸い込まれていった。

 

 『禍汝側かながわ』は、こちらの魔力操作で威力や爆発の質を調整できるのも便利な点の一つだ。

 

 大爆発を起こしすぎて、洞窟を崩落させることもない。

 

「おや、生存者か」

 

「た、助けが来たの?」

 

 血と肉片が飛び散る洞窟内を掃除し終わると、クトウは囚われていた人間を救助する。

 

 野盗たちの死体は、すべてクトウの深淵魔法の材料となって消えた。

 

 生命反応がほとんど消えた、わびしい洞窟内にて。

 

 若い女性が一人、牢屋に取り残されている。


 運命の出会いであった。

 

 それが、彼女にとっての幸運であるかは、別の話である。

 

「助けていただき、ありがとうございます。私の名前はアンナ・スカーレットと申します」

 

 野盗たちが誰もいなくなったアジト内で、二人は自己紹介をする。

 

 アンナはスカーレット商会の若き会長で、父親から商会を相続したばかり。

 

 この洞窟には、誘拐されてきたようだ。

 

「街で商談をした帰り、盗賊に誘拐されてしまって……」

 

 アンナは自身が置かれていた状況を、簡潔に説明する。

 

 病死してしまった父親に代わって商会を経営し始めたばかりのアンナであるが、その能力は傑物と評されている。

 

 父が存命中から、彼女は商会の仕切りは任されていた。

 

 それも血縁が理由ではなく、実力で。

 

 アンナを妬み、殺そうとする立場の者は多い。

 

 いくつか犯人に目星をつけながら、アンナは街に帰還した後のことを考える。

 

「野営の準備をしましょうか」

 

 夜の帳。

 

 野盗たちの存在がすべて消えた洞窟の外で、二人は野営の準備を始めた。

 

 クトウによって、アンナが救出されたのは夜深く。

 

 日が出てから行動するのが合理的である。

 

 幸いなことに、盗賊が利用していた馬車と馬は無傷だった。

 

 街に戻るのは簡単だ。

 

「はあ、災難だったなぁ」

 

 沸かしたお茶を一飲みし、アンナは一息つく。

 

「帰ったら夫からも、謝礼がされると思いますので」


 夜の静寂が広がる、焚き火前。


 命が助かったことを理解した体が、本能的な興奮を沸き起こしている。


 夫の存在を示唆することで、アンナは自分の心に一線を引いた。


 目の前にいるのは、心が惹き込まれそうなほど、危険な男。


 商売を通じて多くの種族を見てきたアンナが出会ったことのない、闇の王すらも破滅させる存在。


 アンナは魂ごと、目の前の男に惹き込まれそうになっている。


 「はぁ」


 街に帰ったあとのことを考え、アンナは溜息をついた。


 汚い脅し、政略により婚約を結ばされたアンナは人質としての妻であり、夫を遠ざけている。


 仕事が忙しいという理由で、会話すら避けてきた。


 いつしか関わらないといけないことはわかっているが、どうしても体が拒否してしまう。


「私って何なんだろう……」


 気がつくと、甘い空気が流れている。


 仲睦まじく、アンナはクトウと並び、焚き火を見つめていた。


 まるで、心の奥に溜まっていた淀みが溶けていくかのよう。


 アンナはクトウに対し、自分の感情を吐露していく。


 アンナは今まで、こう生きなければ、正しくなければという義務感で生きてきた。


 それは、他人の評価は得られるが、心が重くなり、思考が軋んでいく人生の道。


 周りにいる女性は恋愛やオシャレなどをして人生を楽しんでいるが、自分は仕事ばかり。


 そのことは、特に何とも思っていない。


 自分には、普通の女の子のような恋に生きることは性に合わない。


 それは、理解している。


 いつしか、自分を犠牲にしなければという考えが当たり前になり、自分を縛り付けていた。


 それは、自作自演で自分を不幸にしているだけの行為。


 アンナは自己受容という、宝玉を手に入れる。


 クトウと話していると、数十年という人生の中で、少しずつズレてしまった自分の心が治っている。


 心が軽くなり、視界が明るくなった。


 明らかに、思考が明瞭になっている。


 まるで、清らかな朝日を浴びているかのよう。


 人と違う自分。


 人と同じになりたい自分。


 自分と他人の違いが認められなくて、他人と同じ他人を羨み、アンナは寂しいという気持ちを抱えていた。


 自分の道を歩むとは、誰かと違う道を進むこと。


 周りと違う自分を見て感じる、寂しさ、別れ、罪悪感。


 それは実在などではなく、生物的な本能による錯覚。


 理性で生きていない他人と同じ妄想の中を、自分も彷徨っていたことに気づく。


 自我、無明、執着という、自己中心性からの脱却。


 妄想に囚われて、アンナは自らが作り出した不幸の中で溺れていたのだ。


 自死すらも覚悟した、生き方からの生還。


 自分を見つめ直し、アンナの心が急速に修復されていく。


「今日だけ……旦那には内緒……」


 クトウに抱きしめられたアンナは、そのまま身も心も奪われてしまう。


 人間が味わうことのできる、究極の快楽。


 自己受容と、論理的な機能の理解。


 思考の深化。


 それは、新しい自分への変容を意味する。


 アンナが体験したのは、人類最高の快感。

 

 甘いご褒美、誘惑の時間。


「あっ……」


 アンナは恋を知った。


 魂の底までがとろけていく時間。


 ここは楽園。


 アンナの心と体は恋する相手に堕とされ、魂までが創り変えられていく。


 商会を経営する傑物として生きるはずだったアンナ。


 彼女はこの日、闇に潜む麗しき異物へと進化を遂げた。


 自分を脅し、不当に搾取する存在など粉砕し、新たなる道を創造する女神へと。


 周りに転がる、誰かが落とした利益などいらない。


 自分の心が、宝石のように光り輝いているから。


「そっかぁ。私を誘拐した犯人、分かっちゃった」


 アンナは魔の領域を歩む、深淵なる生命へと生まれ変わった。

 

 

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最低最悪のメサイア ~ 冒涜者、偽りの神話を喰らう ~ うたかたとわ @daisansekai

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