第4話




§



 火が消し止められ、現場検証や事情聴取などが終わった頃には、日付は零時を回ろうとしていた。

 慌ただしい手続きの嵐が去り、ようやく解放されると、僕は近所の公園のベンチに座り込み、夜空を見上げていた。

 手元にあるのはスマホと財布。そして着の身着のままの自分だけ。



 アパートは全焼だった。出火原因は、一階の住人のタバコの不始末らしい。

 もらい事故もいいところだ。



「・・・・・・詰んだな」



 鉛でも吐き出すみたいに、僕は呟く。

 スマホの画面を見る。そこには母親の連絡先が表示されている。発信ボタンを押せば、きっと助けてくれるだろう。父には頭を下げ「やっぱり無理でした」と認めれば、温かい布団で眠れるだろう。

 指が震える。



 プライド? 意地? そんなものは燃えカスほども残ってないだろうに、どうしてもボタンが押せない。

 ここで帰れば、僕は一生、自分の人生を取り戻せない気がした。

 かと言って野宿をするサバイバル能力も、お金を創出する想像力も、気力もない。



 ぐぅぅぅぅぅ。と、不意にお腹が鳴る。

 そう言えば、晩ご飯がまだだった。 空腹と絶望で、僕の心は孤独に苛まれていた。僕はその場で深くうなだれていると、不意に声が掛かった。


「やっぱり放っておけないよ・・・・・・


「お姉さん・・・・・・?」



 僕は思わず顔を上げると、そこにはさっき別れた筈のストーカーのお姉さんがいた。



「な、なんでここに・・・・・・?」



 僕は驚きと呆気に取られていると、お姉さんはバツが悪そうな顔を背けながら言った。



「帰る時に、君の家の方角からサイレンの音が鳴ってたから心配で・・・・・・それで悪いとは思いつつ、見に行ったら火事で・・・・・・。でも警察の人もいたし、また捕まるのも怖かったし、君が一人になるのを待ってたの」


「・・・・・・・・・・・・」



 なんか色々怖いんだけど、でも恐怖よりも安堵の方が勝っていた。僕の心は相当に参っているようだ。お姉さんの粘着質なストーカー行為よりも、側にいてくれる人がいるという安心感が上回るなんて。

 黙り込む僕に、お姉さんは何度も「ごめんね、また後を付けるような真似して・・・・・・でも心配だったから



 お姉さんは心底申し訳なさそうに言うけれど、別に咎めるつもりはない。僕は自然と、「心配してくれて、ありがとうございます」と呟いていた。

 するとお姉さんは意外な反応だったとばかりに目を丸くする。



「あ、そうだ。よかったらこれ食べる?」



 お姉さんは気を取り直すと、トートバックからタッパーを取り出す。それはさっきも見た、作り置きの料理。お姉さんはタッパーを開けると、そこに入っていたのは、

「この肉じゃが・・・・・・」



 それはさっき、地面に落としたやつじゃ・・・・・・。

 僕が思わず言葉に詰まると、お姉さんは言わんとする事をすぐに察して、慌てて補足する。



「心配しないで! 一度家に帰って新しいものを詰めたやつだから!」

「え、一回帰ってるんですか?」



 わざわざ家に帰って料理を詰め直し、僕が一人になるまでこんな深夜まで待っていたのか?

 その覚めやらぬ熱量に、僕は恐怖よりも先に安堵が先に来ていた。

 孤独でうずくまっていた僕に、これほどまでに温かい手を差し伸べてくれる彼女が、僕にとっては大きな救いだったのだ。

 けれど、この手を取る事を迷う。



 確かに、彼女の優しさは有難い限りだけれど、もしこの手を取れば、粘着質な彼女に絡め取られてしまうかもしれないという不安があった。



 でも同時に、それを拒絶する力は僕にはなかったし、お姉さんの温情を無下にするのも憚られた。

 それは言い訳だろうか?

 実家に帰りたくないという僕の勝手な理屈だろうか?

 ・・・・・・分からない。ただ今は、お姉さんの優しさが心に染みるのだけが確かだ。

 僕は震える手でタッパーを受け取り、素手でそれを掴もうとした時、瞬時にお姉さんがそれを制する。



「割り箸持ってきたから使って?」



 そう言って箸を一膳渡された。準備がいい。僕は割り箸を割って、肉じゃがをつまむと一口口に入れた。すると――美味しい。甘塩っぱくて、空腹の体に味が染みた。急なエネルギー補給に目眩を起こすほどだ。



 不覚にも、僕は涙が滲んだ。

 他人の手料理を食べるのは、

実家にいた以来だ。人の手が作る料理は、なぜこうも心に染みるのだろう。



「美味しいです」



 固唾を吞んで味の感想を待っているお姉さんに気付いて、僕は遅蒔きながら感想を言うと、安堵の溜め息が聞こえた。



「よかった、嬉しい」



 お姉さんは溜め息交じりにそう言った。その言葉を聞くと、彼女の手料理に込めた想いが透けて見える。

 彼女はストーカーだ。それは間違いない。けれど、彼女には僕を想う気持ちがあった。

 過去のストーカーを美化するつもりはないけれど、でも彼女の中にある親切心や優しさをも否定するつもりはない。



 さらに一口、二口と肉じゃがを食べ進めていく。空腹だから、手が止まらない。

 それを見守るお姉さんが、優しく僕に語りかける。



「辛かったね。でも今だけは、お腹いっぱいになって幸せになってね?」



 彼女の言葉が僕の胸を打つ。それは波紋を作り、僕の涙腺を刺激する。 東京に来て、僕は常に不安だった。先行きの見えない不安。生活するので精一杯で、自分が何者かも見つからず、ただ時間だけが過ぎる日々への不安。そこへ追い打ちをかけるように、なけなしの財産が消し炭になった。

 色んな苦しみが僕を苛む。



 けれど、お姉さんはその悲しみに寄り添ってくれる。その事が、僕には大きな励みになった。

 僕は食事を終えて一息吐くと、お姉さんはタイミングを見計らっていたように、僕の名前を呼ぶ。



「・・・・・・ねぇ」



 彼女の目が、僕を捉える。真剣な眼差し。吸いよせられそうなほど綺麗な顔がそこにある。

 真剣な眼差し、表情を向けながら彼女はおもむろに言った。



「よかったら、うちに来ない?」

「え」


「部屋は余ってるし、君のアパートよりも住み心地は絶対いいよ。それに猫もいるし」


「猫」



 いや、猫がいる魅力に惹かれた訳じゃない。単に反応しただけだ。



「君が元の生活に戻れるまで、私の家に居候しない? もちろん、君がよければだけど・・・・・・」



 そう言って最後、語気が弱くなるのは、自身が僕にした事があるから強く出られないからだろう。

 僕も迷う。ストーカーしていた大姉さんの家に居候? 普通なら有り得ない。けれど、今の僕の状況を考えたら、これほどまでに都合のいい話もない。



 だが、あまりに美味い話過ぎて、彼女の差し伸べる手が、神の救済なのか、悪魔との契約なのか、見分けが付かなかった。

 僕は思わず訊ねる。



「なんで、そこまでしてくれるんですか?」



 彼女の行き過ぎた善意は、凡庸な僕の価値観では図りきれなかった。僕が納得する答えが返ってくるとも思えなかったけれど、お姉さんは僕の質問に答える。



「君は、私の理想の男の子なの。儚げで影があって、放っておけない。だから君が困ってたら助けてあげたい」



 ――理想。

 何者でもない僕に、お姉さんは価値を見出している。価値ある人間だとして見てくれる。

 そんな彼女が、僕にとっては特別に思えた。

 僕は改めて考える。

 このまま実家に帰って心を殺すか。 ストーカーのお姉さんの元で一緒に暮らすか。

 その二択を比較した時、悩むまでもない事に至る。



「――ちなみに、家賃の相談って出来ますか?」



 僕はそう問うていた。

 するとお姉さんはニコリと笑って頷いた。


「もちろん」

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