第3話




§



 仕事が終わると、時刻は十八時を過ぎていた。僕は帰る前にコンビニ弁当を買って帰り、家路に就く。

 僕が住むエリアは、次々と都市開発が進む中で網の目を掻い潜るようにして生き残った、時代から取り残された一角だった。古い町並みが続き、ここだけ昭和の空気を薄く引き摺っていた。



 その町で、一際年季の入ったアパートがある。それが僕の根城だった。名を『キャッスル』



 築五十年、ワンルーム、家賃三万、風呂なし、トイレ共用。壁は薄く、左の部屋からは楽器の音が響き、右の部屋からは毎晩違う女性の喘ぎ声が聞こえてくる。そして天井裏からはネズミの足音が音を立てる。

 壁が薄すぎてワンルームというより、一軒家に同居してるみたいな感覚だった。もはやアパート全体が一つの家みたいだった。



 なにがキャッスルだよ、ここのどこが城なんだよ。笑わせるなよっ。

 と、悪態は吐くものの、実家から逃げ出した僕にとっては、この惨めな自由だけが唯一の財産だった。

 ――けれど、その自由は唐突に、暴力的なまでの必然性を持って奪われる事になる。




「――あの」



 不意に背後から肩を掴まれた。

 僕は咄嗟に振り返り――そこにいたのが警察官だと気付いた瞬間、条件反射で謝罪を口にしていた。



「す、すみませんでしたぁっ!」

「――は? 君、なにかしたの?」



 そこには男性警官が立っており、僕の突然の謝罪に呆気に取られた様子だった。けれど、すぐに気を取り直して警察官は僕に相対する。

 そして直後、僕の不信な態度をキッカケに職務質問という名の自尊心を削られる時間が訪れる。そして身の潔白を証明し、不毛な時間を終えると本題に入る。

 ここからが本題である。



「最近この辺りで不審者が出没してるんだ。それで、さっき君を付けていた女性を確保したんだが、心当たりはあるかな?」



 僕を付けている女性の不審者と聞いて、さっき金剛先輩と話したフルフェイスの常連さんを思い浮かべる。 そして僕は警察官に連れられ、街灯の下に向かうと、そこには一人の女性がもう一人の男性警察官と一緒に立っていた。

 僕は彼女の顔を見た瞬間、その顔に息を吞む。



 ――端的に、その女性は美人だった。それもとびきりの。

 端正な顔立ち、筋の通った鼻、きめ細やかな眉、大きくつぶらな瞳。一つひとつのパーツが一級品で、それらが黄金比率によって並び、美人という一つの芸術を作り上げていた。



 そして顔立ちだけではなく、スタイルも抜群だった。とくに胸元のラインが自然と目を引いた。シンプルな薄手のニットを着て、とくに強調している風でもないのに自然と目を引く豊かな稜線があった。

 その女性は警察官と揉めている最中だったが、僕の存在に気付くと目を丸くして、そしてすぐに慌て始めた。



「あっ、き、君・・・・・・! あのっ、これはちがくて・・・・・・!」

「・・・・・・?」



 僕の顔を見るや否や、しどろもどろに言い訳し、要領を得ない。

 だが、この時の僕は彼女の態度よりも、その容姿に引っかかりを覚えていた。

 この人、どこかで・・・・・・。

 僕はジッと彼女を見つめると、その女性は一瞬目が合うと、恥ずかしそうに顔を逸らした。



 僕はしばし考え込んでいると、不意に彼女の挙動不審さに身に覚えを感じる。



「あれ、お姉さんもしかして・・・・・・」

「君、この女性と面識あるのかい?」



 僕がそう言うと、警察官の一人が確認を取るので、僕はゆっくりと頷く。



「お姉さん、常連のお客さんですよね? 僕が勤務するコンビニの」



 すると彼女は、改めて僕の方を振り返り、瞳を潤ませながらゆっくりと頷く。その時のお姉さんの表情は恥ずかしそうな、気まずそうな、複雑な感情が見て取れた。



「君たちの関係は店員と客? 他にもある?」

「いえ、ただの店員とお客さんです」


「ふーん。それで、店に通ってるうちにこの子の事が気になって付けていた、と」



 警察官の一人が独り言のように言いながらお姉さんの方を向いた。

 疑いの目を向けられたお姉さんは慌てて返事をかえす。



「つ、付けてたっていうか、彼の事が心配で・・・・・・」

 すると警察官は首を傾げる。

「心配とは?」



 すると彼女は、一呼吸置いてから、少し早口で捲し立てた。



「若いのに週五で働いていて、毎晩コンビニ弁当を食べてるんです。それで私、栄養バランスとか生活は大丈夫なのかと心配で・・・・・・」


「・・・・・・!」



 それを聞いて、僕はゾッとした。

 なんで僕が週五で働いていて、毎晩コンビニ弁当だって知ってるんだ? それはつまり、僕の事を毎晩付けていたからじゃないのか?

 彼女の言葉を受けて、僕がこれまで感じていた視線の正体を知る。

 警察官も今の話を聞いて確証を得たとばかりに相槌を打つ。



「つまり、ストーカー行為を認めるという事だね?」


「なんでっ? 話聞いてましたかっ? 私はただ心配でっ・・・・・・別になにもしてません!」


「今の話で『なにもしてません』は通らないんだよ! 君の発言自体が、彼を毎日監視していた証拠になってるの!」


「違います! 心配だっただけなんです! 信じて下さい!」



 彼女は悲痛な声で警察官に詰め寄るも、肩を押されて突き返される。

 と、その時だった。肩を押されたあ際にお姉さんが肩に下げていたトートバックが勢い余って滑り落ちた。そしてガシャン、と鈍い音を立てて地面に叩き付けられ、中身が飛び出す。



「これは・・・・・・」



 トートバックから出てきたのは、大量のタッパーだった。煮卵、きんぴらごぼう、肉そぼろ。

 中には、落ちた衝撃でフタが外れ、こぼれ落ちたものもあった。――肉じゃがだ。

 折角美味しそうに出来ているのに、無残にもアスファルトに散らばり、砂利に塗れていた。その光景を目の当たりにすると、少し胸が痛んだ。



「あ、あぁ・・・・・・」



 お姉さんは崩れ落ちるように座り込むと、こぼれ落ちた肉じゃがを素手で拾ってタッパーに閉まっていく。砂利だらけの肉じゃがを拾い上げる彼女の手は白く透き通っていて、アスファルトとの対比によって一層、綺麗に見えた。見えたからこそ、地面に溢れた肉じゃがを拾うその手が汚れていく様は、見ていて居たたまれなかった。



「これ、あなたの手作り?」



 警察官の一人が、どこか同情めいた声で言う。彼女は、躊躇いつつも「はい、そうです・・・・・・」と呟いた。



 その声が震えていたから、彼女を見やると、目が潤んでいた。泣きそうになるのを我慢していたが、やがて耐え切れずに嗚咽を漏らした。



「う、ぅぅ・・・・・・これ、この子に、食べさせて、あげ、たぐぅっ、てぇ・・・・・・」



 涙と一緒にお姉さんの本心が溢れ落ちた。その言葉に嘘がない事は明白だった。いくら泥を塗っても全て弾かれる潔癖さが、その言葉にはあった。心から出た言葉は悪意を撥ね除ける。だからきっと、彼女の言った事は本当で、本心だ。

 正直、ストーカー行為は怖かった。夜も眠れないほどに。



 けれど、涙を流しながら泥だらけの肉じゃがを拾う彼女を、どうしても「悪い人」だとは思えなかった。



「・・・・・・事情は分かりました」



 警察官も彼女の内面に触れて、悪意がない事を確認したのだろう。口調が柔らかくなる。



「あなたに悪気がない事は分かったから、今回は注意に留めるけど、相手が誰だろうと後を付けられたら怖いし、次からは絶対にこういう事はしちゃダメですよ?」


「はい・・・・・・ごめんなさい・・・・・・・・・・・・」



 ――こうして、事態は意外な形で収束を迎える。

 彼女は深々と頭を下げ、逃げるようにその場を去っていった。

 僕はその背中を見送りながら複雑な溜め息を吐いた。

 これで終わった。もう関わる事もないだろう。



 意外な事の顛末だったが、これでもう、不安な夜を過ごす事もない筈だ――そう、思っていた。話はここで終わらない。

 僕は再び家路に就くと、ふと鼻をつく焦げ臭さに触れる。

 そして、遠くでサイレンの音が鳴り響いている。



 なにか、イヤな予感がする。僕の足は自然と早足になっていた。

 次の道を曲がった先に、僕の住むアパートがある。だが、そこにはいつもと違う光景が広がっていた。



「・・・・・・は?」



 燃えていた。

 僕のアパート『キャッスル』が。築五十年のボロアパートが、まるでキャンプファイヤーのように勢いよく燃えていた。



「危ないから下がって!」



 消防隊員の怒号が飛び交う中、僕は呆然と立ち尽くした。鎮火活動の水飛沫と、爆ぜる木材の音。

 僕のなけなしの財産が、家もろとも燃え尽くされようとしている。

 僕はただ、その終焉を見つめる事しか出来なかった。

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