早起きの徳

小狸

掌編

 私は大体、朝4時半くらいに目が覚める。


 早朝から勤務する仕事をしているというわけではない。


 そういう習慣が、身体に染み付いてしまったのである。


 前職のせい、なのだろう。くたくたになって、朝作り置きしておいた食事を申し訳程度に食べ――食べない時もあった――そんな極限状態と、パワハラ気質の上司に耐えきれず、私は前職を辞めたのだった。


 私は、きっと朝型人間なのだろうと思う。


 前職でそういう習慣がついていて気付いたけれど、朝早く起きることに抵抗がない。朝早くに起きて何かをする方が集中できるのである。その分、夜は相当早めに寝ているという自負がある。


 まあ、無理と無茶の連続で何とか成立しているみたいな前職であったから、仕事をしている時間はまあ大変であったけれど、何とかしがみ付くことができていた。


 今は仕事を変え、仕事もプライベートも、充実――とはいかないまでも、何とか自分のやりたいことができているという感じである。とは言っても、常識の範囲内の話だ。私もこうして掌編小説をたびたび書いているけれど、それが生活の基盤にしようとは思えない。小説だけでは、食べていけない――と、新人賞を受賞した人々は言う。きっとそれはその通りなのだろうと思うし、実際に業界を――作家志望という視点ではあるけれど――見渡してみれば、兼業で小説を書いているという先生の方が多い印象である。


 そんな私の正月休みは、今日で終わった。

 

 いや、正確には昨日で、か。


 1月5日月曜日の早朝に、私はこの文章を書いている。


 今日から仕事である。


 早起きは三文の徳、という言葉があるけれど――あの言葉はどうなのだろう。現代の価値観から考えると、なかなかどうしてそう割り切ることは難しいことなのではないか、と私は思ってしまう。まあ昔の言葉を現代の価値観に照合する行為自体が無意味極まりないのだが、付き合ってほしい。


 実際のところは、早く起きたとしても、「あーあ、今日が来てしまった」と現実に直面させられることばかりではないか。


 子どもの頃なら、勉強する時間に充てるとか、ラジオ体操に行くとか、何かしらあったけれど、今となっては、早起きしたら金でももらえるのか、とか思ってしまっている。発想が腐敗してしまっている。


 適当にウィキペディアで調べたところ(故に信憑性があるとは言い難いのだが)、その言葉は中国が宋の時代から存在することわざなのだそうだ。


 そんな時期からある言葉を、令和の価値観に当てはめるのは、やはり無粋であろう。私は考えることを止めて、さっさと出勤の準備をした。


 溜息、は、出なかったが、どこか陰鬱な雰囲気は帯びていたように思う。


 元々陰鬱の気はあるが、外出時はそれを抑えて社交的な振りをしている。


 仕事に行きたくない、一刻も早く転職したい、という職場ではない、むしろホワイトである方だけれど、それでもいざ今日から仕事、となると、誰しも荷が重くなるものではないだろうか。幸いにも今日は、私の住んでいる地方では雪が降ることはない。寒いが快晴である。それは純粋に良かったと思う。後は――一月といえばセンター試験、いや、今は大学入学共通テスト、なのだったか。あの時期は、子どもも親御さんもピリピリするものである。せめて試験の日に雪が降らないことを祈るとしよう。それが私にできる精一杯である。


 とか。


 そんなことを考えているうちに、出勤する準備が整った。


 行くかあ。


 そう思って、忘れ物がないかを確認して、洗面所の鏡を見た。


 鏡には、申し訳程度に社会人として失礼のないくらいの化粧が施された、私の顔面が映っていた。


 そこで。


「にっこり」


 と、口に出して。


 私は笑顔の練習をした。


 以前、とある事件から、私は笑顔ができなくなった時期があったけれど、今ではすっかり、笑顔の擬態ができるようになってきた。


 その事件のことを語ることは未来永劫ないだろうが、要するにトラウマである。


「よし」


 今日の笑顔も、悪くない。


 器量が特別良いわけではないが、悪くはないのだから、まあ良いだろう。


 荷物を持って、玄関の扉を開けた。


 朝日が、遠くのビル群の隙間から見えた。


 慣れた景色のはずなのに、柄にもなく、美しいと思った。




(「早起きの徳」――了)

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