君の心臓に入れ墨を彫って、私の記憶を一生刻みつけたい。
雀内一
第1話 カラフル弁当
弁当のご飯は固い。
朝、家を出てから昼休みまでの間ずっと12月の空気に冷やされていたのだから、炊いた米が固くなるなんて普通のことだ。
けれど、委員会の集まりを終えた12時35分。
今から皆が食べ終わっている教室で食べる弁当のご飯は、ことさら固く感じる。
だからそんな日は、誰も居ない場所で手早く飯を済ませるに限る。
俺、
吹奏楽部の大会前の期間こそ、熱心な部員が数名練習していることがあるものの、今はテスト前の部活動停止期間だからそんな心配はない。
音楽室に入ると中は静まり返っていて、4限目まで暖房を付けていた名残がじんわりと身体を包みこむ。
弁当の匂いを室内から逃がすため、窓を開ける。
冷たい風が服の隙間から地肌を撫でるが、今は我慢するしかない。
そして……
「えっ」
という声につられてベランダの方を覗き込むと、クラスメイトの
東和の少し赤らんだ手に抱えられた小さい弁当箱には、色とりどりの錠剤がぎっしり詰まっていた。
「ごめん、邪魔した」
窓を締めると、風を防いでくれる建物のありがたさを実感する。
仕方ないが、弁当は教室で食べるしかない。
「ちょっと!」
ちょうど鍵をかけようとしたタイミングで窓を勢いよく開けられて、危うく指を挟みそうになった。
「あっ、ごめん大丈夫?」
「大丈夫だけど……どうした」
「えっいや、どこ行く気?」
「教室」
「なんで」
「女子だし、話したこと無いし」
「なんで」
「邪魔しちゃ悪いだろう」
「そんだけ?」
「他に無いだろ」
「薬漬けのヤバい女が居るとか言わない?」
「インスタ映えするチョコかと思ったけど、本物なの?」
「そうだよ。てか勘違いしてんなら言って損したじゃん」
あーあ、と東和はわざとらしくため息を付く。
今まで東和とひとこと以上話したことは無かったが、クラスでの様子と何も変わらない。
他人との距離が近くて、分け隔てない。
「じゃ、そういう事だから教室戻るわ」
「そういう事じゃないって」
こんどは袖を掴んで引き止められた。
「本物の薬だよ?」
「多いな」
「うん、ヤバい女でしょ」
「大変そうだ」
東和はしびれを切らしたように長くて重い溜息をつく。
「あのさあ、もっと他にあるでしょ」
「お大事に」
「違う」
「頑張って」
「そうじゃねえだろ」
そう言って東和は自分の弁当箱を指差す。
「一緒に食う?」
「そうだね一緒に食べよっか。って、んな訳あるかい」
東和のツッコミが俺の腕にビシ、と決まる。
男子の手とは違う、質量の小さい衝撃が心地良い。
「なんで飲んでるの、とか何の薬、とか聞くでしょ普通」
「頭を良くする薬とか?」
「ちげーよ私クラスで10位だっつの」
「俺は3位だから」
「あ?」
「10位は頭良いです」
「上位25%なんだから良いに決まってんじゃん。てか
「たぶん父さんの教育方針、かな」
「口うるさい系?」
「全然。俺がそうしたいからやってるだけ」
「お父さんのこと好きなんだ」
「そう言う東和はどうなんだよ」
「私も好きだよ。両親も、おじいちゃんおばあちゃんも、クラスのみんなも。だから余計に辛いんだけどね」
東和は弁当箱から同じ形の錠剤だけ5つを手の平に載せ、まとめて口に放り、お茶も使わずそのまま飲み込んだ。
「
「女子と弁当食べるのなんて高校入って初めてかもな」
「私のは弁当に入らないでしょ」
東和は他の錠剤も選びながら飲み込む。
「特発性結合組織溶解症候群。薬で進行を遅らせないと、全身の肉も、皮膚も、内臓も、どろどろに溶けていく病気。だからその今にも崩れ出しそうな身体を繋ぎ止めるための色んな成分が、この薬には入ってるの。家に帰れば点滴も」
「大変そうだな」
「ほんと、嫌な事ばっかり。……あ、でも1つだけ良いことあるんだよ。薬の影響で肌の触り心地が凄く良いんだ、ほら」
東和が差し出した手に触れる。
まず冷たさが、次に俺の皮膚を包み込んで一体となるような感触が伝わった。
「すごいな」
「そうでしょ。でも薬は量が増えて、効果も落ちて、あと1年も持たずに死ぬ。最後は見た目も痛みも、死んだほうがマシってくらいになって」
東和は自嘲気味に笑う。
「だから海外で安楽死することにしたんだ。ヨーロッパ観光して、楽しい思い出のまま、綺麗な身体のまま死ぬの。半年後の6月8日に。もう予約も取ってる」
身近……と言うほど東和は身近な存在では無いが、身近な人の死というのは心が落ち着かない。
俺が米の固さに悩んでいるその瞬間に、同い年の女子は死に方について考えている。
「だからこの事は絶対に言わないでね。言ったら殺すから」
「言わないよ」
「本当に殺すからね。どうせ死ぬから裁判なんて怖くないし」
「みんなとの別れ方なんて東和が決める事なんだから、俺が何かすべきじゃない」
東和は少し考えたような素振りの後、俺の弁当箱を覗き込む。
「美味しそうだね」
「煮物と肉巻きは母さんの得意料理なんだ。味見する?」
「
「薬だけだと腹減りそうだけどな」
「栄養剤もあんの」
そう言って東和は赤色の缶飲料を開けてごくごくと飲む。
「甘すぎて不味いよ。味見する?」
「飯食うときはジュースよりお茶派だから」
差し出された缶の飲み口から目を反らし、水筒のフタをカップにしてお茶を注ぐ。
外だけでなく内からも冷えていた身体に、熱々の麦茶が染み渡る。
「ちょーだい」
俺は東和と水筒を貸してやるような間柄になった覚えはない。
でもまあ……顔は良いし、断る理由も無いか。
空のカップに湯気の立つお茶を注いで渡す。
「くれるんだ。私達そんな仲良かったっけ?」
「要らないならいい」
「欲しい!欲しいから欲しいですお願い」
お茶を溢さないように慎重に持っていた俺の手から、東和はあっさりとカップを取り上げて口を付ける。
「
東和の吐いた息が、ベランダに白く立ち上る。
「可哀想だから?」
「ん?」
「私が可哀想だと思ったから、頼み聞いたんでしょ。薬漬けにされて、高校生で死ぬなんて、運が悪いよね」
「可哀想なことも無いだろ」
「可哀想じゃないことも無いでしょ」
「そりゃそうだけど」当たり前だ。
「じゃあなんで?」
東和は首を傾げて覗き込むように尋ねる。
「俺に損が無いのなら、誰かが得をした方が良い」
「それだけ?」
「それだけ」
「私が可愛いからじゃなくて?」
「ブスだったら損だから、それも関係あるな」
「じゃあ誰なら断ってた?」
クラスメイトの顔を思い浮かべてみるが、誰が相手なら断っただろうか。
「誰も断らないかもな」
「淵って
「それは無いだろう」
どちらかと言えば、博愛主義なのは東和だ。
「いや”薄い愛”って書いて薄愛主義ね。知り合いは多いけど友達は少ない、みたいなやつ」
「東和みたいな陽キャと俺の違いは、抱えられるものの量だと思う。どうせ両手に抱えきれない人間関係なら、最初から手を出さない」
「いや陽キャって、そんな区別しないでよ。でもそれ寂しくない?」
「本当に大切なものを落とさないためだから、俺はこれで良いんだよ」
「なら私が死んでもすぐに忘れそうだね。でも卒業くらいまでは覚えてろよ?卒アルに合成写真で2年の姿のまま載ってやっからな」
たった1回、昼休みに偶然話しただけのクラスメイトを、俺はいつまで覚えているだろうか。
「たぶん死んでから1週間くらい。そこから卒業までは誰かが話題にした時に。あと毎年お盆」
「へ?」
「東和の事を考えるタイミング」
「誰かが話題にした時って、ちょっと冷たくない?そこは空っぽになった私の座席を見て毎朝とか、色々あるじゃん」
「転校とか経験したこと無いから分からないけど、そういう座席ってそのままにするかな」
あー……と東和は呟き、目を伏せる。
「片付けられちゃうか」
「座席変えも大変だろうから、そのままかも知れなけど」
「人情味の無いフォローだな」
「愛が薄いもので」
「それで結局、いつまで覚えてるの」
「お盆だけだな」
「それって10年くらい?」
「毎年って言ったら毎年だよ。死ぬまで毎年」
「淵と話してると、本音なのか冗談なのか分かんなくなる」
――ブォン。
スピーカーからノイズが聞こえて、数秒。
昼休み終了の5分前を告げる鐘が鳴った。
「そろそろ教室戻らなきゃな」
残ったおかずとご飯を口に詰め込んで弁当箱を片付ける。
「淵、ID教えてよ」
差し出されたスマホのQRコードを読み込むと、アプリのフレンド欄に『るり』が追加された。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます