第3話 すたーと

 入場後、わたしは少し遅れてホールに残った。


 人が多い。

 でも、輪は自然にできていて、そこにわたしの居場所はない。

 誰かの隣に立つ勇気も、声を掛ける理由もない。


 だから、壁際。


 包帯越しに冷たい壁を背にして、片目だけで周囲を見る。

 参加者は、ざっと見ただけでも相当な数だ。百人どころじゃない。

 ――千人くらい、いるのかもしれない。


 天井近くに設置されたモニターが、一斉に点灯した。


 アナウンスは、感情のない声だった。


『イベント期間は七日間です』


 一週間。


 思っていたより、長い。


『期間中、ダンジョン外への退出はできません』


 当然だ。

 それでも、胸の奥で小さく音がした。


『ただし、棄権は可能です』


 棄権。


 逃げ道がある、という事実が、逆に現実感を強める。


『ポイントによって順位が決定されます』


 モニターの表示が切り替わる。


『ポイント算出要素は二つ』


 《到達深度》

 《モンスター討伐数》


 シンプルだ。


『いずれも、ダンジョン内拠点への帰還後に集計されます』


 ……帰ってこなければ、意味がない。


 奥まで行って、戻れなければ無効。

 倒しても、帰還しなければ無効。


 生きて、戻る。

 それが前提。


『途中経過の順位表示は行われません』


 最後にまとめて、だ。


 静かなざわめきが起こる。

 納得した声、不満そうな声、既に覚悟を決めた顔。


 わたしは、何も言わない。


 言えない。


 説明が終わると、参加者たちはそれぞれ動き始めた。

 誰かと組む者。

 一目散に奥へ向かう者。

 準備エリアで装備を整える者。


 わたしは、取り残された。


 ……まあ、予想通りだ。


 その場に残っているのは、わたしだけ。

 そして。


 床に残った、いくつもの傷。


 さっき。

 わたしのスキルが、勝手に撒き散らしたもの。


 細い裂傷。

 爪で引っ掻いたような、浅い傷。


 人はいなくなったのに、それだけが残っている。


 ……大丈夫かな。


 急に、不安になる。


 誰か、怪我してないだろうか。

 地面、崩れたりしないだろうか。


 わたしは、ゆっくり近づいた。


 傷の一つに、そっと触れる。


 確認するだけ。

 それだけのつもりだった。


 その瞬間。


 足元の感覚が、薄れる。


「……え」


 視界が、引き延ばされた。


 血管みたいに。

 傷から、傷へ。


 意識が、細い道を辿る。


 次に足がついたとき、そこはもう別の場所だった。


 荒れている。


 床は抉れ、壁には爪痕。

 少し離れた場所で、何かが動いた気配がする。


 ──戦闘の跡。


 わたしは、息を呑んだ。


 今のは。

 ……移動?


 脳内に、静かに表示が浮かぶ。


 《派生スキル発現》

 裂脈ノ傷


 傷に、触れた。

 それだけで。


 わたしは、元いた場所を振り返る。

 当然、もう見えない。


 心臓が、どくどく鳴る。


 怖い。


 でも。


 ──えへ。


 誰もいない。

 でも、誰かが居た場所だ。


 傷が、残っている場所。


 わたしは、ゆっくり包帯の端を押さえた。


 ……これなら。


 静かな場所には行けない。

 何も起きていない場所にも行けない。


 でも。


 何かが起きた場所なら、辿れる。


 一週間。


 千人の参加者。


 その中で。


 わたしは、傷を辿って進む。


 見られるために。

 忘れられないために。


 そう思いながら、わたしは一歩、奥へ踏み出した。




 ─────────────────────

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る