第3話
「さて」
床に座らされた俺を見下ろし、赤髪の女は小さく手を叩く。
「まずは事実確認からいきましょうか、青葉くん」
愉快そうに細められた赤い瞳は、逃がす気のない視線で俺を捉えていた。
「うちの大事な大事な部員の着替えを覗いたわよね?」
そっと顔を寄せ耳元でそう囁く。彼女の吐息が体を駆け巡り、蜘蛛の巣に絡め取られたような錯覚を起こした。
いや、実際彼女達の罠に嵌められた感触はある。
扉越しから聞こえてきた会話。
着替え中の少女と、示し合わせたようにシャッターを切る少女。
覗かれた当人の反応の薄さ。
アリスと呼ばれた彼女の言葉がフラッシュバックする。
「よくやったわ焔、
「…やりやがったな」
「何のことかしら」
はて、とわざとらしく首を傾げる。
「こんな事をして何をしようっていうんだ!」
「あまり興奮しないで青葉くん、まだあの時の焔の姿が目に焼きついているのかしら」
「アリス様、少々やり過ぎですよ。目的をお忘れですか?」
俺を後ろ手に拘束している焔と呼ばれた少女は、熱も感情も感じられない声で制止する。
「確かにこんな事しても時間の無駄ね。そもそも私に人をいたぶる趣味はないわ」
それにしてはたいそう楽しんでおられたのでは、と抗議の視線を送る。
「何か言いたげね、青葉くん。まあいいわ、早速本題に入りましょ」
ドサっと机に腰を下ろす赤い少女。組まれた足は威圧的で、見えそうで見えないパンチラインは水平線を描いている。到底メイドとは思えないような天上人の態度。
「その前に教えてくれ。お前たちは何者で、
「青葉くん、口のききかたには気をつけなさい」
明らかに怒気を孕んだ言葉だった。
状況は相変わらず不明瞭だが、少なくとも俺が巣の外にいないことだけは理解できる。どこかに糸の緩みはないものか。
「でも、君の言っていることも一理あるわ。こちら側だけ君のことを一方的に知っているのも不公平だものね」
一人で納得したように頷いた。
「まずは自己紹介といきましょうか」
こほん、とわざとらしく咳払いをする。
「私の名前は九条アリスよ」
「……九条。まさか」
「ええ、その“まさか”。この学園を作った九条家の娘よ。一応あなたの先輩だからね」
先ほどの支配者の表情とは打って変わって、愉しげにイタズラっぽく微笑んでいる。
しかし、この学園の創設者の一族か。どおりでメイドらしくないわけだ。
「そして、さっきから君を押さえつけているのが
「別にいらないよ」
嘘である。実のところ、こんな状況でさえなければすぐさま告白してあっさり振られてしまいそうなぐらいには好みである。さらに言うと、先ほどの光景が目に焼き付いて離れないのは図星である。
「最後に、青葉君。いえ、青葉紅葉君。」
先程までの冗談めいた声音ではなく、真っ直ぐ透き通った声で俺の名前を呼んだ。
「君はこの学園じゃそこそこの有名人よ」
「……俺が?」
「外部進学生でありながら、ディアフォロンになったんだもの。九条学園始まって以来、二人目よ」
俺は少し驚いた。驚きはしたが、胸が躍るようなものではなかった。言われてみればそうなのかもしれない、という程度だ。
自分が何か特別な存在だという実感は相変わらずどこにもない。
「私は皆以上に君のことを知っているわ。焔に君のことを調べさせただけだけどね」
そう言うと彼女は机から立ち上がり、まるで小説の中の探偵のように俺の周りをゆっくりと歩き出す。
「青葉紅葉。外部進学生。家族構成は父・母・妹の四人。父は地方公務員、母はパート勤務。特筆すべき後ろ盾なし。成績は入学当初から上位安定。趣味は読書とボードゲーム。年頃な本の隠し場所はベッドの下。内容は――言わなくても分かるわよね。」
淡々と読み上げられる俺の情報。おいちょっと待て何でそこまで知っているんだ。
「確認できた親しい友人は、片目で足りる程度」
「何でそこの部分だけ楽しそうなんだ」
俺の反応でアリスは満足そうに微笑む。
「そして、今日君がここに来ることも最初から分かっていたわ」
自信満々にアリスはそう語った。
「それで、こんな状況まで作って俺の弱みを握って何がしたいんだ」
「単純なことよ」
「青葉君、この学園奉仕メイド部に入りなさい」
そうか、そんな単純なことなのか。初めは何がしたいのか理解ができなかった。
「その前に一旦待ってくれ」
今となっても理解はできない。
「お手洗いに行かせてくれ」
ここから逃げよう。
***
そう簡単に逃げられるはずもなかった。
アリスは思いのほかあっさりとトイレに行くことを許してくれた。
もちろん監視付きで。
「アリス様からは、少しでも怪しい動きをしたら何をしてもいいと仰せつかっておりますので、くれぐれもそのようなマネはしないように」
聖焔の声にはやはり、人間らしい温度は感じられない。
「ああ、分かっているさ」
当然分かってなんかいない。今尚虎視眈々と正レギュラーを…じゃなくて虎視眈々と逃げ道を探している。
しかしこの聖焔という子、どこからどう見ても俺の中の理想のメイド像と一致する。
整えられた青い髪は簡素で、それでいて一筋も乱れていない。
感情の読めない切れ長の瞳は、俺を見下ろしているというより、任務対象として確認しているだけのようだった。
小柄な体躯に纏ったメイド服は不思議と窮屈さを感じさせず、背筋の伸びた立ち姿だけで「仕える側」の完成形を主張している。
――従順で、無機質で、そして徹底して職務的。
どう見ても、俺の理想だ。
全く別の出会い方をしていたなら、俺の春も色付いて散っていったというのに。
あれこれ考えているうちに俺たちは男子トイレの前に着いた。焔は当然のように一歩後ろに立っている。
しめた!俺を監視する立場とはいえ、流石に男子トイレの中までは入ってこれまい!
「じゃあ俺は行ってくる。少し待っててくれ」
そう言って俺は中へと入った。
ここは一階の男子トイレだ。
高い位置にある小さな窓も、今の俺にはやけに近く見える。鍵も格子もない。開けさえすれば、そのまま外へ出られそうだった。
いける。外へ逃げて生徒会長にでも泣きつこう。写真の件は何とかしてくれるはずだ。
そう決めて、足を掛けた瞬間――
「逃げられませんよ」
背後から、静かな声。
「――っ!?」
心臓が跳ね上がる。
振り向くと、そこには一人の淡冷なメイドの姿があった。
「なんで中までっ……おまっ……こ、校則とか、その、アレとかでダメなんだぞ!」
自分でも何を主張したいのか分からないまま、声だけが大きくなる。
そんな俺を前にしても、焔は相変わらず冷静だった。
「皆目問題ありません」
焔は一歩距離を詰めてくる。
「わたし、
「…………は?」
カクメイ部 〜字園奉仕メイド部〜 翡翠 @AsymhrnkWata
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