シュトラマンドラ
儀式芸術研究会
第一章 穢れた街
第1話 汚臭
汚臭。無秩序に積み上げられた違法建築、巨大な街。窓と言う窓から投げ落とされた廃棄物、その堆積がこの不格好な、異形の城を支えている。ゴミ山に樹立する街の壁は、無数の宗教的シンボルが草葉のように覆い尽くし……汚濁の中で聖性を叫ぶその様こそが、この街を表す全てであった。入り組んだ通路、血管さながらに天井を這うパイプ管、汚穢から伸びる茸の群生。過剰な人口と職の不足、溢れ返った貧者と悪党が築き上げてしまった魔窟。此処は今や数多の信仰が絡み合い、新たな信仰を築き続けるハイパー宗教の坩堝であった。
呼び表すなら、街と言うより『人間の巣』。けれど、その様相は獣が作る巣ではなく、虫の類が作り上げるそれに似た。昨夜の雨で街の周囲の廃棄物が流れ込んで来たらしく、通路の各所に油まみれの汚水と汚物、太く糸引く粘菌の群が溜まっている。
その洪水から逃れるように、階段の端や、縦横無尽に張り巡らせた渡り廊下のその上で、毛布に包まり身を寄せ合う人々が居た。手足に欠けがある者や、逆に余分に備えた者も珍しくない。中には腹を膨らませた……飢餓によるものか、孕んでいるのかも分からない者も。彼女等は何かに怯えるように、声を潜めて通路の先に満ちる暗闇を凝視する。
信仰が満ちる訳だ。彼ら彼女らは苦痛に震え、救いを求めた。同時、どれだけ追い詰められても奪い合うことを防ぐ為、張り巡らされた教義と信仰、宗教と言うシステムがその悪徳を縛っている――人工的な秩序を以て守っている。そして。
「誰だ!」
声が響き、私は隠れるのを辞めた。今は私こそが、その秩序を乱す侵入者に他ならない。路地から這い出る、手に手に武器を掲げた人々……配管や角材、中には廃材を組み合わせて作った、手製の槍を持つ者まで。ある者は私の後を追い、ある者は私の進路を塞ぐ。皆々、罵声を上げながら。
「灯りを増やせ、罪人が逃げた!」
「子供を隠せ! 女達にも武器を持たせろ!」
混沌とした街にあっても、即座に連携が取れるだけの組織と仕組みが完成している。恐らくは、外部からの侵入者に対するマニュアルも。街の外壁に掲げられていたシンボルは、決して飾りではないらしい。夥しい量の旗印と、その数だけある内部団体。壁に貼られた張り紙は、あるものは現世利益を謳い、あるものは来る終末を報せる。そうした信仰・思想の主張が、あるものは飲食店の広告に埋もれ、あるものは医院の案内を覆い隠して、壁一面を埋めていた。それらはこのスラムに於いて、全くの同列、生活の一部として浸透している……
それらを横目に、私は追手を振り切ろうと走る。幅の狭い下水の河川、廊下を隔てる低い壁。巨大な壁と壁の間に乱立した、無数のバラックの合間を抜けて。出来る限り障害物が点在するルートを探し、時には乗り越え、迷宮の奥を目指してを駆ける。
片手は懐、コートの中……しまってあるそれを、いつでも取り出せるように。出来れば使いたくはない。これを使ったが最後、例え逃げ切ったとしても、継続しての調査は叶わなくなるだろうから。
「……!」
思案の中、跳び込んだ部屋。扉一つなく、通路の途中に設けられた開けたスペース……そこに座り込み、何かの像へと祈る者達が居た。私が入ったことにすら気付かず、一心に祈りを捧げる彼等……祈りの対象は多腕の神像、石膏像。材質や顔立ちは西洋的だが、複数の腕や纏う意匠は、寧ろ東洋的に映った。西洋美術の文脈に沿って仏像を作れば、きっと似た様相となる。その足元、捧げられる僅かな供物は、数切のパンと数皿のスープ……自身等の食事を、先ずは食前の感謝と共に、信じる神へと捧げている。家族単位の小規模な神事、私は追手の気配を背後に感じながらも、その光景を記憶に刻んで。
「えっ。あっ……?」
祈りに加わっていた少年が、私へと振り向き、驚いたように目を見開いた。彼らの祈りを邪魔したくはない。私は少年に頭を下げて、音を立てぬようまた走る……彼の集中を切ったことを、心から詫びながら。
私の目的は、この街の実態を観察し、誤り無く記録すること。ありのままの情報を集め報告するのが、基金から与えられた仕事であった。それは、彼らの信仰形態についても同じであり、寧ろこの街の思想を知るなら、最も重要な調査対象。物陰に潜み、最後まで追跡し続けていた追手を撒きつつ、私はメモにこれまでの光景を記録して。
「悪魔が。何処へ行った、祈願所には行ってないか」
「行っていない、西へ行った。二階に追いやれ、多財連のクソ共に侵略者をけしかけろ」
言葉を交わしながら、私の潜む暗がりの前を過ぎ去る人々。
彼等が離れてしまえばそれきり、新たな追手は現れなかった。足音も無い。安全を確認しきるまで、私は聞こえた言葉を元に、情報をメモに取り続ける。
胸騒ぎがする。追われていることではない、それは元より想定していた……不安を感じるのは、この街の信仰の形について。多くの者が祈りを捧げ、神に感謝し、心の拠り所としている。けれど裏腹、私を追う者達の言葉に「悪魔」だ、「侵略者」だと言うワードが混ざるのを聞いた……口ぶりからするに、他教団とも敵対している。この街の持つ排他性も、恐らくは信仰が絡んでいるのだ。私はそれに、言語化出来ない不安を感じているらしかった。
これに関しても、機を見て考察せねばならない。不安の原因となる要素は、この街の内部にあるのだから。考えながらに私は、目的の部屋へと辿り着いた。私の所属する団体、基金から渡された地図と見比べ、三度ノックし……
名を告げたところで開かれた扉。鼻に突いた柑橘の香水。部屋から漏れ出る、炊かれた香の甘ったるさに巻かれながら、部屋の主人に迎え入れられる。
「来たかね。待っていたよ……その様子だと、もう歓迎は受けたらしいね」
彼は苦笑交じりに言う。入口に掛けられた荒縄と紙片、おそらく彼手製の注連縄。扉が閉じ、鍵が掛けられ、部屋と外界は隔絶される。安堵した様子であるのは、寧ろ彼の方であった。
「この辺りは他よりは安全だ。協力者……と言うより、僕らに対する監視者か。自警団に守ってもらってるからね。近い内に紹介しに行こう。少し、揉めるだろうがね」
「コートはそこに掛けてくれ」彼は言葉の終わりに促し、私はそれを丁重に断る。汚れたコートを着続ける姿に、彼は怪訝な視線を向けたが……次いで投げられた「コーヒーは飲むかい」に頷いてみせれば、途端に顔を綻ばせて。気を良くしてか、コーヒーを淹れる間も彼は、延々と言葉を紡ぎ続けた。
「いや、何にせよだ。よく来てくれた。基金から依頼された調査だが……報告書にも書いた通り、行き詰っていてね。きみが来てくれて、本当に助かるよ」
流行の柄の入ったシャツに、灰色のスラックス。私は彼の容姿と言動をメモに取り……不自然な歩調、ひょこりひょこりと歩く度に揺れる髪。その目元には隈が浮かび、右手の指にはペンだこが……そこまで書きとめ、次いで部屋へと視線を向ける。
散らかり切った研究室、所狭しと積まれた本に、様々な遺物。酒器、土偶、木製の面と、その殆どは祭祀遺物の類であり……積まれた本も考古や宗教学についての名著や、最新の学術誌。首都大学に所属している教授たちの研究室も、よく似たような様相を示す。
が、それだけにこの部屋の中、メモに取った彼の姿が浮いて見えた。置かれた祭祀遺物だって、どれもこれもが嫌に小奇麗で、レプリカのよう。遺跡からの出土品ではない。恐らくは模造品であり、この研究室に置かれる以上、この街で用いられる祭具であるのは明白だった。対し、部屋に置かれた家具。アンティーク調の丸テーブルや、コーヒーケトルに、幾つかのカップ。荒廃しきった街の中、この部屋から受ける印象を列挙するならば『ハリボテ』『模造品』『紛い物』……教授自身の姿も同様。
「いきなりだがね。きみの論文、読んでおいたよ」
文脈の読めない彼の言葉に、私の思考は堰き止められた。見れば彼は小さく笑い、その表情のまま言葉を紡ぐ。
「仕事相手になる訳だからね。おもしろかったよ。『言わば感情は人間という機械が持つ機能の一部』『信仰も同様』だったかな。想像していた筆者象の通りだ」
「きみは確かに、機械のようだね」彼は頷き「きっとこの街でもやっていける」と、付け加えながらにまた頷く。
機械のよう。私がそう思われていることは知っていた。それ故に、彼らの枠に溶け込めず、浮いてしまっていることも。
しかし、私は機械ではない。『人間自体が機械的であるのだ』と、そう述べただけだった。感情も思想も、その機械が持つ機能であり、刺激に対する反応の一部。怒りも、好意も、愛情も、バイアスを排してありのままに記録すべきで……そうして、検討を深めねばならない。その視点を持つことこそが、私の誇りなのだった。それが他者に貢献出来る、誰かを助ける事が出来る……他人から見れば『機械のよう』な私でも、彼らの隣人となることが出来る、唯一の術だと信じている。
だが、視点を持つだけだ。私は歴とした人間であり……彼や、他の人間と同じく、感情と言うものを持っている。それが無いかのように思われるのは、不服であった。現に私はこの街に来てから、理由の知れぬ不安を抱き続けている……私の憤りを察してか、彼は苦笑し、言葉を投げた。
「まあ飲み給えよ。もう残り少ないが、この街の外から持ってきたものだ、安心していい……例えきみが何事にも動ぜずとも、安らげる場所は必要だ。食事も思想も混ぜ物だらけ、全く酷い街だからね、此処は……まあ」
だからこそ、と。彼の顔から表情が消え、その口を噤む。そうしてそのまま、まるでそれが発作を治める特効薬とでも言うかのように、コーヒーカップに口付けた。私も倣い、カップを手に取る。
「どうだい。いい香りだろう、首都から取り寄せているんだ……随分かかっているがね。此処はこの街とは違う。唯一、安全な空間なのさ」
確かにこのコーヒーと言い、内装と言い。彼の容姿や気取った口ぶりに到るまで、どれもが嫌に整っていた。この街の混沌、それを意図して遠ざける……彼にとって、この部屋は聖域であるのだろう。私は部屋の入口に張られた、粗末な注連縄を一瞥する。
が、私には所詮この部屋も、街の一部にしか思えなかった。確かに彼と、部屋に置かれた調度品は、この街の有様とは対極的。けれども乱雑に置かれた資料、この街由来の無数の祭具や、汚臭を掻き消す香の匂い、それらが著しく調和を乱す。
『酷い街』に呑まれまいと抗いながら、既に頭の先までも、その汚水に浸かってる。彼の姿は外の汚穢を遠ざけようと護摩を焚く、宗教人のそれであった。今もそう、束の間の静寂さえ嫌うように、説法が如く街への不満を垂れ流し続け……
その顔には何処か、憔悴が見えた。それは次第に色濃くなって。
「特に、妊婦の扱いなんて」
零したところで、私は彼へと手をかざす。そうして、彼の言葉を断ち切った。今の調子で、彼に語らせるべきではない……このままでは彼が、泣き出してしまいそうだったから。話を本筋に戻すようにと、私は彼に説明を促す。
「あ、ああ、悪かった。そうだね、仕事の話をしないとね」
コーヒーカップをソーサーに置き、彼は立つ。私も続き、背筋を正した。彼とは初対面であるが、この研究に携わる前の、彼の実績は聞き及んでいる。
宗教社会学に於ける、先鋭的な学者の一人だ。世界の混乱時、災害時、宗教的な営みが如何に人を助けてきたか……宗教嫌悪のこの国に於いて、彼らの立場の正当性を果敢に主張し続けてきた。社会に寄与する立場の男性、教授としては未だ若くして……若さ故であるのだろうか。このような危険地帯に住み込み、信仰の実態を明かさんとする。私はそれに敬意を抱く……彼がどれだけ、無神経であろうとも。
「おっ、と……」
しかし、彼がどのような人間であろうと、助手が必要な状況であるのは明らかであった。
立ち上がる際にバランスを崩し、転倒しかけた彼の体を私は支える。私の補助を受けた彼は悲し気な顔で礼を述べ、そのまま部屋の端に張られた、地図の前へと移動する。
問題なのは知識や人格の類ではなく、体の方。『左足の負傷・義足の装着』……彼から基金に提出された報告書、記載されていた負傷内容は、確かに事実であるようだった。故に彼は助けを求め――別件の目的も合致した、私に白羽の矢が立った。
考えながらに、彼の言葉に耳を澄ませる。
「人口過密のスラム地区だ、皆々救いを求めてる。これだけの新興宗教が犇めいてるのも分かるがね……それ故に分からなくなってしまってる。絡まり合ってしまってるのさ。きみにはそれを解きほぐし、僕の元まで持ち帰って来て欲しい」
絡まり合っている。その言葉を紡ぐと共に、男は壁の地図へと視線を向けていた。この迷宮の図面だけあり、それは街の地図と言うよりも下水か何かの配管図のようで。各地に置かれたエレベーターさえ一階層しか跨がない上、それぞれの配置が離れているのがその複雑さに拍車をかける。
そして何より、区域ごとにされた色分け、書かれた注釈。その文面には既存宗教の名と思想を継ぎ接いだような、奇怪な名が連なっていた。
「地図と言っても、完成には程遠いがね。複数の建物を隙間なく建てて、壁をぶち抜いて通路にしているのがこの街だ……一定の区画に建つ全てのビルを無理やり繋げて一つの建物に仕立て上げてる、と言えばイメージが湧きやすいかな。フロア自体が緩やかに螺旋を描いていてね、地図の描き方自体に課題が残っている。信仰が関わっている分、この街の母体となった宗教団体が存在しているとは思うのだが……それすら、まだ見つけられてない」
母体となった団体……信仰と思想は混ざりあい、その根幹にあったものは、一見して理解できない。だと言うのに、各教団、派閥の由来の手掛かりだけは、その名から理解できてしまう。浮かぶ疑問の数も知れない。ノイズ塗れの思考の波は、街で見た汚水の洪水、氾濫に似て、眩暈を覚えた。彼は苦笑し、言葉を続ける。
「何にせよ、僕はきみの観察眼に、凄く期待しているわけだ。ぼくはきみに、この街に根を張る思想の解析者になって欲しいと考えている。きみも基金の人間で……それだけに、現在この街に居る他の調査員と同様、僕とは違う立場を取るかも知れないが……それでもいい、そして、どんなものでもいい。解析の手掛かりとなるものを、きみには持ち帰ってきて欲しい。だが」
「危険を感じたら逃げなさい」彼の視線が一瞬、自身の義足に注がれた。紡がれる声、彼の表情。それ等が僅かに、今までに見て来た彼のそれとは異なった。一拍呼吸を挟んでしまえば「僕を置いてね」と、微笑交じりに自身の義足を叩いて見せる。
期待に応えるのは、酷く骨が折れるだろう。が、彼がそれを求めるならば、私は寄与しなくてはならない。基金は彼を認めている。彼の求めるものが、この街が抱える問題を解消するための、一助に成ると評価している。私は再びコーヒーを啜り……けれど求めた安息を得ることは叶わず、顔を顰めた。先ほどまでは美味かったはずのその味に、街を包んだ汚臭の風味を見出して――
それが彼の身に着ける香水のそれであることに、私は暫く気付かなかった。
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