元トップアイドルが弟子入りしてきたので、俺は憧れの孤高美少女の静寂を守ることにした(特定班お断り)
他力本願寺
第1話『廃温室は聖域で、彼女は目を合わせない』
世界は「ノイズ」で満ちている。
他人の視線、期待、噂話。
それらは情報の顔をして、俺たちの精神領域に土足で踏み込んでくる。
だから俺、
他人が俺にどんなレッテルを貼ろうが知ったことではない。
良いも悪いも、俺の
俺が守りたいのは、誰にも干渉されない「静寂」——ただそれだけだ。
四月の昼休み。
新入生たちの浮ついた喧騒でごった返すキャンパスを抜け、俺は裏庭の雑木林へと足を踏み入れた。
気配を殺し、足音を消す。下草を踏む場所さえ選び、物理的な痕跡を残さない。
静寂のための基本手順——『ログ消し』。
誰の記憶にも残らない「背景」の一部となり、この先にある『聖域』への動線を隠蔽する。
鬱蒼と茂る木々を抜けた先に、その廃温室はあった。
ガラスの大半はひび割れ、蔦が絡まり、立ち入り禁止のロープが風化して垂れ下がっている。
学生たちからは「幽霊が出る」と恐れられている廃墟。
だが、その内部は、知る人ぞ知る楽園だった。
重い鉄扉を、音を殺して開ける。
むっとした湿気と、雨上がりの森のような匂いが鼻孔をくすぐる。
そして、薄暗い空間の最奥。
差し込む木漏れ日の中に、彼女はいた。
文学部二年の彼女は、学内では「深淵の令嬢」と呼ばれ、誰も寄せ付けない孤高の存在だ。
長い黒髪が、湿気を帯びて艶やかに光っている。
彼女は作業台に向かい、ピンセットでガラス瓶の中の
(……尊い。今日も湿度が完璧だ)
俺は入り口付近の物陰——積み上げられた腐葉土の袋の隙間に身を潜め、心の中で合掌した。
彼女こそが、俺が崇拝するテラリウム専門誌の覆面作家『TOWAKO』その人である。
ここにある苔たちは、彼女の管理下で最も美しく呼吸している。
俺たちの間に、会話はない。
挨拶すらない。
俺がここに侵入してから二週間。彼女は一度たりとも、俺と目を合わせようとはしなかった。
だが、追い出されもしない。
俺が形だけのサークルを立ち上げ、大学側から正式にこの場所の管理を任されていることなど、彼女は知るよしもない。
ただ、「そこにノイズ(俺)が存在すること」を、黙認されている。
この完璧な静寂こそが、俺にとっての至福だった。
——ガシャァン!
その静寂は、唐突な暴力によって破壊された。
温室の入り口付近で、何か硬いものが蹴り飛ばされた音がした。
雪代の肩がビクリと跳ねる。
俺の眉間に、深い皺が刻まれる。
「うわ、マジで廃墟じゃん。すごくね?」
「ちょ、ここ入っていいの? 立ち入り禁止じゃなかった?」
「いいって、誰も見てないし。ここ絶対『映え』るよ!」
男女の二人連れだ。
スマホを構え、土足で聖域を踏み荒らそうとする侵入者たち。
彼らに悪意はない。あるのは「面白い写真が撮りたい」という、無邪気でタチの悪い好奇心だけだ。
雪代が作業を止め、俯いたまま凍りついている。
彼女にとって、人間の無遠慮なノイズは猛毒に等しい。
このままでは、彼女の聖域が「映えスポット」として消費され、静寂が死ぬ。
(……排除する)
俺は音もなく腐葉土の山から離れた。
直接注意するのは下策だ。「こんな場所に人がいる」という事実自体が、新たなノイズを生む。
俺は干渉回避の応用手順——『死角取り』を展開した。
温室には、朽ちた棚や観葉植物が迷路のように配置されている。
俺はその影を縫い、彼らの視界に入らないギリギリの座標へ移動する。
そして、彼らの背後にある通気口の近くで、スマホを取り出した。
——対人遮断の手順、『会話の出口』応用編。
俺は「誰かと通話している大学職員」の声色を作った。
「……はい、そうです。裏庭の廃温室です」
あえて、低く、事務的なトーンで呟く。
侵入者たちの会話が止まった。
「えっ、誰かいる?」
「しっ、静かに!」
俺は彼らには姿を見せず、通気口の反響を利用して声を届ける。
「ええ、最近学生の侵入が多いとかで。今から施錠確認に向かいます。もし中に誰かいたら、学部へ通報しろとのことですね。はい、了解です」
それだけ言い捨てて、俺はわざとらしく足音を立てて(しかし遠ざかるように)歩いた。
効果は劇的だった。
「やっべ、職員来るって!」
「通報とかマジ無理! 逃げよ!」
ドタドタと慌ただしい足音が響き、二人組は蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。
数秒後。
温室に、再び湿った静寂が戻ってきた。
俺は小さく息を吐き、足音を消して元の定位置(腐葉土の影)へ戻ろうとした。
ふと、視線を感じた。
作業台の前に立つ雪代が、こちらを振り返っていた。
長い前髪の隙間から、宝石のような瞳が覗いている。
目が合った。
初めてだ。
彼女は俺を凝視し、それから視線を俺の足元——苔むした地面へと落とした。
「……踏み方が、静かね」
ポツリと、雨粒のような声が落ちた。
それだけ言って、彼女は再び作業へと戻っていった。
俺は呆然と立ち尽くした。
礼を言われたわけではない。
だが、今の言葉は、俺に対する最大級の「許可」だった。
俺の足音は、彼女にとって「ノイズ」ではなかったのだ。
胸の奥が、熱く脈打つ。
俺は噛み締めるように、そっと息を吸い込んだ。
この聖域の湿度は、やはり心地いい。
だが、俺は知らなかった。
この静かな楽園が、まもなく最大のノイズによって脅かされることを。
——カシャッ。
温室の外。
去り際の風に乗って、微かなシャッター音が響いた気がした。
――――――――――――――――――――――――――――――――
最後まで読んでいただきありがとうございます。
「主人公の『静寂主義』、共感できる!」
「雪代さんの孤高な感じが良い……」
「続きが気になる!」
少しでもそう思っていただけたら、
作品のフォローと、下にある【☆☆☆】を【★★★】にして評価いただけると執筆の励みになります!
(静寂を守るためにも、ぜひ星を……!)
次回「元トップアイドル、不審者として聖域に落下する」。
金髪のノイズが、空から降ってきます。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます