第4話 これがダイフコウ・クオリティーだ!

気がつくと、俺は再び薄暗い森の中にいた。

目の前にはカエルの骨。

頭上には、異世界の巨大な月が見え隠れしている。


「……くそっ」


俺は膝をついた。

魔法もない。チート武器もない。

あるのは、前世で俺を苦しめた「スピリチュアル」という名のゴミスキルだけ。


「認めるかよ……」


俺は立ち上がり、骨を蹴り飛ばした。


「引き寄せだ? ふざけんな。俺は俺の足で、物理的に安全な場所を探してやる。確率と統計と、俺の理系知識で、この理不尽な世界を生き抜いてやるからな……!」


グゥゥゥゥ……。

決意を新たにした瞬間、腹の虫が鳴いた。

カエル一匹じゃ、この若くて燃費の悪そうな体は満たされないらしい。


「……まずは食い物の確保か。確率は低いが、木の実くらいは落ちてるはずだ」


俺は、大不幸(だいふこう)という名前に相応しい、前途多難な異世界の第一歩を踏み出した。



森を抜ける旅というのは、物語の中では一行で済む。

だが、現実は非情だ。

足元を這い回る見たこともない虫、顔にべたべたと絡みつく蜘蛛の巣、そして何より、歩くたびに削られていく精神力。


「……あー、もう。なんでこんなに足元が滑るんだよ」


俺は木の根に足を引っ掛け、三度目の転倒を喫した。

泥まみれの膝を見下ろしながら、溜息をつく。

普通、異世界転生者ってのはもっと颯爽と大地を駆けるもんじゃないのか。


「コウ君、さっきからあなたの波動、すごく重いわよ。まるで泥沼の中を歩いてるみたい」


脳内に直接響く、サティアののんびりした声。

あの空間から、異世界の現実空間に戻っても、サティアとは繋がっているようだった。

姿は見えないが、彼女が呆れ顔で宙に浮いているのが目に浮かぶようだ。


「重くて結構だよ。こっちは物理的な重力と戦ってるんだ。波動だかバイブレーションだか知らないが、それは理由になってないんだ。こっちは田舎育ちじゃないし、登山の趣味も無いんだよ。こんな場所歩き慣れてないから転ぶだけだ!」


「そうやって、こんな場所歩きたくないって思っているから足が重くなるし、転ぶ転ぶって思ってるから宇宙が転びやすい状況を用意してくれるのよ。今だってコウくんが、俺のことだから絶対にまた転ぶぞ、って強く思った瞬間に、そこの木の根っこ、すごくやる気を出してたもの」


「木の根っこがやる気を出す? 植物にそんな高度な意思決定能力があるわけないだろ。これは単に、俺の重心移動のミスと、ちょうどそこに木の根があったという、確率的な問題だ。」


俺は立ち上がり、服についた泥を乱暴に払った。

いいか、サティア。

俺がこれほどまでに、確率が悪いのは、気持ちの持ちようなんかじゃない。

この大府幸(だいふ・こう)という名前が持つ、統計的偏りなんだ。

不運は俺にとって、もはや逃れられない実績なんだよ。


「不運の実績って、そんなの自慢にならないわよ。……あ、ほら。またトゲトゲの茂みに向かって歩いてるわ。そのまま突っ込んだらしばらく治らない傷になっちゃうわ」


「え?」


気づいた時には遅かった。

足を踏み出した先にあったのは、いかにも痛そうな鋭い棘を持つ植物の群生。

俺の服の裾は無慈悲に引っかかり、うっかり突き出した腕を棘がひっかいた。

そんなに深い傷ではないが、痛い。


「……ほら見ろ!! これこそがダイフコウ・クオリティだ!」


サティアの言う引き寄せなんて認めない。

認めてしまったら、俺のこれまでの苦労が、全部自分のせいだったことになってしまう。


「まったく…もう…その傷はなかなか治らなかったんだから…」


「治らなかったって、実体が無いくせに棘でひっかいたことがあるのかよ?」


痛む腕に意味無く息を吹きかけながら、俺はなんとか棘から逃れた。


「昔のことよ。あと、私の意識はあなたと繋がっていて、あなたが傷つくと私も痛いんだから気をつけてよね」


勝手に繋がっておいてそんなこと言われてもな。

そう思ったが、サティアのきれいな肌が傷つくことを想像すると不愉快だったので、少し慎重に歩くことにした。

とはいえ、慎重に歩いたくらいで俺のダイフコウ・クオリティが劣化するわけじゃないけどな。



しばらく歩くと、喉の奥が焼け付くように渇いてきた。


「……水。どっかに水はないのか……喉が渇いて死にそうだ……」


「お願い、今はその渇きを忘れて……。じゃないと、またいつまでも水にたどり着けない…」


「は? 喉が渇いてるんだから、渇きを忘れるなんてやっちゃいけないことだろ。自分の肉体からの要請を無視すると病気になるんだぞ。渇きなんて無視したら、死ぬぞ」


「違うの…そうじゃなくて…ほら、喉が渇いたことを忘れて、潤ってる状態だけをイメージして? 透明で冷たくておいしい水。川のせせらぎ。湧き出る泉。みず〜みず〜おいしいみず〜」


「……うるさいな」


俺は半信半疑ながらも、とりあえず意識を切り替えることにした。

喉のヒリつきを意識の外に追い出し、脳内で冷たい水を思い描く。

キンキンに冷えたグラス。表面についた水滴。喉を通る時のあの心地よい刺激。


すると、遠くから微かな水の音が聞こえてきた。


「……っ! おい、音がするぞ! 川だ!」


俺はふらふらと音のする方へ駆け出した。

茂みをかき分けた先には、確かに小さな小川があった。


「見たかサティア! 俺の勝ちだ!」


歓喜の声を上げ、川岸に駆け寄る。

だが、その瞬間に俺の思考が元に戻った。周りの不運の種をさがしてしまう。

上流にはいくつも倒木や大きな岩があって不穏な雰囲気だ。周囲の崖が崩れやすいに違いない。そんな風景は簡単にイメージできる。


その瞬間だった。

上流の崖にひっかかっていた巨大な倒木が、重力に耐えかねたように崩落。

それが絶妙な角度で川を塞ぎ、流れを変えてしまった。

俺の目の前にあった透明な水が、みるみるうちに濁っていく。


「…………嘘だろ」


「ぷっ、あはははは! ねえ今の見た? タイミング完璧すぎ! さすが大不幸くん、これがダイフコウ・クオリティーってことなのね。一周回って感動するわ」


「な、笑い事じゃないだろ! 死活問題なんだぞ!」


「だって、あなたが、崖が崩れそう、っていう自分に都合の悪い未来を想像した途端にこれよ? まだ引き寄せレベルが低いのに大したものだわ。あーおかしい」


「……っ!! 偶然だ! ただの構造的寿命による自然崩落だ! 俺の意識が巨大な質量を動かすわけないだろ!」


俺は泥を握りしめ、天を仰いだ。

サティアの笑い声が、乾いた喉に余計に響く。

だが、このままでは本当に倒れてしまう。

俺は屈辱に震えながら、もう一度目を閉じた。

喉の渇きという現実を拒絶し、水そのものの存在だけを脳内にシミュレートする。


《冷たい水。澄んだ水。潤い……》


「そうそう、その調子。その余裕が豊かさを呼ぶの。……でも、そんなに必死な顔でイメージしてると、また倒木が飛んでくるかもよ? ほら、あそこの倒木をよく見て。上の方はどうなってる?」


サティアの揶揄うような言葉に従い、俺はイメージを維持したまま、川を塞いでいる倒木の向こう側へと視線をやった。

……当たり前だ。

倒木で下流が汚れても、その上流には影響が無い。


俺はふらつく足で、倒木を乗り越えた。

そこには、さきほどと同じ、澄んだ水が流れていた。


「…………」


俺は夢中で手を差し込み、水を掬って口に運んだ。

染み渡る。細胞の一つ一つが歓喜の声を上げている。

喉の渇きが消え、ようやく人心地がついた。


「どう? 水そのものに意識を向けたら、ちゃんと水の場所まで辿り着けたじゃない」


「……堰き止められたなら上流に水が残るのは流体力学的な必然だ。俺はただ、物理法則に従って移動したに過ぎない」


「はいはい、流体力学ね。可愛くないわねえ。せっかく私が導いてあげたのに、感謝の一言もないなんて。これじゃあ波動が上がらないのも納得だわ」


「導いてなんかないだろ! あんたはただ笑ってただけじゃないか!」


「だってあなたの不運の現実化能力ってまるでコントみたいなんだもの。さすがダイフコウって名乗っているだけのことはあるわ」


「……くそっ。好きで名乗ってる名前じゃないぞ」


俺は、からかいに耐えながら、サティアが示す人里のありそうな方向へ、重い足取りで歩き始めた。

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