第17話 視線

橘と一ノ瀬が座ってからも、

場の空気は

そのまま流れていた。


誰かが笑って、

誰かが話して、

グラスが減っていく。


忘年会らしい、

にぎやかさ。


私は、

時々

橘の方を見る。


目が合うと、

ぱっと

明るく笑われる。


それだけで、

胸の奥が

少しだけ軽くなる。


美咲は、

端の席で

相変わらずよく笑っている。


中村さんたちも、

楽しそうだ。


ここは、

安全な場所。


そう思えていた。


ふと、

背中に

何かを感じた。


視線。


一瞬だけ、

冷たい。


気のせいだと

思おうとした。


でも、

もう一度

同じ感覚が走る。


同じ位置。

同じ温度。


私は、

グラスを置いて、

ゆっくり

視線を動かした。


少し離れた席。


そこに、

川原がいた。


こちらを、

見ている。


周囲と話しているようで、

視線だけが

こちらに向いている。


笑っているのに、

目が笑っていない。


胸の奥が、

きゅっと縮んだ。


美咲が、

私の様子に

気づいた。


一瞬、

私を見る。


それから、

橘と一ノ瀬の方へ

視線を送る。


美咲「ごめん、

ちょっとトイレ行ってくるね」


明るい声。


でも、

いつもより

少しだけ

はっきりしていた。


橘と一ノ瀬が、

同時に

美咲を見る。


一瞬の、

「え?」という間。


でも、

美咲は

言葉を足さない。


代わりに、

表情だけで伝える。


大丈夫じゃない、って。


橘の笑顔が、

一瞬だけ

消える。


一ノ瀬も、

さりげなく

体の向きを変えた。


二人とも、

もう

こちらを見ている。


でも、

そのやり取りは、

私の耳には

入っていなかった。


世界が、

少し遠い。


音が、

膜の向こうにある。


その直後だった。


川原が、

動いた。


ほんの少し、

席をずらす。


それだけなのに、

距離が

一気に近づく。


視界の端に、

影が差す。


「……小川さん」


低い声。


呼ばれたのに、

すぐに

返事ができない。


喉が、

ひりつく。


足が、

床に縫いつけられたみたいに

動かない。


橘の声が、

少しだけ

大きくなった。


橘「小川さん、

さっきの話だけどさ」


明るい声。


でも、

明らかに

割り込むタイミング。


一ノ瀬も、

自然に

立ち上がる。


一ノ瀬「俺も

その話、

聞きたいな」


二人の視線が、

私に向く。


はっきりと。


川原が、

一瞬だけ

橘を見る。


それから、

一ノ瀬を見る。


見られていることを

理解した目。


川原は、

にやりと笑った。


そして、

何も言わず、

グラスを持ち上げる。


まるで、

最初から

何もなかったみたいに。


私は、

橘の方を向いたまま、

小さく

息を吐いた。


美咲は、

まだ

戻ってきていない。


それでも。


私は、

一人じゃなかった。


その事実が、

遅れて

胸に落ちてくる。


違和感は、

もう

気のせいじゃない。


この夜は、

確実に

境目になっていた。

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