無音の白百合 声を奪われた異世界聖女は、溺愛メイドと“止めて”の合図で誓約を守る――触れないほど熱い王宮百合サスペンス
ヒトカケラ。
第1話 誓約紋が先にバレる夜――湯気越しの許可(いい)
嘘をつく前に、誓約紋が裏切る夜だった。
誓約紋は、嘘より先に灯る。
だからユイは、息を整えるふりだけが上手になった。
王宮の夜は静かで、静かだから音が残る。
布が擦れる。蝋が爆ぜる。水滴が銀に触れる。
そして――呼吸が、隠せなくなる。
豪奢な寝台。白い天蓋。整えられた香。
壁際の花瓶には白百合が一輪、灯りを吸って立っている。
けれどユイの喉の奥だけが乾いている。恐怖ではない。飲み込んだ熱の乾き。
背後に立つセラ。
完璧な侍女。完璧な距離。完璧な理由。
触れるための理由を、いくらでも正しく作れる女。
手首の内側、薄紅の誓約紋。
守りの印。
ユイの揺れが、まずセラへ渡る。嘘より先に灯る。
櫛が通る。
髪がほどける。肩がほどける。
ほどけてはいけないはずの心が、ほどける寸前で踏みとどまる。
「……ねえ、セラ」
返事は「はい」だったはずなのに、声の終わりに息が混じる。
その息が首筋を温めるだけで、ユイの喉が乾く。
「一人が、怖い」
言葉が落ちる。
誓約紋が薄紅に灯る。
セラの喉が小さく鳴る。殺しきれない震え。
震えを隠すように、櫛の動きが丁寧になる。丁寧になるほど触れている時間が伸びる。
ユイは振り返り、手首に触れた。
手袋の端の向こう、皮膚の熱。
誓約紋が一拍、強く脈打つ。
「止めてって言ったら」
頷き。速い。迷いがない。
迷いがないことが、怖さを溶かし、熱だけを残す。
「必ず」
その一語が、肌より先に心へ触れる。
ユイの息が細くなる。細くなる熱が誓約を走る。
セラの呼吸も同時に乱れる。
同時――それが、優しいはずの守りを、甘い檻に変える。
セラの指が、ユイの頬へ伸びた。
伸びて――止まる。
触れる直前、指先だけが宙で震える。
確認の間。ここで止まれることが、いちばん残酷で甘い。
「……よろしいですか」
囁きは声というより息だった。
ユイは頷く代わりに、短く落とす。
「……いい」
指が触れる。触れた瞬間、誓約紋が淡く灯る。
触れた熱が、ふたりの呼吸の底を同じ速度にする。
「止めない。来て」
一歩。
唇が触れる前に、息が混ざる。
混ざっただけで胸の奥がいっぱいになって、声が出そうになる。
短い口づけ。
短いのに逃げられない。逃げ道を塞がれたわけじゃない。
逃げたい気持ちだけが静かに溶かされる。
息を呑む。
同時に、セラも息を呑む。
誓約がそれを隠さない。
掠れた声が落ちる。謝罪の形をした、離れたくない告白。
頬に触れる指が、丁寧で、丁寧だから深い。
触れていいかを確かめる圧。触れてほしいが隠しきれない熱。
「……ここに」
言葉は途中で崩れた。
返事は言葉じゃない。抱き寄せる圧。
蝋燭の影が濃くなり、夜が先を隠す。
隠すことで、熱だけを残す。
返事は言葉じゃなく、抱き寄せる圧だった。
――翌夜、白い湯気の向こうで、セラが同じ温度の確認を囁く。「止めて、と言えば」
湯気越しの許可(いい)。
昨夜、「止めて、と言えば」と囁かれた声が、まだ耳の奥に残っている。
残っているのに朝は平然としていて――だから夜の入口だけが、やけに生々しい。
「止まります」その返事が、湯気の白さより生々しく落ちた。
扉が閉まる。
王宮の音が薄くなる。規律が遠ざかる。
残るのは、熱と、呼吸と、匂い。
湯気が白い幕になる。香草が肌に絡む。
湯面には白百合の花びらが一枚、ゆっくり回る。
清めの場所が、息を甘くする装置になる。
温められたタオルが肩に落ちる。
布の端が鎖骨をかすめた瞬間、喉が乾く。
理由のある接触ほど拒めない。拒みたくない気持ちだけが残る。
誓約紋が淡く灯る。
もう、伝わっている。
泡立つ音。
指が頭皮を円を描く。遅い。丁寧。逃がさない。
洗うための動きなのに、触れることそのものへ変わっていく。
ユイの息が浅くなる。
浅くなった熱が誓約を走る。
セラの呼吸も同じ速さで乱れる。
隠せないことが、こんなに甘い。
「……ユイ」
耳元に落ちた名だけで背中が粟立つ。
粟立ちが誓約を走る。
指が一瞬だけ強くなり、すぐ優しくなる。
その緩急が、限界を押し上げる。
セラが湯へ入る前、足先が湯面を割り――止まる。
湯気越しの視線が一度だけユイに刺さり、抜けない。
「……一緒で、よろしいですか」
ユイは喉が鳴るのを押し殺し、短く返した。
「……いい」
その一言で誓約紋が淡く脈打つ。
セラが湯へ入る。湯面が揺れ、花びらが逃げるように回る。
膝がほんの少し触れる。
わずかな接触が、身体の奥まで響く。
頬に触れる直前で止まる。
確認の間。止まるほど濃くなる。
「止めて、と言えば」
「止めない」
口づけは、落ちる前に息が混ざる。
短く、次は少し長く。離れて、また重なる。
足りないを作って、少しだけ満たす。
その反復が、理性を丁寧に剥がす。
声が漏れそうになるたび、口づけで塞がれる。
乱暴じゃない。守るみたいに優しい。
優しいから、逃げられない。
湯気が濃くなる。輪郭が消える。
白い幕が、その先を抱きしめて隠す。
隠すことで、息の熱だけを残す。
湯気が白い幕になり、世界の輪郭が溶けた。
――翌朝、冷たい紐が背に触れた瞬間、ユイは昨夜より深く息を呑んだ。
背中の結び目が“夜まで”を縛る。
湯気は消えた。
消えたはずなのに、ユイの内側だけがまだ白くて、呼吸の仕方を忘れたままだった。
鏡の前で、セラは紐を整える指だけを完璧に静めていた。
三日目の朝。鏡。白い礼装。
机の端に、白百合の刺繍が入った細いリボンが置かれている。飾り。名目。
冷たい布が背に当たる。肩が震える。
その震えを奪うように掌が重なる。
冷たさが消え、熱だけが残る。残った熱が誓約へ触れ、灯りが淡く脈打つ。
「強さ」
「きつめ」
沈黙。
拒絶ではない。同意を噛みしめる沈黙。
紐が通り、交差し、引かれる。
息がきゅっと絞られる。
絞られるほど心が敏感になる。
敏感になるほど、背中の指の圧が深く刺さる。
一度、セラの手が離れた。
離れて――戻る直前で止まる。
指先が背中の中心で宙に浮き、ほんの一拍、迷う。
触れられる直前の一拍だけで、喉の奥が甘く震え、誓約紋の灯りが深くなる。
――翌朝、大聖堂の白が“名”を落とす。
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