浮気父「家は俺のものだ!出ていけ!」→私「わかった、ついていくね」実は母の名義だし、父は借金まみれだと知っていた私の潜入復讐劇。
品川太朗
第1話 突然の離婚宣言
「単刀直入に言う。離婚してくれ」
父がテーブルに緑色の紙を叩きつけたのは、母が私の大学推薦合格を祝うためのショートケーキを箱から出している最中だった。
白いクリームの上に、真っ赤な苺。
それとは対照的な、無機質な離婚届。
タイミングとしては最悪だ。
いや、父・健一(けんいち)という人間にとっては、これが最高のタイミングなのだろうか。
「……あ、あなた? 何を言って」
「本気だ。もう俺は限界なんだよ」
母・優子(ゆうこ)の手からケーキサーバーが滑り落ち、カチャンと間の抜けた音を立てた。
私は箸を置き、目の前の男――昨日まで「父」として尊敬していたはずの人物を、冷静に観察する。
年齢は四十八。もうすぐ五十になる。
会社では課長職。
家では威厳ある大黒柱を気取っていたが、今の彼はどこか浮足立っていた。
まるで恋に焦がれる少年のようだ。
いや、この年齢でその表情は、単に不気味でしかない。
「優子、君との生活に不満があるわけじゃない。ただ、俺は運命の相手に出会ってしまったんだ」
「運命……?」
「部下のミナだ。二十四歳。彼女が俺の子を妊娠した」
室内の空気が凍りついた。
不倫。妊娠。
そして相手は私と六歳しか違わない女。
役満だ。
あまりのクズっぷりに、怒りよりも先に呆れが込み上げてくる。
母は顔面蒼白で震えている。
無理もない。
専業主婦として二十年近く家庭を守り、私を育て上げ、ようやく子育てが一段落した矢先のこれだ。
「さ、産むつもりなの……?」
「当然だろ! 俺の遺伝子を残す最後のチャンスかもしれないんだ。それに、ミナは若い。これからの未来がある」
父は酔っていた。
「愛に生きる自分」という劇的なシチュエーションに。
「凛ももう十八だ。来春からは大学だし、大人の事情は理解できるだろう? 俺はこれからの人生、本当に愛する人と生きていきたいんだ」
私に同意を求めるように視線を向けてくる。
この男は本気で、私が「うん、お父さんの幸せを応援するよ!」とでも言うと思っているのだろうか。
認知機能に欠陥があるとしか思えない。
「……それで、これからの生活はどうするつもりなの?」
私が低い声で尋ねると、父は待ってましたとばかりに胸を張った。
「俺はミナと新しい生活を始める。慰謝料は払うつもりだが、これからの養育費もかかるからな、そんなに多くは出せないぞ」
「家は?」
「は? 当然、俺がもらうに決まってるだろ。この家のローンを払ってきたのは誰だと思ってるんだ。俺の稼ぎで維持してきた家だ。出ていくのはお前たちだ」
出た。
父の悪い癖だ。
自分に都合の悪い事実は記憶から抹消し、自分を「与える側」の強者だと信じ込んでいる。
私はチラリと母を見た。
母はショックのあまり言葉を失い、ただ涙を流している。
このままでは、母は父の勢いに押し切られ、わずかな手切れ金でこの家を追い出されてしまうだろう。
この家は、もともと母方の祖父が建ててくれたものだ。
土地の名義も、建物も、実は母の名義になっている。
父が払っていたのは、リフォーム代や固定資産税といった維持費程度。
それなのに彼は、「俺の城」だと信じて疑っていない。
(……訂正しよう。父は単なるクズじゃない。愚か者だ)
今ここで「名義は母さんでしょ」と指摘するのは簡単だ。
だが、そうすれば父は逆上し、財産分与だなんだと泥沼の争いに持ち込むだろう。
法律に疎い母が精神的に摩耗するのは目に見えている。
それに、あの妊娠したという愛人。
父の年収を知っているのだろうか?
この家が父のものではないと知ったら、どう反応するだろうか?
私の頭の中で、カチリと音がした。
計算式が組み上がる。
母を守り、かつ、このふざけた男に相応の報いを与えるための最適解。
「親権はどうするの?」
「凛はもう成人年齢だから親権もなにもないが……まあ、当然母親についていくだろう? 俺たちは新婚生活で忙しくなるし、狭いアパートからのスタートになるからな」
父は「邪魔者は消えろ」と言外に匂わせ、勝ち誇ったように笑った。
母が縋るように私を見る。
「凛……」
私は深呼吸を一つして、まっすぐに父の目を見た。
「ううん」
「……え?」
「私、父さんについて行くよ」
その場にいた全員の時間が止まった。
母が息を呑み、父が鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする。
「お、おい凛? 何を言ってるんだ? 俺たちはこれから赤ん坊も生まれて……」
「だって、父さん一人じゃ大変でしょ? ミナさんだっけ、妊娠中なんでしょう。家事とか身の回りの世話、誰がやるの?」
私はにっこりと微笑んだ。
できるだけ、健気な娘を演じて。
「私がお手伝いするよ。お父さんの『新しい幸せ』、近くで見届けさせて」
父の顔が引きつる。
まさか拒否はしないよね?
娘の純粋な善意を。
母さん、ごめんね。今はまだ言えない。
でも、必ず守るから。
私は心の中でそう誓い、呆然とする父へ決定事項として告げた。
「引っ越し、いつにする? 荷造り手伝うね」
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