出立は、黒との金継ぎから

櫛田こころ

第1話 仕込みの子は『黒い』

 起きて顔を洗う時、鏡を見るのがだんだんと嫌になってきたのはいつからだろう。


 地方から京都に上京して、そろそろ一年近く。それまで縁も欠片もなかった『行儀作法』の手本とも言える『舞妓』への道を決めたのも、一年くらい前のこと。


 勉強はまあまあ、部活も普通。けど、『何か』に打ち込みたいと思うようになったのは修学旅行で京都に来たあの秋の時分。


 観光客が撮影用に着ていたのも当然見たが、『自分』がなりたいと心底望んだというのは勢いもあったかもしれない。


 ほんの少し年上の少女たちの、艶やかながらもはんなりとした佇まい。美しく着こなした着物の装い。からんころんと可愛らしい下駄でお稽古道具を持つ姿が目に焼き付くばかり。その姿を目にした茜音は街行く人々の注目を集める彼女らの『潔さ』に、すぐに強い憧れを抱いて進路のすべてを切り替えた。


 当然反対するであろう、両親を説得に説得し、入門先とそこでの面接に挑んで置屋への入居まで合格してからは……まったく、夢と逆転した生活ばかりだった。


 『仕込み』という立ち場なので、髪を伸ばす以外は雑務とお稽古の繰り返し。姉弟子らもそれは変わらないが、春先から置屋のひとつに入門したのは茜音だけだったから同級生もいなかった。遊びに来ているわけじゃないが、姉弟子らとも会話するので独りではない……ないが、少し寂しい。


 それに。



「……今日も、黒いな」



 茜音の地肌は黒い。日焼けのし過ぎで黒さが増したのだ。小中と運動部に打ち込んではいたので、ランニングやもろもろのトレーニングで黒く日焼けしてしまうのはしようがない。仕込みに入ってから、スキンケアを姉弟子らにも教わったが一年経ってもあまり薄くなった気がしないのだ。


 仕方がないが、まだ『見習い』にもなっていないため化粧の方法も見ているだけしか出来ない。覚えるときになんとかするかと思うしかない。朝ご飯の準備をまかないのおばさんといっしょにやる時間に遅れるため、ゆっくりと階段を降りることにした。置屋は祇園の近くにあるが、リノベーションはあっても基礎は変えないのかで、階段は昔のままですごく急なのだ。音を立て過ぎては、夜に仕事が多い姉弟子らを起こしてしまう。



「おばちゃーん。おはようさんどす」



 言葉は標準語から京ことばを普段から使わないと仕事でも慣れないから……と、普段から矯正されている。一般はともかく、舞妓や芸妓たちはそうもいかない。普段のほとんどを『仕事』にも活かさなくてはいけないのがプロだと彼女らから聞いた。



「おはようさん。順に出来たから、運んでくれる?」

「はい」



 置屋の中では茜音が一番早いが。朝食の準備のために、自宅からわざわざ出勤してくる彼女の方がもっと早い。そして、食べ盛りの少女たちに『普通のご飯』をこの置屋では振舞うことが出来るのだ。


 仕事の現場ではお茶も飲めるかどうかくらいのてんてこ舞いだそうで、お客さんと同じ料理を食べるとかの『同伴』もあるかどうかくらい少ないとか。憧れで突入したこの一年だが、仕込みとして少しだけ現場に行く手伝いをすることがあっても、私服の茜音では参加なんて不可能。


 ましてや、『黒い肌』の仕込みがいたら笑われるだけで済まないので、さっさと次の仕事かお稽古のおさらいくらいしかしない。



(……ちょっと、遅れてる。それだけ、それだけ)



 と、口には出さないように気を付けながら盛り付けた皿を広間に持っていく途中。


 取り皿の山をひとつ、盛大にざらざらと落として割ってしまった音が響いた。



「茜音ちゃん!? 今すっごい音したけど!? 怪我ない?」

「す……すみま、せん」



 皿以外にも湯呑も割れていたようで、食事には破片が飛んでいないようだったが……びっくりした茜音はそのまま畳の上に座り込んでしまった。



「あ~。細かいのはあんまないな? これやったら、金継ぎでなんとかなるか」

「……きん、つぎ?」

「あとで教えたるよ。とりあえず、ここはおばちゃんが集めとくから。今度は、ゆっくりお皿とか運んで」

「……はい。おおきに」



 なにか対策があるのなら、あとでしっかり学ぼうと思わせてくれるこの女性は……舞妓らの女将とは違うやさしさに満ち溢れて好きだ。女将とて、優しさはあるのだが『舞妓たちの作法は厳しく』するのが普通なので、いつも鬼のように怖いのである。

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