「垂れる影」

人一

「垂れる影」

「あっ、鼻血が……」

10年前のとある日から、毎日朝7時になると決まって鼻血が出るようになった。

もちろんお医者さんにかかったが、誰もが匙を投げて原因が分からなかった。

このせいで何回枕や布団を血まみれにしたか分からない。

鼻血は出ても、ティッシュを詰め込んで10分もすれば止まるのが幸いなのか不幸なのか分からない。


鼻血が出るのは面倒だ、けれどなぜか怪我をしなくなった。

ただの偶然かもしれないが、派手に転んでも擦りむいたりしない。

痛みはあるが、血が出ないんだ。

奇跡的になんともないのが続いているのか、それとも……な展開なのか分からない。

これと関係あるか分からないが、転けた日の朝はいつもより鼻血が多く出ている気がする。

いつもはティッシュ1枚で事足りるのに、何枚も詰め込まないと止まらなかったり、口に逆流したこともある。

やっぱり体調のせいなのか、日々によって違うんだ。

友人らに話しても、「変な体質~」と誰もまともに取り合ってくれない。

でも、気持ちは分かる。

逆の立場だと、自分も同じような反応するだろうから怒るに怒れない。

面倒なのはずっとだが、もう慣れて困ることさえ無い。


とある日、寝坊してしまった。

起きた時、寝坊に絶望はもちろん枕がベタベタになっていることにも辟易する。

鼻血は止まっているが、顔は乾いた血によってパリパリになっている。

こうなると、いつもより顔を洗う時間が増えて面倒なんだ。

特に寝坊して焦っている時と相性は最悪だ。

身支度を整え、家を飛び出す。

「ああ、急げ急げ急げ……あっ!」

全速力で階段を駆け下りていたら、段を踏み外し滑り落ちた。

前に倒れる悲惨な結果は避けれたが、衝撃のほとんどを尻で受け止めたから痛みがひどい。

確認している暇が無いので、痛む尻を擦りながら先を急いだ。


何も無い、いつも通り鼻血が朝ちょっと出る日が続く。

そもそも論、運動部や体力系のバイトをしてない限り基本的に怪我なんてしない。

僕は帰宅部かつ塾講師のバイト、まさに真反対だ。

だからいつもより鼻血が多くなると、何かがあるんじゃないかとちょっと身構えてしまう。


とある日、朝起きて顔を洗っていると鼻血が出た。

あぁ、もう7時か。

時報代わりの鼻血だが、結局水場で出るのが後始末的にも楽だ。

ぼーっとしながら血が止まるのを待っているが……止まらない。

「変だな……って、うわぁ!」

たら~っとゆっくり、しかし止まらなかった血が急に溢れ出してきた。

洗面台が一気に真っ赤になる。

「うわ、うわ、うわ、」

こんなに出るのは初めてなので焦る。

ティッシュを詰めても、抑えようとしても一向に止まらない。

血の臭いがどんどん濃くなり、嗅ぎなれていても気分が悪くなってくる。

鼻血で干からびちゃうと、ありえない不安に襲われていると止まった。

蛇口を閉めるように、急に。けれどしっかり止まった。

ゴミ箱は鼻血を拭いたティッシュで山になっており、洗面台も血は流れたがその跡で酷く汚れていた。

「朝からなんだよ……というより朝から掃除かよ……」

目の前の状況に肩を落とすが、出すぎた鼻血と嫌な予感が頭をよぎる。

「今日は家にいようかな……」

なんとなくそう決めて、今日は部屋から出ないことにした。

外に出ると恐ろしいかもしれないが、部屋にさえいればまぁ何も無いだろう。と、信じて。


今日は日付が変わるまでほとんど引きこもっていたが、結局何も起きなかった。

「なんだ……何も無いのかよ。」

一言そう言って安心して眠った。

翌朝、7時になっても鼻血は出なかった。

何か足りない、そう感じていた正体は鼻血だった。

「昨日出し切ったのか?まぁ、出ないなら出ないで楽でいいや。」

そう言って身支度を整え玄関のドアに手をかける。

その時、ふと思った。

「今まで鼻血が多い日は、なんかトラブルがあった。

でも、今日は出なかった。

何も無い日でも出ていたのに。

昨日ので体の膿や厄を出し切ってるならいいけど、外に出たら何か取り返しがつかないことになるんじゃ?

それこそ"大量出血"するようなことに。」


そう思うと、足が竦んで動かなかった。

なんてことのないドアノブも酷く重く感じた。

家の中にいたから何も起きなかっただけで、外に出るなり恐ろしいことになるかもしれない。

いや、家の中でも怪我をしたことがある。

そうなれば、もう安心できるのは自分の部屋だけだ。

僕は踵を返して自室に戻り、急いで鍵を締めた。

廊下から母親の怒号が聞こえるが知らない。

この布団に包まれている今が1番安心できて安全なんだ。

天地がひっくり返っても、僕は怪我しないだろう。


その日から鼻血は1滴も出なくなった。

僕も自室からほぼ1歩も出なくなった。

ただの鼻血に人生を変えられた。

思い込みかもしれないけど、もう日常の一部だったんだ。

僅かでも鼻血が出れば、また大手を振って外を歩けると思う。

「鼻血が出ない人ってどうやって、この不安を乗り越えて外にでてるんだろ。」

幾度となく反芻したその疑問は、今日も布団に包まれたまま消えた。

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「垂れる影」 人一 @hitoHito93

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