オフレコ

 SCP-K003-KAC-A タナカサトシの一晩の経過観察を経て、サイトK管理官室では、サイト責任者である木舟きふね管理官と梶田上席研究員の間に、なんとも言い難い空気が充満していた。

 二人の手元には、事案 SCP-K003-KAC に関するカルテや観察記録、果てはSCP財団から共有された■■アパート周辺での聞き取り調査の報告書類が順を追ってまとめられている。

 中でも異彩を放っていたのは、やはり一晩の経過観察ログの内容であった。


「これは……とんでもない事案が発生してしまったね」


「全くですよ。カント計数機が振り切れるレベルの現実改変能力者が、こんな無防備な状態で今まで捕捉されずにいたことに驚いてますよ」


「本当にね……寝てる間に、ぬるっとイケメンやら巨乳美少女に変態しちゃって、笑い堪えるのダメだったよ」


「事案としては全然笑えないんですけどね。高ヒューム値空間でも自分自身なら改変できるって、相当ですよ。今までどうしてたんだか」


「まあ、ここまで空間ヒューム値が自然と上昇することは、まずないから……それに、K003-A本人が、自身の持つ能力の特異性に一切気がついていないんだからね。話を聞く限り、今まで意図的に能力を行使したこともなし。感じてきた異変をことごとく、体調不良のせいだと思っていて、でも病院にすら行かないんだから、さすがに財団でも捕捉しようがないよ。

 それに、K003-Aの本質は、ヒューム値を自在に操ることよりも、変動した周囲のヒューム値に素早く順応する適応力の高さ——だと思うよ」


「ええ、特に……低現実性への順応速度と耐久性は、正直、人間のなせる技じゃないと思います」


 この世に存在するありとあらゆる実態には、一定量の現実子が存在し、それによって実態のあるべき形——現実性を保っている。

 現実性にも密度の差があり、より高いところから低いところへと影響する性質がある——とされている。


 仮に、有機、無機を問わず実態が長期間低現実性に晒された場合、その実態から徐々に現実性が失われていく。

 現実性の崩壊……それが人体に起これば、五体および五感の不満足を誘発する……即ち、生命維持活動への深刻な打撃に他ならない。


「周囲のヒューム値が下がったら、自身の現実性が流出する前に周囲と自身の体内ヒューム値を同期させて安定化を図る……。周囲から現実子を吸収して自身を高ヒュームに保つ超人タイプの現実改変能力者は何例も見てきたけど……スクラントン現実錨の機能を自己生成で賄うタイプの人間なんて、僕は初めて見たよ」


「それも……無意識下で完全再現してましたからね」


 人間誰しもに、そんな適応力が備わっていたら、現実子安定機げんじつしあんていきの基礎研究の最中、実験事故に巻き込まれたスクラントン博士を無事に救い出すことだって、あるいは出来たかもしれない。虚しいタラレバを語ることだが。


「SCPとしては、むしろK003-Aの方が重要機密度が高いかと」


「うん。下手すると、情報セキュリティー最高レベルのクリアランスが必要になるよ……滅多な言い方をすると、K003-Aの自由と尊厳を丸ごと奪うことになりかねない」


 地球人類をありとあらゆる滅亡の危機から救うためなら、倫理観の欠如した手段も厭わないのが米本部をはじめ、世界中に支部を持つSCP財団の理念であり使命である。

 些細な可能性であったとしても、そこに利用価値があるのなら、たった一人の哀れな日本人青年の選択の自由と命の尊厳など無きに等しい。生涯、財団施設に収容されて、種々様々の人体実験を通して非現実性人型実態として利用される未来が明々白々だ。


「日本国内で日本国民に勝手なことされちゃ困るからね。日本支部にはその辺り、しっかり防波堤になってもらわないと。K003-Aを資源じゃなくて、人として安全に確保するのも、僕らの大事な役割だよ」


「ええ、承知しています」


「とはいえ、K003-Aがこちら側で協力してくれたら、それが一番なんだけどねえ……」


 何とも虫のいいことをうそぶきながら木舟管理官が嘆息する。

 梶田上席研究員は、あえてそこには踏み込まず、軽い咳払いを一つだけ挟んで話を続けた。


「それはそうと、■■アパート202号室の件ですね」


 梶田上席研究員が、卓上に広げられた聞き取り調査書を手に取る。

 調査書にはアパートの大家をはじめ、近隣住民の証言が簡潔にまとめられているが、そのいずれもが202号室をいわゆる心理的瑕疵物件だと認識していたことが窺える。


「入居者が短期間で入れ替わる部屋……ね」


「はい。この部屋だけ相場の三割程度の賃貸料だった理由がコレなんですが、収容活動時の記録を鑑みても、おそらく不定期に空間ヒューム値が低下していた可能性があるかと」


「今後も計測を続けないと何とも言えないけど、時間と空間の境界線が曖昧になる低ヒュームスポット……米本部が研究してる多次元ワームホールの一種だよねえ……多分」


 別に死亡事故や殺人事件が起きたわけでもない。

 ただ、物が紛失したり、時間感覚が麻痺したり、異音や幻覚など精神的に落ち着かない物件というだけだ。

 むしろ、この段階で空間的異常性を、たまたま SCP-K003-KAC-A が知覚したからこそ発見に至った今回が奇跡なのかもしれない。入居者本人も二年間住んでいて気付かなかったくらいなのだから。


「うーん。K003-Aとは性質が異なるけど、元々注視されてた異常性はこっちだからね。202号室もサイトK飛地として確保しておかないと、だね」


「ですね。必要であれば、アパート自体を財団日本支部に買い上げてもらう方が良いと思います」


「お金出してくれるかなあ〜? 現象としては微細だよ?」

「神隠し禁足地研究と関連付けて申請してみては?」

「簡単に言ってくれるよね、梶田くん」


「そこは管理官の交渉力の見せ所でしょう。頑張ってください」


「わあ、全然心がこもってない」

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