通報

「はい、119番。■■市です。火事ですか? 救急ですか?」


 淡々とした応答。


「あ、えっと、救急です。あの、俺……」

「救急ですね、落ち着いてください。住所はどこですか?」


 事務的ながら、はっきりとした穏やかな口調で諭されて俄かに我に返り、しどろもどろになりながらも、なんとか住所を伝える。


「■■市■■町■丁目■の■■番地202号室ですね。今、地図で確認しています。単身者用の■■アパートで間違いありませんか?」


「えっと、はい。■■アパートの202号室です」

「確認できました。どうしましたか?」


「あの、今朝から急に、自宅にいるのに玄関の場所が分からなくなって、その、家から出られなくて……何度も家の中をぐるぐるして、自分じゃそんなに歩いてるつもりもなかったのに、気が付くと数時間経ってて、その、体が全然思い通りにならなくて、わけが分からなくて、えっと」


「分かりました。どうぞ、落ち着いてください。年齢はおいくつですか?」

「あ、はい、今年……えっと、ハタチです」


「持病や既往歴はありますか?」

「い、いいえ、特には。今朝から、急に玄関の位置が分からなくなって、もう数時間以上家の中を歩き回ってて、でも玄関に辿り着けないんです」


「頭痛や吐き気などはありますか?」

「少し、あります。で、でも、昨日徹夜したから、かも」


「分かりました。今、救急車が向かっていますので、あなたのお名前と連絡先を教えてください」

「タナカサトシ。電話番号は080ー■■■■ー■■■■です」


 電話を切って待機するよう言われ、ほどなく救急車のサイレンの音が段々と近づいてくるのが聞こえてきた。

 自分でもめちゃくちゃな通報だとは思ったが、他に伝えようがなく、イタズラ電話だと切り捨てられたら絶望するしかないと思っていたが、この地域の福祉はちゃんと機能しているのだと改めて安堵した。


 サイレンの音を頼りに玄関に向かおうとリビングを出たが、やはり気が付くと再びぐるりとリビングを周回していた。

 玄関の位置が分からない。

 だんだん、頭の中で当たり前に理解していたはずの家の間取り図すら曖昧になってきている気がして、背筋が凍った。


「タナカさん——! タナカさん、大丈夫ですか?」


「は、はい。でも、すいません、玄関の位置が分からないんです! 助けてください!」


 大声を張り上げたら、目の前がくらりとした。

 ピンポンとチャイムがなり、扉をノックする音が聞こえてくる。

 救急隊員と思しき男性の声がリビングまで響いてくる。


 決して遠くない距離だというのに、リビングを出ると何故か目の前に洗面室の鏡があった。

 鏡の中の自分の顔は、もはや蒼白として顔面の全筋肉が引きっているように見えた。


「タナカさん、ドア開けますよ!」

「お願いします! 助けてください!」


 普段から、U字ロックは掛けてすらいないが、了承を得た救急隊員の屋外からの開錠の手際の良さには驚くばかりだ。わずか一分にも満たない短時間で、単身者用アパートの簡素な扉は開け放たれた。


 それでも、玄関の場所がまるで認識できないことに、ただただ……絶望を覚えるのだった。

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