川を書くと人が気絶する——疑われた僕は令和のテロリストと呼ばれた

@TK83473206

第1話 川という字を書くと、人は倒れる


 最初に気づいたのは、偶然だった。


 講義中、ノートの端に意味もなく自分の名字を書いた。

 **川村**。

 いつも書き慣れた二文字のうち、「川」の字を書き終えた瞬間、前の席の学生が音を立てて倒れた。


 椅子ごと、横に。


 一瞬、誰も状況を理解できなかった。

 教授が叫び、周囲がざわめき、誰かが救急車を呼ぶ。

 僕はただ、自分のノートを見つめていた。


 ――今の、俺のせいじゃないよな。


 そう思おうとしたが、手が震えてペンを落とした。


 彼はすぐに目を覚ました。

 「急に目眩がした」と言い、検査の結果も異常なし。

 講義は中断され、事件はそれで終わった。


 ……はずだった。


---


 その日の夜、試した。


 コンビニのレシートの裏に、小さく「川」と書いた。

 それを、向かいの席に座っていた友人に、さりげなく見せた。


 彼は言葉の途中で止まり、次の瞬間、前のめりに眠り込んだ。


 ――気絶、してる。


 心臓が跳ね上がった。

 揺すっても反応はなく、数十秒後、彼は何事もなかったように目を覚ました。


 「なんで寝てたんだ、俺?」


 理由は分からない。

 だが確信だけはあった。


 **人に「川」という字を見せると、気絶する。**


 紙でも、指でも、空中に書いても同じだった。

 条件はただひとつ。

 **相手がそれを“川”として認識すること。**


 使い道なんて考えられなかった。

 冗談にもできない。

 僕はそれを、誰にも言わずに封じた。


 ……そのつもりだった。


---


 それが起きたのは、帰宅途中の路地だった。


 人通りのない細い道。

 背後で足音が止まり、振り向いた瞬間、男と目が合った。


 包丁を持っていた。


 刃は街灯の光を反射して、やけに現実感があった。

 男は何も言わない。ただ、距離を詰めてくる。


 頭が真っ白になった。


 逃げ道はない。

 声も出ない。


 ――嫌だ。

 ――死にたくない。


 その瞬間、体が勝手に動いた。


 スマホケースに挟んでいたメモ帳を引き抜き、震える手で一文字を書く。

 **川。**


 それを、男に突きつけた。


 男は一歩踏み出したまま、力を失ったように崩れ落ちた。

 包丁が乾いた音を立てて転がる。


 気絶している。


 助かった。

 本気で、そう思った。


 次の瞬間、背後からブレーキ音がした。


 振り向いたときには、もう遅かった。

 路地に入ってきた車が、倒れていた男を跳ねた。


 鈍い音。

 短い悲鳴。

 そして、動かなくなった体。


 僕は、その場に立ち尽くした。


---


 警察は「不幸な事故」と結論づけた。


 刃物を持っていたこと。

 通報がなかったこと。

 夜道で倒れていたこと。


 すべてが噛み合って、事件にはならなかった。


 事情聴取も形式的だった。

 僕は震えながら、何度も同じ説明を繰り返した。


 ――書いた、とは言わなかった。

 言えるはずがなかった。


 家に帰ってから、吐いた。

 何度も手を洗った。


 殺したわけじゃない。

 でも、助けたとも言えない。


 眠れない夜が続いた。


---


 数日後、違和感が始まった。


 大学で、視線を感じる。

 名前を呼ばれると、一瞬の間が空く。


 ネットで自分の名前を検索して、すぐに後悔した。


 【事故現場にいた大学生】

 【逃げた男】

 【偶然にしては出来すぎ】


 誰も断定していない。

 それが、逆に怖かった。


 ――疑われている。


 理由はない。

 証拠もない。


 それでも、一度芽生えた疑惑は消えない。


 僕は、自分の名前を書けなくなった。

 メモも取れない。

 署名が怖い。


 「川」という字が、日常に溢れていることに、初めて気づいた。


 そして思った。


 ――いつか、必ずバレる。

 ――何もしていないのに。


 その予感だけが、異様なほど確かだった。


---


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