なるほど。似人を引き渡さないこと、それはメリット・デメリットでは測れない、理屈ではない「親としての情」が大きな理由なのですね。
1ヶ月という短い期間ではあるものの、自分が産んだ我が子同然の似人を社会に送り出し、暴虐されることを黙認できるかどうか…人とは何かを問われている気がします。
作者からの返信
ジロギン2さま、そうなのです、『私』の場合は感情面での躊躇が大きいです。
現実の生き物たちもそうですが、意思疎通が図れてしまうとつい絆されちゃうというか、「他の人は理解出来なくても私は分かってあげられるかもしれない」とポジティブに捉えちゃうんですよねぇ。一度気持ちが偏ってしまうと、たとえ噛まれたとしても大目に見てしまったりして。
自分の耳から生まれたモノが他人のストレスをぶつけられて虐げられるかもしれないとなると、今なら助けられるかもとか思いかねないなと。
世間の常識というものは、世間が作り出すもの。
共通認識というものは、気づかない、もしくは、気づいていてそれ以上考えない、まさに欺瞞そのもの。
疑問こそが自己を作って、命という価値は一律化など不可能。
この主人公の〝選ぶ〟未来が一体どんなものなのか……楽しみです。