第10話「晩餐会の喝采と嫉妬の影」

 王宮の晩餐会当日。

 カイは夜明け前から王宮の厨房にいた。


 そこは戦場だった。

 数十人もの料理人たちが慌ただしく立ち働き、怒号に近い指示が飛び交っている。

 銅の鍋がぶつかる甲高い音、肉の焼ける香ばしい匂い、湯気の熱気。

 その全てがカイの五感を刺激する。


「お前が、騎士団長のところの……」


 王宮料理長が値踏みするような目でカイを見た。

 他の料理人たちも遠巻きに好奇と、少しの侮蔑が混じった視線を向けてくる。

 ぽっと出の、しかも男のオメガに何ができるのか。

 そんな声が聞こえてくるようだった。


 カイは緊張で指先が冷たくなるのを感じながらも、深々と頭を下げた。


「カイ、と申します。本日はよろしくお願いいたします」


 今は言葉で何を言っても無駄だ。

 結果で示すしかない。

 カイは自分に割り当てられた調理台に向かうと、持参した道具を並べ黙々と準備を始めた。


 カイが任されたのは、コースの中の一品、魚料理だった。

 カイが選んだのは、この国で獲れる白身魚を使った一皿。

 普通なら、焼くか、蒸すか、スープにするのが一般的だ。


 だがカイは違うアプローチを選んだ。

 まず魚の皮に細かく切れ込みを入れ、塩とハーブで下味をつける。

 フライパンに油を熱し、皮目からじっくりと時間をかけて焼いていく。

 時々、フライパンを傾けて熱い油をスプーンで皮にかけながら。


 ぱり、ぱり、と小気味よい音がして、皮が黄金色に色づいていく。

 身の方はほとんど火を入れない。

 皮の熱だけでじっくりと火を通していくのだ。


 ソースには甘酸っぱい果実と白ワインに似た醸造酒、そして魚の骨から取った出汁を使った。

 少しだけバターを加えてコクととろみを出す。

 付け合わせには数種類の野菜をそれぞれ最適な方法で調理し、彩りよく盛り付ける。


 他の料理人たちが、いつの間にかカイの手元を食い入るように見つめていることに、カイは気づかなかった。

 彼の頭の中には、最高の料理を完成させることしかなかった。


 ***


 晩餐会が催される大広間は、きらびやかな光に満ちていた。

 着飾った貴族たちの談笑の声、楽団が奏でる優雅な音楽。


 騎士団長として正装に身を包んだリアムも、その輪の中にいた。

 しかし彼の意識はずっと厨房の方へと向いていた。

 カイは大丈夫だろうか。

 普段は揺らぐことのないリアムの心も、今日ばかりは落ち着かなかった。


 やがて料理が運ばれ始める。

 前菜、スープと続き、いよいよカイが作った魚料理が賓客たちの前に並べられた。

 会場がわずかにどよめいた。


 皿の上に盛り付けられた料理は、まるで一枚の絵画のように美しかった。

 黄金色に輝く魚の皮。

 宝石のように散りばめられた色とりどりの野菜。

 艶やかなソース。


 賓客であるエルミート国の王子が、恐る恐るナイフを入れる。

 サクッ、という軽やかな音が静かな会場に響いた。

 王子は驚いたように目を見開くと、一口それを口に運んだ。


 次の瞬間、彼の顔が驚愕と、そして歓喜に満たされた。


「……素晴らしい!」


 思わず漏れた賞賛の声に、会場中の人々が一斉に料理に手をつける。

 そしてあちこちから、感嘆のため息が漏れ始めた。


 パリパリに焼かれた皮の香ばしさと、ふっくらと蒸し焼きにされた身の柔らかさ。

 二つの食感のコントラスト。

 果実の酸味が効いたソースが、魚の旨味を最大限に引き立てている。

 誰もこんな魚料理は食べたことがなかった。


 国王アルフォンスも満足げに頷いている。

 リアムは胸を撫で下ろすと同時に、誇らしい気持ちで胸がいっぱいになった。

 やはりカイはすごい。

 俺の目に狂いはなかった。


 しかし、その喝采の輪の中で一人、苦々しい表情で皿を睨みつけている男がいた。

 保守派貴族の筆頭、オルコット侯爵。

 彼は平民出身のリアムが権勢を振るうことを快く思っておらず、その番であるカイの存在も当然面白くなかった。

 ましてや男のオメガが王宮で称賛を浴びるなど、彼の価値観では許しがたいことだった。


 オルコット侯爵は隣に座る子飼いの貴族に、誰にも聞こえない声でつぶやいた。


「……小賢しい真似を。あの虫けらを、すぐに潰せ」


 その瞳には嫉妬と悪意の暗い炎が燃え盛っていた。

 カイの成功の裏で、静かに、そして確実に邪悪な陰謀が動き始めていた。

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