第6話「厨房に立つ理由」

 翌朝、カイは鳥のさえずりで目を覚ました。

 窓から差し込む朝日が部屋を明るく照らしている。

 こんなに穏やかな目覚めは、いつぶりだろうか。


 身体を起こすと、昨日までの疲労が嘘のように軽くなっていた。

 温かい寝床と、ちゃんとした食事。

 それだけで人はこんなにも変われるのだ。


 カイが部屋を出ると、廊下でちょうど執事のセバスと出くわした。

 セバスは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに丁寧にお辞儀をした。


「カイ様、おはようございます。よくお眠りになれましたか?」


「はい、おかげさまで。あの……リアム様は?」


「旦那様は早朝から騎士団の訓練へ向かわれました。お昼過ぎにはお戻りになるかと」


 そうか、彼は騎士団長なのだ。

 朝も早いのだろう。


「朝食の準備ができております。食堂へご案内します」


 セバスに促され、カイは食堂へと向かった。


 テーブルには昨日と同じように温かい食事が用意されていた。

 焼きたてのパンの香りが食欲をそそる。


「いただきます」


 一人で食べる食事は少しだけ寂しかったけれど、それでも空腹が満たされる幸せは何物にも代えがたい。


 食事を終えたカイは、セバスに声をかけた。


「あの、セバスさん」


「はい、何でございましょう」


「厨房を、少しだけお借りすることはできますか?」


 その言葉にセバスはきょとんとした顔をした。


「厨房、でございますか? 何か、お作りになりたいものでも?」


「はい。リアム様は俺の料理を美味しいと言ってくださったので……。何かお礼がしたくて」


 カイがそう言うと、セバスは少し考えるそぶりを見せた後、ふっと表情を和らげた。


「……承知いたしました。料理長には私から話を通しておきましょう。どうぞ、ご自由にお使いください」


 その表情には、昨日までの警戒心が少しだけ解けているように見えた。


 ***


 アークライト家の厨房は辺境伯家のそれとは比べ物にならないほど、広くて機能的だった。

 様々な種類の調理器具が壁にかけられ、磨き上げられた銅の鍋が輝いている。

 香辛料の棚にはカイが見たこともないような珍しいスパイスも並んでいた。

 料理人だった血が、ふつふつと湧き立つのを感じる。


「あなたがカイ様ですか」


 声をかけてきたのは、恰幅のいい、人の良さそうな壮年の男性だった。

 この屋敷の料理長だろう。


「初めまして。お噂はかねがね。旦那様が『番』を連れてこられたと聞いて驚きましたよ」


 料理長は豪快に笑う。


「セバスから話は聞いています。何でもお使いください。食材も好きなものを使っていただいて構いません」


「ありがとうございます。助かります」


 カイは深々と頭を下げた。


 何を作ろうか。

 リアムは毎日厳しい訓練をしているはずだ。

 きっと身体も疲れているだろう。

 疲労回復に効くような、それでいて心も休まるような優しい味のものがいい。


 食料庫を物色し、カイはいくつかの食材を選んだ。

 新鮮な鶏肉、滋養のありそうな根菜、そしてこの世界にもあった米によく似た穀物。

 これらを使って、前世でよく作っていた身体に優しいスープ料理を作ることにした。


 鶏肉は骨ごとぶつ切りにして、一度湯通しして臭みを取る。

 鍋にたっぷりの水と鶏肉、香味野菜を入れて弱火でじっくりと煮込んでいく。

 灰汁を丁寧に取り除きながら、時間をかけて旨味を引き出すのがポイントだ。

 スープを煮込んでいる間に根菜の皮を剥いて食べやすい大きさに切る。

 穀物は軽く洗って水気を切っておく。


 スープのベースが出来上がったら、根菜を加えて柔らかくなるまで煮込む。

 最後に穀物を加え、とろみがつくまでさらに煮込む。

 塩と隠し味に少しだけ果実の甘みを加えて、味を調える。


 出来上がったのは、鶏の旨味が溶け出した、とろりとした優しい味わいの雑炊のような料理だった。

 この世界にはない料理だが、きっとリアムの口にも合うはずだ。


 ***


 昼過ぎ、訓練から戻ってきたリアムは、屋敷に漂う食欲をそそる香りに気づきわずかに目を見開いた。

 その香りをたどって食堂へ向かうと、テーブルの上には湯気の立つ深皿が置かれていた。

 そしてその傍らには、カイが少し緊張した面持ちで立っている。


「カイ……これは、お前が?」


「はい。お口に合うか分かりませんが……いつもお世話になっているお礼に、と思って」


 リアムは椅子に座り、スプーンを手に取った。

 とろりとしたスープを一口、口に運ぶ。

 次の瞬間、リアムの青い瞳が驚きに見開かれた。


 鶏の滋味深い旨味と野菜の優しい甘みが、口いっぱいに広がる。

 米に似た穀物のぷちぷちとした食感も心地いい。

 じんわりと、身体の芯から温まっていくような感覚。

 訓練で疲れた身体に、その優しさが染み渡っていく。


「……美味い」


 リアムは夢中でスプーンを動かした。

 あっという間に皿は空になる。


「おかわりは、ありますか?」


 カイが尋ねると、リアムはこくこくと力強く頷いた。

 その子供のような仕草に、カイは思わず笑ってしまった。


 三杯もおかわりをしたリアムは、満足げに息をついた。


「こんなに美味いものは、王宮の晩餐会でも食べたことがない」


 最大級の賛辞に、カイは顔を赤くして俯いた。


「お粗末様です」


「いや。お前の料理には不思議な力がある。身体だけじゃない、心まで温かくなるようだ」


 リアムは立ち上がるとカイの前に立ち、その頬にそっと触れた。


「カイ。この屋敷に来てくれてありがとう」


 その真摯な言葉と優しい眼差しに、カイの心臓が大きく跳ねた。


 この人のために料理を作りたい。

 この人に美味しいものを食べて、笑っていてほしい。

 カイはこの世界で自分が生きる理由を、ようやく見つけたような気がした。

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