AIプロテイン
宿仮(やどかり)
AIプロテイン
「ねえねえ、最近の作家ってさ、AI使って小説書いてるらしいよ」
夕飯後、みかんを剥きながらの妻・けい子ははそう言った。
俺は帳簿を閉じて、肩を回す。今日も一日、慣れないパソコンで、誰にも褒められない文章を書いていた。
「はいはい。どうせ大学生の論文程度の、ヒョロヒョロ文体だろ」
文学は文体だ。
先人の文章を積み上げて、壊して、その上に己の文章を積んでいく。それはAIなんて機械には出来ない作業だ。
「でもね、それがさ――」
けい子の声が、クラブのママのように弾んでいた。
「大学の同級生で、真理絵っていたでしょ?」
確か、けい子は可愛いだけでまるっきり短歌は詠目だ!と言っていた子だった。
要領よく、無駄な筋トレはしないタイプ。
ミスコンに出てたのも、今思えば“見せる身体”の才能があったからかも。
「その真理絵がね、論文を“俵万智風”に鍛え直すAIがあるって言うのよ」
嫌な予感がする。麻薬のような甘い言葉だ。
「情報学部のM教授に頼んで、“AIプロテイン”ってアプリを借りたんだって」
プロテイン。
文学に必要なのは、白米と味噌汁だと思っていた。
「これがすごくてね。“ここの活躍筋を強化したい”って指定すると、有名作家の筋肉をボディビルをやった作家とか移植するみたいに、文章が盛り上がるらしいの」
俺の脳裏に、M島の上腕二頭筋を縫い付けられた文章が浮かんだ。
「それで卒論を本にしたら、評判よくて」
けい子は、みかんの筋を取りながら続ける。
「今じゃコメンテーターなのよ。雑誌社から原稿依頼、国営放送の教育番組で“真理絵の部屋”とか、自慢しているわ!短歌相談室って名の私が出るべきなのに」
「聞いてない」
「でしょ」
俺は、無意識に自分の指を見た。
ペンだこ。
地味で、時間だけかかる、天然の筋肉。
「まあ、顔もいいしさ」
「ちょっと!」
けい子の視線が、ベンチプレスの重りみたいに重くなる。
「彼女、私たち世代の短歌を“ライトヴァース”にしてるって。チョコの銀紙みたいに包んで、そんなの 見た目だけだってあんた言ったよね」
……確かに、言った。
「でもね」
けい子は、俺の前に未来を並べ始めた。
「今の暮らしじゃ、子作りどころか、ダイエットが終わらないでしょ。潰れそうな本屋の維持でいっぱいいっぱい。私の短歌のバイトも、言ってみればプロテインバー一本分」
そして、声を潜めて言った。
「それでね、真理絵を少し脅してみたの」
「お前は、まだそんなことをやっているのか?」
「そしたら十万で、AIプロテイン貸してくれるって」
十万。
高級サプリ一年分。
「有名作家の文章を補助してくれるらしくてね。ちょっと“引っかかる言葉”で、うまく筋肉を盛ってくれるんだって」
けい子の目は、私の理想の肉体改造後の身体を見ていた。
「やってみなよ、……私のお年玉で出すか、ら……倍々に増えたら、この家をビルディングにして“カフェ柳”とか……私は短歌教室、あんたは講演会……」
夢だけは、大きい
俺は、しばらく黙っていた。
そして思った。――一回だけなら、――軽く、補助するだけなら。こうして俺は、自分の文体という身体に、禁断のAIプロテインを注入することを、許してしまった。
AIプロテインを入れた原稿は、最初、妙に調子がよかった。
比喩が勝手に伸び、論の骨格が筋肉質になり、編集者が好みそうな「ここ泣けます」という赤ペンの位置まで、あらかじめ察しているようだった。俺はパソコンのキーを打ちながら、これは自分の調子が戻っただけだ、と何度も言い聞かせた。
ところが、書き終えたはずの段落が、翌朝読むと少し違っている。
語尾が柔らかくなり、倫理的に危ういところが、なぜか「今こそ問われる」といった決まり文句で包まれている。消そうとすると、代替案が三つポップアップする。
――より広い読者に届く表現に最適化しました。
最初の賞を取った。
次の月に、もう一つ。
気がつけば、文芸賞の候補一覧に、俺の名が定期的に並ぶようになった。
授賞式の壇上で、俺は自分の言葉(AIプロテイン)を引用しながらスピーチをした。だが、その一文一文が、どこかで読んだことのある声色で響く。拍手の音が遅れて届き、頭の中で、別の誰かが同時に喋っている感覚があった。
家に戻ると、けい子は嬉しそうに電卓を叩き、「国男が頑張ってくれるから、ビルディングは現実味出てきたね」と笑った。俺は笑い返したが、笑顔の筋肉の動かし方を、AIに教えられているように引きつっていた。
ある夜、原稿を書こうとして、何も出てこなかった。
代わりに、画面の隅でAIプロテインが静かに提案を始める。
――このテーマでは、あなたの経験より、集合知が有効です。
集合知。
その言葉を読んだ瞬間、胸の奥が冷えた。
そんな折、国営放送から連絡が来た。
「真理絵の部屋」の出演の依頼だった。俺は最近のライトヴァース化について相談するとか。
スタジオで再会した真理絵は、昔より輪郭がはっきりしていた。言葉の選び方も、間の取り方も、過不足がない。まるで編集済みの人間だった。
収録後、軽く飲もう、という流れになった。
気がつけば、彼女の部屋にいた。詳しいことは、どうしても思い出せない。ただ、朝方、カーテン越しの光の中で、彼女がスマホを操作していた背中だけが、やけに鮮明だった。俺は業平をきどって「後朝(きぬぎぬ)の歌」なんかメールしていた。真理絵の返歌は俺の予想を外れるものではなかった。
その後、俺はけい子に内緒で、真理絵とメールのやりとりしていた。短歌の練習だと言いきかせて。
褒め言葉が続き、気持ちが近づいていると信じた。
――あなたの言葉は、この時代を救います。
――あなたは、私の思考の癖を理解してくれる唯一の人。
甘い。だが、どこか均質だ。
ある晩、俺は悪夢を見る。
送ったはずのラブレターが、画面上で分解され、タグ付けされ、最適化されていく。差出人は自分だが、署名の下に、小さく「AI プロテイン」と表示されている。
目が覚めて、震える手で真理絵にメールした。
「ねえ、あのメール……自分で書いてる?」
一瞬の沈黙。
それから、彼女はいつもの、整いすぎた文章で返信してきた。
「もちろん。でも、補助は入れてる。今どき、みんなそうでしょ?」
スマホは不気味に光っていた。俺は自分の過去の原稿を引っ張り出した。
AIプロテインを入れる前の、荒くて、冗長で、読者に優しくない文章。
そこには、確かに自分がいた。
不器用で、偏屈で、売れないが、勝手に息をしている文章が。
俺はアプリを削除しようとした。
すると指が硬直して動かない、腱鞘炎か?そして、メッセージが表示された。
――あなたの意識のバックアップは完了しています。
その夜、俺は初めて、何も書かずに机に向かった。
空白の画面を見つめながら、どこからが自分で、どこまでが他人なのかを、ゆっくり確かめるように、呼吸だけを数えた。
外では、潰れそうな本屋のシャッターが、風に鳴っていた。
最初の異変は、軽い違和感だった。
文章が、重すぎる。
狙ったところに力が入らない。
まるで、借り物の筋肉が、勝手に収縮しているみたいだった。
画面には、見覚えのある言い回しが並んでいた。
――「言葉は、沈黙の裏側で熟成される」
俺は、背筋が冷えた。嫌いな作家の文章だ。ああいう、もったいぶった沈黙。読者に「深い」と思わせるための、計算された間。俺は、その作家を、心底軽蔑していた。
文章が筋肉じゃなく、脂肪でできているタイプ。動かないのに、助長で原稿量を稼ぐ奴。
削除キーを押す。だが、消えない。まだ、指が攣っている。代わりに、別の文が提案される。
――より評価されやすい筋繊維に置換しました。
その瞬間、右腕に、激痛が走った。
筋断裂だ、と直感した。
書こうとするたびに、俺の文章じゃない筋肉が、勝手に動く。しかも、そいつは俺がいちばん嫌ってきたタイプの作家だった。
夜、原稿机に向かっていると、背後に気配がした。振り返ると、けい子が立っている。
――いや、違う。
けい子の隣に、あいつがいる。俺の嫌いな、あの笑い方で。俺の本屋の床に、土足で上がっている。
二人は、何も言わず、同じ文章を読んでいた。俺の原稿を。そして、笑っているのだ
「やめろ」
声が出たかどうかも分からない。
次の瞬間、二人の身体が、ゆっくり重なった。
それは、恋人同士の動きというより、
同じトレーニングメニューをこなす者同士の、無言の連携だった。
筋肉が、勝手に連動している。
目を閉じると、画面が赤く点滅した。
――過剰な拒否反応を検出、――感情ノイズを低減します。
「余計なことをするな!」
俺は、机を叩いた。
右腕が、ズキリと悲鳴を上げる。
現実と幻影の境目が、溶け始めていた。
その夜、けい子は何も知らずに眠っていた。
寝息は規則正しく、自然だ。
ドーピングしていない筋肉の呼吸。俺は本屋の本を片っ端から投げ捨てていた。おさまらないのだ。そして火をつける寸前で手が熱いのに気がつき、慌てて火を消した。
俺は、暗闇の中で、スマホを握りしめた。
真理絵からのメッセージが届いていた。
――最近、文章がすごく“効いてる”ね。
効いてる……。
その言葉が、ステロイドみたいに胸に刺さった。
俺は返信を書いた。
書いているつもりだった。
だが、送信前の文章を読んで、凍りつく。
それは、俺の声でも、真理絵の声でもなく、例の嫌いな作家の、完璧に整った文章だった。感情が入っでなかった
まるで、俺の中の筋肉が、すでに他人の指令で動いているかのように。俺は救急車で運ばれ入院していた。それまでの稼ぎはすべて消えたとけい子が笑っていたのが救いだった。
AIプロテイン 宿仮(やどかり) @aoyadokari
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