幽霊

にょーん

幽霊家事代行

 その幽霊は、やけに手際よく卵を溶いていた。


「甘めとしょっぱめどっちが好きですか?」

「……しょっぱめ」

「りょーかいです♪」


 タッタッタッタとリズミカルに卵をかき混ぜる彼女に、寝起きの僕は半ば反射的に答える。

 返ってきたのは快晴の朝にぴったりの気持ちの良い声。

 耳をすませば鼻歌も聞こえてくるし、ふりふりとリズムに合わせておしりも振られている。

 幸せに満ちたごく一般的な家庭のような光景。

 彼女に足がないことを除けば、だが。

 彼女は見るからに幽霊だった。

 ショートボブの合間に覗くピアスに、真っ白なブラウス。背中で交差するのはえんじ色のエプロンで、ベージュのパンツがスラリと伸びる。

 その全てが半透明だった。

 僕は背後に立っているのにかき混ぜた卵をフライパンに注ぐ様子が透けて見えるのだ。菜箸を初めとする料理器具を持ててしまっているのはどういう原理かはわからないけれど。

 ともかく夢かと目をこすってみるがその奇妙な光景は変わらない。


「……えっと」

「あ、お腹すきました? もう少しなんで待っててくださいね~」

「いや、そうじゃなく……」

「はい?」


 そこでくるりと彼女が振り向いた。

 大きな瞳に、小ぶりな鼻とぷくっとした唇。

 思ったより童顔だしかなりかわいい。

 じゃなくて。


「えっと……?」

「あれ、先程挨拶した家事代行ですけど寝てたのかな。依頼くださいましたよね? ウチの『ワケアリ家事代行』に」

「いや、しましたけど……え、幽霊ですか?」

「あ、はい。5年前に死んでます」

「あ、それは……ご愁傷さまです」

「もうっ。気にしないでくださいよぉ。これわたしの定番ギャグなんですよ?」


 なんて振り向いて頬を膨らませて見せる幽霊。

 初対面の人間が笑うにはハードルの高すぎるギャグだと思う。

 なんと返すべきか迷った僕は結局「へへっ」とできが悪いにも程がある愛想笑いをして洗面台で顔を洗う。


(幽霊であることに目を瞑れば理想のお手伝いさんなんだよなぁ)


 ヒゲを剃り化粧水をぴたぴたとやりながらそんなことを思う。

 何より若い。そして可愛い。加えて明るい。

 こんな奥さんがいれば、を体現したような人だ。

 僕とそう年齢も変わらないように見えるから、働くにしても子供を持つにしても人生はまだまだこれからだっただろう。

 それなのに悲観的にならず、僕を笑わそうとまでしてくれるのだ。


(成仏……の手伝いとかしたほうが良いんだろうか)

 

 僕に出来るなら力になりたいなと、そんなことを思いながら居間に戻る。

 彼女が準備した朝食がテーブルに並び、差し込む陽光のせいもあって光り輝いて見えた。 


「さ、温かいうちに食べてください。お洗濯とかお掃除とかしちゃいますね」

「あー、その……」

「はい? どうかしました? あ、寂しければ一緒に座りましょうか?」

「そうではなく」


 想定外の反応に僕はこほんと咳払いをする。

 彼女は首を傾げながらも僕の対面に座ってくれた。


(……まあ、朝から美人さんの顔見れるって眼福だよな)


 なんてことを思ってしまうが、ちょうどいい。

 話したいと思っていたのだ。


「その、幽霊さん」

「はい? なんでしょう」

「何か僕に手伝えることはありますか? 成仏的な意味で」

「へ? 成仏ですか?」


 彼女の大きな瞳がぱちくりと開閉する。

 え? 幽霊って未練を解消するためにこの世にとどまり続けているんじゃないのか?

 互いに見つめ合う僕と彼女。

 生まれてしまった変な間に、僕の意図をどうやら読み取ったらしい彼女がわたわたと手を降る。


「あ、私のことでしたらお構いなく! きっと成仏は出来ませんから」

「え?」


 明るい声音に、花が咲くような笑顔。

 けれど、言葉はひどく物悲しい。

 言葉を失う僕に彼女は照れるようにはにかむ。


「わたしの夢、良いお嫁さんになることだったんです」

「……」


 僕に気を遣わせないようにだろうか、明るくにこりと微笑んでくれた彼女が続ける。


「好きな男の人のお弁当を作って、お仕事に出かけている間はお家を綺麗にしたり夕飯の準備をしたりして、旦那さんが返ってきたらおかえりって笑って夕飯を一緒に食べながら笑うんです。今どきめずらしいですよね。でもそれがわたしの夢で。結局叶いませんでしたけど」


 寂しそうに笑う彼女に僕は知らず拳を握りしめていた。

 出会って一時間も立っていないのに、何もしてあげられない自分が情けないと感じていた。


「だから家事代行をしているんです。わたし好きなので、誰かを支えるの」

「そう、ですか」

「あはは、でも嫌ですよね。幽霊の家事代行なんて」

「そんなっ」


 僕はがたりと立ち上がるが彼女は諦めたように僕を見つめている。

 僕は一度でも幽霊である彼女に嫌悪を抱かなかっただろうか。否である。所見で僕の全身を悪寒が走った。あり得てはいけない存在に。


「大丈夫ですよ、いつもなので。むしろご飯食べてくださっているなんてとてもあなたは珍しいです。いつもは気味悪がられてすぐに追い出されて当然リピートはなしですから。あっ、すみませんわたしったら。朝なのに湿っぽくしちゃって。ご飯食べてくださいっ。今日は自信作なんです!」 


 何か言葉を上げたくて、けれども何も思いつかない僕は間を埋めるように黄金に輝く卵焼きを口に入れる。


「あまっ」

「えっ? 甘かったですか? おっかしいなぁ……やっぱり味見できないと駄目ですね。すみません、幽霊のくせに美味しくも作れなくて」

「明日も来てください」

「へ? 幽霊なのに? 美味しくもつくれないのに?」

「美味しくなくたって醤油をかければ良いんです」

「え、ちょっとかけ過ぎじゃ……」

「いえ、これぐらいで……しょっぱっ」

「しょっぱいんじゃないですか!」

「いえ、これでちょうどいいんです! 別に甘く立っていいじゃないですか。醤油をかければやり直せます。幽霊だって同じですよ。やりなおしましょう。成仏のために」

「え、それって……」


 彼女の透明な頬がみるみる赤く染まっていく。

 まあ彼女が幸せに慣れたのなら良かった。

 でも……やっぱり醤油入れすぎだったかもしれない。

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幽霊 にょーん @hibachiirori

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