第五章 品質保証宣言

「騎士団長に、推薦状を書いてもらった」


翌週、リーナは再びハンマーフェル工房を訪れ、そう告げた。手には、蝋印が押された羊皮紙の書状を持っている。


「推薦状?」


セイは、差し出された書状を受け取った。流麗な筆致で書かれた公式文書。王国騎士団の紋章が刻まれている。


「『武器品質調査の許可状』だ。これがあれば、鍛冶ギルドの工房を視察し、製造工程を確認する権限が与えられる」


「どうやって——騎士団長を説得したんだ?」


「簡単だった。『武器の品質問題が、戦死者を増やしている可能性がある。調査して、改善策を提案したい』と言っただけ」


「それで、すんなり?」


「ああ」


リーナの口元に、皮肉な笑みが浮かんだ。


「あの男は、現場には興味がない。だが、『改善提案』という言葉には弱い。自分の手柄になる可能性があるからな」


「なるほど——政治的な動機を利用したわけだ」


「そうだ。清廉潔白なだけでは、組織は動かせん。お前は頭がいいから、分かるだろう」


セイは頷いた。前世でも、同じことを何度も経験していた。正論だけでは人は動かない。相手の利益、相手の動機、相手の弱点——それらを理解した上で、「相手が動きたくなる」ように仕向ける。それが、組織を動かす技術だ。


「でも、これだけじゃ足りない」


リーナは、書状を指差した。


「この許可状で視察はできる。だが、実際に品質を改善するには、鍛冶師たちの協力が必要だ。彼らが乗り気にならなければ、何も変わらん」


「分かってる。だから、まずは成功事例を作る。父さんの工房で実績を示して、それを他の工房に見てもらう」


「それには時間がかかる」


「うん。だから、もう一つの手も打っておきたい」


セイは、紙を取り出した。この数日で書き上げた「品質保証計画書」の草案だ。


「これは?」


「僕たちが、何をしようとしているかの宣言書。『なぜ品質保証が必要なのか』『具体的に何をするのか』『それによって何が変わるのか』を、分かりやすくまとめた」


リーナは、書類に目を通した。


「——なぜ品質保証が必要なのか」


書類の冒頭には、そう書かれていた。


「現状、王国に供給される武器の品質は、製造者の技量に大きく依存している。同じ鍛冶師が作った製品でも、品質にはばらつきがあり、時として致命的な欠陥を持つものが市場に出回っている。


戦場において、武器の不具合は兵士の命に直結する。剣が折れれば、騎士は丸腸となる。盾が歪めば、致命傷を防げない。鎧に亀裂があれば、その隙間から刃が入る。


我々は、この問題を解決するために、以下の取り組みを提案する——」


リーナは、続きを読み進めた。書かれているのは、セイがこれまで工房で実践してきた「改善」の数々と、それを王都全体に広げるための計画だった。


「これを——どうするつもりだ?」


「できれば、王宮に提出したい」


「王宮?」


「うん。国王陛下か、少なくとも軍務を統括する大臣に。『騎士団が使う武器の品質を保証する制度』を、国として作ってほしいんだ」


リーナは、セイを見つめた。この少年は、本当に「子ども」なのだろうか。発想の規模が、十歳の域を遥かに超えている。


「——無理だな」


リーナは、率直に言った。


「少なくとも、今すぐには無理だ。お前がどれほど優れた計画を持っていても、『十歳の鍛冶師の息子』という肩書きでは、王宮の門すら通れん」


「分かってる」


「ならば、なぜ——」


「段階を踏むんだ。まずは、この計画書を信頼できる人に見せる。その人が、また別の人に見せる。噂が広まり、興味を持つ人が増える。そうやって、少しずつ味方を増やしていく」


「時間がかかるぞ」


「時間はある。僕は、まだ十歳だ。あと五年、十年かけて、基盤を作ればいい」


リーナは、少年の言葉に、静かな衝撃を受けていた。


十歳の子どもが、十年先を見据えている。自分の弱点——年齢、立場、経験——を客観的に分析し、それを補うための長期戦略を練っている。これは、ただの天才児ではない。何か——別の何かだ。


「お前——本当は何者だ?」


思わず、そう問いかけていた。


セイは、一瞬だけ目を伏せた。何かを考えている様子だった。


「——僕は、ただの鍛冶師の息子だよ。でも——」


「でも?」


「時々、夢を見るんだ。別の世界の夢を。そこでは、もっと進んだ技術があって、もっと複雑な仕組みがあって——でも、同じ問題が起きてる。品質を軽視して、人が死ぬ。利益を優先して、安全が犠牲になる」


「別の世界——」


「信じてもらえなくてもいい。でも、僕は知ってるんだ。品質を守ることがどれほど大切か。品質を軽視することがどれほど危険か。だから——」


セイは、真っ直ぐにリーナを見つめた。


「この世界では、間違いを繰り返したくない。できることは、全部やりたい」


リーナは、長い沈黙の後、深く息をついた。


「——分かった」


「え?」


「信じるかどうかは別として、お前の言葉には重みがある。夢だか予言だか知らんが、お前が本気であることは分かる。それだけで、十分だ」


リーナは、腰の剣——新しく支給された予備の剣——の柄に手を置いた。


「私は騎士だ。剣に命を預け、剣と共に戦う者だ。その剣が信じられないというのは——生きた心地がしない恐怖だ」


「リーナさん——」


「お前の『品質保証』が、その恐怖を取り除いてくれるなら——私は、全力で協力する。たとえ何年かかっても、たとえどんな障害があっても」


セイの目に、感謝の光が浮かんだ。


「ありがとう。一緒に——変えよう」


その日から、セイとリーナの「品質革命」は、本格的に動き始めた。


リーナは、騎士団長からもらった許可状を使い、王都内の鍛冶工房を視察して回った。表向きは「武器品質調査」だが、実際には情報収集が目的だった。どの工房がどんな製品を作っているか。品質にどんな問題があるか。職人たちは何を考えているか。


セイは、ガルドの工房で「改善」を続けながら、集まってくる情報を分析した。王都の鍛冶業界の全体像が、少しずつ見えてきた。


そして、見えてきたのは、想像以上に根深い問題だった。


「ヴァルザーク公爵家——」


ある夜、セイはリーナから聞いた情報を整理しながら呟いた。


王都の鍛冶ギルドは、表向きは独立した職人の組合だった。だが、実際には、ヴァルザーク公爵家の強い影響下にあった。


ヴァルザーク家は、王国有数の大貴族であり、軍需利権を牛耳っている。騎士団に納入される武器の大半は、ヴァルザーク家と関係の深い工房が製造している。価格は高く、品質は——必ずしも良いとは言えない。


「つまり、品質が悪い武器を高く売りつけて、儲けているわけか」


セイは、眉をひそめた。


典型的な利権構造だった。競争がなく、品質改善の動機がなく、消費者——この場合は騎士団——には選択肢がない。結果として、品質は低く抑えられ、価格は高く保たれる。割を食うのは、最終的に武器を使う騎士たちだ。


「この構造を変えるには——」


セイは考え込んだ。


単に「品質を上げよう」と訴えるだけでは、変わらない。ヴァルザーク家にとっては、品質が上がることはデメリットでしかない。競争が生まれ、独占が崩れ、利益が減る。彼らは、全力で抵抗するだろう。


つまり、品質革命とは——単なる技術改善ではない。既存の利権構造との戦いなのだ。


「セイ」


ガルドの声が、考えを中断させた。振り向くと、父が工房の入り口に立っていた。表情は複雑だった。


「ちょっと話がある」


「何?」


「お前の——活動のことだ」


ガルドは、ゆっくりと工房に入ってきた。作業台の前に腰を下ろし、息子を見つめる。


「噂になってるぞ。お前と、あの騎士の女が、あちこちの工房を嗅ぎ回ってるって」


「——うん」


「ギルドの親方会議でも、話題になった。『ハンマーフェルの息子が、何か企んでいる』とな」


「何を言われた?」


「『余計なことをするな』と言われた。『ギルドの秩序を乱すな』と」


セイは、黙ってガルドの言葉を聞いていた。予想していた反応だった。


「俺は——」


ガルドは、言葉を選ぶように、ゆっくりと話し始めた。


「正直に言うと、怖いんだ」


「怖い?」


「お前のやっていることが、大きくなりすぎて——取り返しのつかないことになるんじゃないかと。ギルドから追放されたら、俺たちは商売ができなくなる。お前を守ってやることも、できなくなるかもしれん」


「——分かってる」


「分かってて——やるのか?」


セイは、父の目を真っ直ぐに見た。


「やるよ」


「なぜだ」


「だって——このまま放っておいたら、人が死に続けるから」


ガルドは、息子の言葉に、はっとしたような表情を見せた。


「リーナさんの部下は、剣が折れたせいで死んだ。僕らの工房で作った剣じゃないけど——でも、同じ鍛冶業界の、同じ職人が作った剣だ。誰かの息子が、誰かの父親が、粗悪な剣のせいで命を落としてる」


「それは——」


「僕たちは、それを止める力を持ってる。品質を上げる方法を知ってる。知ってて、何もしないのは——それは、殺しているのと同じだと思う」


ガルドは、長い沈黙の後、深く息をついた。


「お前の母さんも——同じことを言いそうだな」


「母さん?」


「あいつは——強い女だった。正しいと思ったことは、曲げなかった。俺が弱気になると、いつも尻を叩いてくれた」


ガルドの目に、遠い日の記憶が浮かんでいるようだった。


「お前は——あいつに似てきた。見た目は俺に似てるが、中身はあいつだ」


「——ありがとう」


「感謝されるようなことは言ってない。ただ——」


ガルドは、立ち上がった。息子の肩に、ごつごつした手を置く。


「俺にできることがあれば、言え。工房は——お前の後ろ盾になる」


その言葉に、セイは目頭が熱くなるのを感じた。


前世では、こうした支えを持ったことがなかった。一人で戦い、一人で苦しみ、一人で倒れた。だが、この世界では——


「ありがとう、父さん」


セイは、静かに言った。


「一緒に——この国を、変えよう」


その夜、セイは夜空を見上げながら、決意を新たにした。


ヴァルザーク公爵。鍛冶ギルド。既存の利権構造。敵は強大だ。だが、味方もいる。父がいる。リーナがいる。そして、まだ見ぬ仲間たちが、きっとどこかにいる。


「十五歳までに——」


セイは、自分自身に誓った。


「騎士団に、品質保証された武器を納入する。それを実績にして、王宮に提案する。『品質保証制度』を、国の仕組みとして確立させる」


それは、途方もない目標だった。だが、不可能ではない。一歩一歩、着実に進めば、いつかは辿り着ける。


品質保証部員の魂は、異世界でも、けっして錆びることはなかった。

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