第三章:裁きの連鎖と崩壊の予兆(3)

 だが、その崩壊の兆しを冷徹な眼差しで見届けていた沙羅は、ある日を境に、まるでこの場所での役目を全て終えたかのように、ぷつりと学校へ姿を見せなくなった。


 最初は単なる体調不良による欠席だと思われていた。しかし、数日が過ぎ、一週間が経過しても彼女の席は空席のままであり、学校側が連絡を試みても、受話器の向こうからは無機質な呼び出し音が響くだけだった。




 沙羅は、霧峰市の静寂の中に溶けるようにして、学校から姿を消したのだ。


 事態を重く見た警察の捜査も空しく、彼女の自宅を訪れた者が目にしたのは、生活感の欠片もないもぬけの殻となった部屋だった。彼女という存在を証明する痕跡は、霧に洗われたかのように綺麗に拭い去られ、連絡は一切途絶えた。唯一、この世との繋がりを示していたのは、裏山の境界線に鎮座する、あの竹林の祠。その近くに、不自然なほど揃えて置かれた彼女の靴だけだった。




 警察はあくまで事件として処理し、神隠しなどという非科学的な言葉は一切使わなかった。しかし、その公式な見解とは裏腹に、街の反応はあの境界線を挟んで真っ二つに割れた。




 合理性を信奉する東側の住民たちは、この失踪を訳ありの夜逃げか何かだと冷ややかに片付け、自分たちの整然とした日常にノイズが混じることを嫌って速やかに忘却した。一方で、西側の古い家並みに潜む人々は、固く口を閉ざしながらも、彼女が境目の向こう側へ引き摺り込まれたことを、竹林が立てる不吉な音と共に確信していた。




 この土地の深部を支配する沈黙は、そのままデジタルの世界をも侵食していった。沙羅の失踪と同時に、あの呪詛アカウントの動きは、死んだようにピタリと止まった。


 しかし、それは終焉ではなく、嵐の前の静寂に過ぎなかった。呪いの連鎖は、残された最後の一人。西側の権威の象徴、サキへとその切っ先を向けた。




 サキの家系は、この霧峰市の西側に位置する広大な土地を、数代にわたって支配してきた。父は地方政界の重鎮であり、彼女の周囲には常に、その権力に媚びへつらう大人たちの卑屈な笑みが溢れていた。だが、サキの心は幼い頃から依存と嫌悪の板挟みになっていた。




 父の権威という名の、古く湿った傘。その下にいれば雨に濡れることはないが、傘を伝って落ちる滴は、常に鉄の匂いが混じっていた。サキは、その重苦しい庇護を心の底で蔑みながらも、そこから一歩でも出れば自分は無価値な塵になるという恐怖に、必死にしがみついていたのだ。








 リナが自滅してから一週間。サキの精神は、限界まで引き絞られた弦のように、今にも弾け飛ばんとしていた。


 連日、屋敷の周囲をうろつくマスコミの影。彼らの持つレンズは、まるでサキの皮を剥ぎ取ろうとする獣の眼差しのように見えた。




「私の父は清廉潔白だ。汚職なんかしていない。……しているはずがない」




 学校で、サキは美咲にそう縋るように言い聞かせた。だが、その瞳は絶えず左右に揺れ、爪が食い込むほど握り締められた拳は、隠しきれない真実を物語っていた。


 何よりサキを追い詰めていたのは、外の世界からの疑惑よりも、自らの逃げ場であるはずの屋敷にまで染み出してきた異変だった。彼女が住む西側の丘の上の日本家屋。その屋敷の深部から、常に湿った血の匂いが漂ってくると、サキは怯えた声で訴えた。




「腐葉土じゃないの。竹の匂いでもない。もっとこう……、鉄を舐めた時のような精神を直接蝕むような匂いなのよ」




 それは、彼女の家系が代々積み上げてきた罪――他者の涙を利権に変えてきた旧家の膿が、彼女の罪悪感と結びついて実体化した悪意の芳香だった。




 そして、八月。狂ったようなセミの合唱が、空気の粒子を激しく揺さぶる盛夏。地方紙の一面が、サキの人生を永遠に変える宣告を載せた。


 父親の長年の秘書が、公金横領と選挙違反で逮捕。それは、サキの家系が誇った盾を、根底から粉砕する一撃だった。一族の信頼は失墜し、彼女を取り囲んでいたすべての光が消えた。




 その瞬間、サキの心の中で何かが弾けた。彼女の指は、怒りと、そして認めたくない敗北感に震えながら、スマートフォンの画面を激しく叩きつけた。


 姿を消した沙羅への言いようのない恐怖も、没落していく父親への絶望も、すべては行き場を失い、逃げ場のない怒りとなって、この惨劇を無傷で眺め続けている平穏な傍観者へと向けられた。


 サキの魂の叫びが、グループチャットに叩き込まれる。




『ふざけないで! もう冗談じゃない、これは絶対沙羅の呪いよ!』




『ユウカもリナも、私たち全員が全てを失ったのに、美咲、あんただけがなぜ無傷で、まだ傍観を決め込んでるのよ!』




『あんたのその沈黙は、沙羅が地獄にいた時、私たちに加担して笑っていたあの瞬間と、一体何が違うの!?』




『あんたは、何もしないという名のもとに、自分だけ安全な場所に隠れた、一番卑怯な共犯者よ! あんたの無傷が、あんたの罪を証明してる!』




 美咲はその激しい情念の羅列を、八月の茹だるような熱気の中でじっと見つめていた。画面に反射する美咲の顔は、驚くほど無機質で、まるで死人のように冷徹だった。


 サキの言葉は、美咲が最も触れられたくない、そして最も正確な真実を射抜いていた。




 自分は手を汚さなかった。暴言も吐かず、手も上げず、ただそこにいただけだ。だが、その何もしないという選択が、どれほど残酷に沙羅を追い詰め、どれほど狡猾にユウカたちの暴走を容認し、加速させてきたか。美咲の無傷は、運が良かったからではなく、彼女が最も計算高い共犯者であったことの、何よりの証拠だったのだ。


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