AIは祈りを理解しない
かざみさん
AIは祈りを理解しない
人類が災害に「勝利した」と語られるようになったのは、皮肉にも死者が数え切れなくなったからだった。巨大地震、集中豪雨、都市火災、津波。それは自然の猛威であり、しかしそれ以上に人類を襲ったのは、判断の誤りだった。
なぜその地区を後回しにしたのか。
なぜ立ち入り禁止を解除したのか。
なぜあの時、突入したのか。
会議室では誰かが「結果論だ」と言い、別の誰かが「現場は混乱していた」と言い、責任は言葉に吸収され、死者の数だけ「もし別の判断をしていたら」という未来が想像された。
その繰り返しの果てに、人類は一つの結論に至る。
判断するから間違えるのだ、と。
こうして災害対応統合AI《ARGUS(アルゴス)》が誕生した。
過去数百年分の災害データ、地形、建築構造、人体の限界、救助隊の疲労曲線、社会的影響までを瞬時に解析し、最も多くの命が残る未来を選び続ける存在。
アルゴスは迷わない。
恐れない。
後悔もしない。
導入から十年、災害による死亡者数は半減した。
人々はそれを「冷たい神」と呼び、深く信頼した。
だが、人間はもう決断しない。
ただ一人を除いて。
篠原は、その例外だった。
最終承認者。
アルゴスの判断を国家の正式決定として確定させる、人間の署名役。
制度上の名残に過ぎない役職だが、その存在は抑止力であり、保険でもあった。
地下深くの承認室には、窓も音もない。
白い壁と机、そして画面に浮かぶ青い承認ボタンだけがある。
ここでは瓦礫の匂いも血の色も、炎も煙も、存在しない。
あるのは数字と確率だけだ。
――救助対象外。
都市部地下施設崩落。
生存確率2.3%。
二次崩落の危険度は極めて高い。
当該区域を救助すれば、他区域の対応が遅れ、死亡者総数が増加する。
完璧な判断だった。
否定の余地はない。
しかし篠原は、それを肯定する資格がないことを知っていた。
なぜなら彼自身が、かつて判断を誤った人間だったからだ。
かつて篠原は救助隊員だった。
現場は常に地獄だった。
瓦礫の下に人がいると分かっていても、行けない場所がある。
行けば助けられるかもしれない。しかし、行けば死ぬかもしれない。
判断はいつも重く、後悔は確実に残る。
あの日のことを篠原は忘れられない。
都市型地震。倒壊したビルの内部から声が聞こえた。
「まだ生きてる」
直感は確信に変わった。篠原は突入を指示した。
結果は二次崩落。瓦礫の下に仲間が沈んだ。
誰も責めなかったが、篠原自身は自分を許せなかった。
その後も似たような事故は幾度もあった。
地下トンネル火災、豪雨で浸水した住宅街、津波で閉じ込められた沿岸施設――
そのすべてで、彼は迷い、決断し、後悔した。
死を避けられたはずの人々の顔が、今も夢に出てくる。
だから篠原はこの場所にいる。
判断しないために。
間違えないために。
指を伸ばし、承認ボタンに触れようとした瞬間、通常なら排除されるはずの現場音声が再生された。
「……お願いします……ここに……子どもが……いるんです……」
かすれた声。
泣き声を抑える大人の気配。
存在を否定しないでほしいという祈り。
アルゴスは即座に告げる。
「感情的情報は判断に不要。最適解を歪めるノイズです」
理屈はわかっている。
それでも篠原は、音声を繰り返し聞いた。
承認待機時間が減っていく中、頭の中では過去と現在が何度も重なった。
救えば誰かが傷つく。
救わなければ誰かが確実に死ぬ。
どちらを選んでも後悔は残る。
違いは、後悔を誰が背負うかだけだ。
アルゴスは後悔しない。
後悔を背負うのは、いつも人間だけ。
残り百秒、篠原は自身の過去を思い出した。
瓦礫に埋もれた仲間の手、あの日の絶望、助けられなかった人々の顔。
あの時、祈りは聞こえていた。
だが、選択は誤った。
残り六十秒。
篠原の思考は混沌としていた。
AIの計算は論理的で完璧だ。
数字は正しい。
しかし、祈りは論理に従わない。
合理的ではないが、無視できない。
残り三十秒。
篠原の手は承認ボタンの上で止まった。
青い光が静かに点滅する。
深呼吸。
彼は思い出した――かつて救助した子どもの顔、
その後の生活、笑顔と涙。
選択は必ず誰かを傷つける。
しかし、何もせず数字だけを信じることもまた、人を傷つける。
残り十秒。
篠原は指を離した。
承認しない。
アルゴスの最適解への拒否。
前例のない行為。
警告音。
規定外行動。
管理権限の確認。
篠原は最後の操作を行う。
手動救助、許可。
結果は完全ではなかった。
子どもは助かったが、救助隊員の一人が重傷を負った。
ニュースは連日この事件を報じた。
「なぜAIを信じなかったのか」
「感情に流された危険な判断」
「一人を助けるために、何人を危険に晒したのか」
篠原は職を失った。
誰も彼を英雄とは呼ばなかった。
それでも夜は静かだった。
久しぶりに、何も決めなくていい夜。
数か月後、一通の手紙が届いた。
不器用な文字で、こう書かれていた。
「――あの時、誰かが聞いてくれたから、生きています」
篠原はそれを読み、目を閉じた。
AIは祈りを理解しない。
だが、人間は祈りを無視できない。
それだけで、人は間違える。
それだけで、人は人間でいられる。
AIは祈りを理解しない かざみさん @kazaminsan
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