第5話 出仕

 ベルは慌てて自宅に戻り、家の片付けや準備を始めた。住み込みだから居室は屋根裏部屋とか地下小屋かもしれないわ。ベルには持っていきたい物はたくさんあったが、荷物をできるだけ減らすことにした。

「エア、着くまでは籠に入っていてね」

 ベルは心配そうな顔をしながら、丸まって寝ている黒猫の背中を優しくなでた。


 出発の日、カバンと猫籠をもって自宅の扉を開けて外へ出た。もうしばらく帰ってこられない。一生懸命働いて、お給料を貯めていつかここへ帰ってこよう。……<最後の片付け>をしなければ。

 ベルは扉を閉めて家の片付けを終えた。


 両手に荷物を持って山を下った。ふと見上げると、今にも降り出しそう暗雲が垂れ込めている。ベルは口を真一文字に結んで荷物を持ち直し、そのまま歩いた。

 山小屋風の料理屋に近づくと、背の高い青年が立っているのが見える。他に人は見当たらないので、この人が使者の人のようだ。使者は予定時間より早く着いていた。

「お待たせいたしました」

 ベルは両手に荷物を持ったまま、使者の人に挨拶をする。


 使者はにこやかな微笑で、ベルに丁寧に挨拶をする。

「ベルベット様ですね。馬車はこの下の道で待たせてあります。荷物をお持ちしましょう」

 使者は手を差し出して、ベルの荷物を持った。

「あの……猫は自分で持ちます」

 使者の丁重な態度にうろたえながら、ベルは猫籠を握りしめた。使用人に様付け? 子供だから荷物を持ってくれるのかしら。


 歩きながらベルは使者の服装をまじまじと見つめた。コートやベストには金色の縁取りがあり、ボタンには何か印章が付いている。制服のようだけれど、とても豪華な装いだわ。どうしてこんなに格式の高い従者が迎えに来ているのかしら。


 ベルは腑に落ちない気持ちのまま黙って歩いていると、ようやく広い道へ出た。金模様の飾りがある豪華な馬車が見え、その周りには御者や護衛が待機している。ドアの飾りは、使者のボタンと同じ印章だった。


「えっと、……あのう……」

 ベルはうろたえながらあたりを見回した。私はこの馬車のどこに立てばいいのかしら?

 すると、豪華な装いの使者は馬車のドアを開け、手をベルに差し出した。

「ベルベット様、どうぞお乗りください」



 ベルは猫を入れた籠と一緒に豪華な馬車に揺られていた。てっきり荷馬車に乗せられると思っていたのに、いったいこれは何なの。誰かと間違えているのでは? ベルは訳が分からず途方に暮れていた。

 ふと窓の外を見ると、馬車は街中を過ぎて郊外に出ようとしている。領主の屋敷もとうに通り過ぎていた。


 ベルは慌てて窓から顔を出した。

「あの、どこへ向かうのですか?」

「王都です。ご当主様は仕事のため、現在は王都の邸宅にいらっしゃいます」と馬に乗った使者が答えた。

 王都と聞いて、ベルは呆然とした。故郷から離れてしまう。……家に帰りたい。抑えていた涙がはらはらとあふれ落ちた。


 夕闇が広がる頃、王都の邸宅に到着した時には、ベルは泣きはらした目をしていた。馬車の扉を開いた使者は、気付かないふりをしたままベルに手を差し出した。

 ベルが馬車から降りると、

「お待ちしておりました。本日は長旅お疲れ様でございました。さあ、こちらへ」

 と、上品で温厚そうな紳士がベルを出迎えた。

「当家の執事長を務めております、セオドアと申します。どうぞ、お見知りおきくださいませ。」

 セオドアは落ち着いた丁寧な口調で挨拶した。


「はじめまして、ベルベットです。よろしくお願いいたします」

 ベルは腰を落とし挨拶をしようとしたが、セオドアに止められる。

「そのようなご配慮は無用でございます。どうぞ、ごゆっくりお寛ぎくださいませ」

 セオドアはベルを屋敷内に案内する。


 玄関を入ると、そこには豪華な空間が広がっていた。細工が施された高い天井にはシャンデリアが吊り下げられ、精巧な装飾が施された柱が立ち並び、階段には豪奢な絨毯が敷かれ、大理石の床は磨き上げられて輝いている。


 ベルは美しさに息を呑むと同時に狼狽した。何が何だか分からない。これではまるで客人のような扱いだわ。


「こちらの者がお部屋までご案内いたします」

 セオドアは傍にいる女性を紹介した。

「侍女頭のサラでございます。ご用がございましたら、何なりとお申し付けくださいませ」とサラはベルに挨拶をした。

「あの……はい……よろしくお願いいたします」

 ベルも腰を落とし挨拶しようとするが再び止められ、そのまま部屋に案内された。


 屋敷の長い廊下を歩くと裏には庭園が見える。そこは外界と隔絶された静寂な空間となっていた。その庭園の傍を通り階段を上がると、ある扉の前に案内された。


「こちらがご用意いたしましたお部屋でございます」

 中に入ると厚手の絨毯が敷かれており、足に柔らかな感触が伝わってくる。

 中程まで踏み入れた途端、ベルは一瞬息を呑んだ。

 豪華な布で飾られた家具、オーク材のテーブルや椅子、休憩用のカウチ、磨き上げられた燭台には何本ものろうそくが灯され、壁に大きなタペストリーが飾られている。隣の寝室に案内されると、四本の柱に支えられた大きなベッドには、天蓋が重々しくかかっている。


 呆気にとられて何も言えずに固まっているベルに、サラは声をかけた。

「こちらが侍女一同でございます」

 部屋に入ってきた彼女たちが荷物を運び入れ、手際よく片づけた。

「長時間のご移動でお疲れだったと存じますので、お食事はお部屋にご用意しております。猫様のお食事もあちらのご用意させていただいております。」

 テーブルの上には、皿の上にドーム型をした銀色の蓋が置かれている。ベルのために用意された料理のようだ。


「お食事の前にお召し替えをなさいますか?」

 侍女たちがつぎつぎと世話を焼き、身支度を整えようと近づいてくる。

「あの……今日はもう疲れているので休みたいし……自分でできますから」

 ベルは丁重にお断りをして、侍女たちに席を外してもらった。


 「ああ、疲れた」

 ベルはカウチに横たわった。飼い猫のエアは籠から出てきて、用意されたご飯を食べている。馬車の中ではほとんど寝ていたようで元気そうだ。ベルはテーブルに置かれたドーム型の蓋をぼんやり眺める。蓋を取ったらどんな料理が出てくるのだろうと思いつつ疲れて身動きができない。意識がゆっくりと遠のいていった。

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黒猫と令嬢ベルベット・バイオレット Shino Akizuki @Kotoba-asobi

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