ウェディングドレスの聖女 〜裏切り新郎が絶望する頃、私は異世界の希望になりました〜

羽哉えいり

ウェディングドレスの聖女 〜裏切り新郎が絶望する頃、私は異世界の希望になりました〜

 純白のレースに贅沢に散らされた真珠。

 ベールが風を受けてふわりと揺れる。

 私、西鳥羽伊織が纏っているのは、数カ月かけて大切に選んだ運命のウェディングドレスだ。


 けれどその裾は今、冷たい石造りの床に広がっている。石の床に広がった白は、もがき苦しんだ末に力尽きた魂の抜け殻のようにも見えた。

 

「……ここ、は……?」





 つい数秒前まで私は地獄の底にいた。

 結婚式当日、どれだけ待っても新郎は現れない。そして式の直前にようやく届いた一通のメール。


『ごめん、やっぱり元カノを放っておけない。式には行けない』


 その身勝手なメッセージに脳が理解を拒絶する。指先から血の気が引き、冷たさが全身に回っていく。

 心臓が凍りつくような、息もできないほどの絶望に襲われた。 


 数カ月かけて入念に進めた結婚式への準備、何度も何度も確認し合った未来の誓い、そして何よりも、この日のために選んだ運命のドレスへの情熱と期待。

 それら全てがたった数行の無機質な文字列によって、無意味なものへと否定されたのだ。


 参列者からの憐れみの視線、聞こえるひそひそ話、青ざめた身内の顔、親族の怒鳴り声、「かわいそうに」という無責任な囁きが巨大な濁流となって私を飲み込もうとしている。

 今日この場所で最高の幸せに包まれるはずだったのに、最も祝福されるべき場所が一瞬にして逃げ場のない晒し者の場へと変わってしまった。


 愛していた、信じていた、積み上げてきた年月も、交わした言葉も全部全部偽りだったんだ。

 裏切られて、惨めで、情けなくて消えてしまいたくなった。



「……どこか遠くへ、誰も自分を知らない場所へ行きたい――」



 この贅沢なレースを脱ぎ捨てて、完璧に整えられたメイクと、世界で一番幸せになるはずだった笑顔の残骸の仮面を剥ぎ取って。

 祝福も、同情も、好奇の視線も届かない場所へ、名前も、過去も、裏切りも、全てを置き去りにして、今はただ、どこかへ。


 一人控室で涙を流しながら掠れた声でそう願った瞬間、足元に魔法陣みたいな紋様が浮かび上がる。

 突然の眩い光と浮遊感に包まれ、次に目を開けた時、先程までいたあの息苦しい控え室ではなく、そこは厳かな神殿の中だった。


 ひんやりとした清浄な空気、高い天井を支える白い石柱、見たことがないほど透き通った黄金色の陽光。

 周囲には見知らぬ法衣を着た人たちが跪いて祈りを捧げている。年齢層はバラバラで、お爺さんから若い人が数名。鎧の人も何人かいるし、神官とか騎士とかなのかな。


「おお……、なんと美しい……」

「伝説通りですね。純白の装束を纏い、涙を流しながら現れる……」

「なんと神々しいお姿だ……」

「え、何、何なの? ここはどこなの? ていうかどちら様方ですか?」


 泣きすぎて頭が回らない状態になっている。とりあえず頭を働かせるのは後にして、目に入る情報をラベル付けしよう。


 ここは元いた世界ではない気がする。

 もしかして異世界ってやつかもしれない。


「我々の勝手な都合で貴方を喚び出してしまいました。大変申し訳ありません」


 最前列にいた均整の取れた端正な顔立ちの青年騎士が恭しく私の手を取りながら話をしてくる。

 上質な絹のような滑らかな声。落ち着いたトーンが耳に優しく心地よい。


「救世の聖女様、どうか、穢れゆくこの国をお救いください」

「聖女!? 私が!?」

「はい。貴方様こそ古の予言に記されている、愛を失いし時に異空より現れる聖なる乙女、救世の聖女なのです」


 私をじっと見る彼の瞳は、自分を裏切った新郎とは比べものにならないほどの真剣な敬愛の念が宿っている、ように感じてしまった。



 ――愛を失った時、か。皮肉だけどその通りだから、何にも言えないな。


 

 私は自嘲気味に息を吐き、ふと右手の薬指につけている婚約指輪を見つめる。

 指輪交換の際に左手の薬指を空けておくため、そして結婚指輪の上から婚約指輪を重ねて着けるエンゲージカバーセレモニーを行うために、式の前に着け替えておいたのだ。


 右手薬指は心の安定や「信頼」、そして「愛の象徴」なんて聞いたことがある。けれど、今となってはそれが皮肉でしかない。

 そもそも結婚式当日に元カノと駆け落ちする新郎って、元カノ含めて一体どういう神経をしているのだろう。


 その象徴を一番残酷な形で、根本から踏みにじる行為じゃないか。


「聖女様……?」


 騎士が心配そうに覗き込んでくる。彼の純粋な敬意に満ちた瞳は今の自分にとっては眩しすぎる。


 ほんの少しだけ気持ちが落ち着き、改めて周りの人たちを見てみる。

 聖女として喚ばれた私に向けられているのは、少しの畏怖と切実な希望を込めた眼差し。

 私のことを知っている人は誰もいない。


 ここでの私は裏切られた可哀想な人、なんかじゃない。 

 あの地獄のような結婚式直前での出来事を知る人は誰一人としていないのだ。

 

「こんな指輪……、もう必要ないわね」


 少し前までは愛の証だと見るたびに浮かれていた金属の輪を、迷うことなく指から引き抜いて床に投げ捨てる。

 その瞬間、私の体から凄まじい光が溢れ出してきた。


「凄い……、これが聖女様の魔力……」

「ああ……、とても癒される……」

「聖女様の力が完全に覚醒されたようですね」


 体の奥底から湧き上がってくる力を感じる。これが聖女として必要な力なのだろう。

 きっかけは、多分指輪を捨てたことかな。

 信頼を裏切られ、絶望の淵にいたけど、その執着を捨てたことで皮肉にも聖女としての魔力とやらが目覚めたんだね。

 

 私を裏切ったあの男はこの世界には存在しない。でもしばらくは思い出して涙する時もあるんだろうな。

 私の胸には晴れやかさと同時に、ちりりとした痛みが残っていた。 


 指輪を捨て、聖女として覚醒したからといって、心まで一瞬にガラッと変わるわけがない。


 あんなクズ男でも、一度は人生を共にしようと決めた相手だ。共に過ごした時間も、積み上げた思い出も、嘘ではないから。

 ふとした瞬間に、彼が好きだった曲が頭をよぎったり、似たような背格好の人を見かけて胸を締め付けられる夜が来るかもしれない。


 けど、その時に流す涙の意味は絶対に間違えたりしない。

 彼を愛しているからではなく、彼を信じていた自分を弔う為の涙なのだから。


「聖女様、お顔の色が優れませんが、もしや召喚の影響でしょうか?」

「大丈夫です。それより教えて下さい。この世界のことを、そして、私のこの力をどう使えばいいのかを」

 

 しばらくは元の世界でのことを考えないように、聖女として動いていこう。

 何よりここの人々は聖女の私を必要としてくれている。誰かに必要とされている、それだけで私の心に灯った小さな火が、聖女の魔力となって再び身体を駆け巡る。


 もしかしたら毎晩寝る前に泣いてしまうかもしれない。でも、その涙が乾くまでの間、私はこの世界の希望になってやろうと思う。


「聖女様ありがとうございます。その凛々しきお心、感服いたしました。我ら一同全力で貴方様の盾となりましょう!」


 騎士の人をはじめ、跪き祈りを捧げていた人たち皆が深い喜びを滲ませて見てくる。

 私は救世の聖女として静かに、けれど力強く微笑んでみせた。


「聖女殿、感謝致します。この国はじわじわと瘴気に蝕まれており、大地は枯れ、病に伏す者も増え、魔物も活性化しておるのです。先程聖女殿から放たれた光こそが、瘴気を浄化し癒すことができる唯一の力なのです」

「浄化……、この力で綺麗にすればいいのね?」

「左様で。この国を囲んでいる八つの結界に聖女殿の魔力を注ぐことで、魔の侵食を食い止めることができるのです」


 老神官がゆっくりと丁寧に話してきたので、私のやるべきことが明確に分かった。


「それなら、まずはこの豪華すぎて動きにくいドレスをなんとかしなくちゃね」

「それはそのお召し物の形態を変えるということでしょうか?」


 私の呟きに騎士の人が大真面目に返してくる。そのやり取りの可笑しさに少しだけ心が軽くなる。


「ふふっ、これからこの国を救いに行くのに、こんな過去の遺物を引きずって歩けないわ」

「お任せください! 早急にこの国で最高の仕立て屋と、貴方様を守るための魔道具を揃えましょう!」

「はい、お願いしますね」


 今の私は立ち止まっている余裕なんてない。止まってしまえば、あの惨めな結婚式の光景が追いかけてくる。

 そんなのに構っているなんて無駄な時間だ。


 これから知るべきことはこの世界での歩き方なのだから。


「聖女殿、民は貴方様の御光を待ち望んでおります。どうか我らにその御力をお示しくだされ」

「分かりました。行きましょう」

「聖女様、お手を」


 騎士の人が震えるほど真剣に差し出してきた手に、そっと自分の手を重ねた。

 神殿の巨大な扉が開かれ、外から眩い陽光が差し込んでくる。

 私は重たいウェディングドレスを捌きながら、騎士や神官の人たちに導かれ新しい世界の第一歩を力強く踏み出した。




 それにしても異世界召喚だなんて、正直言ってめちゃくちゃだ。

 21年生きてきたけど、こんなあまりにも現実離れしすぎて、かえって笑えてくる。


 でも、このめちゃくちゃな状況が今の私には救いだ。あのままあそこで泣いて惨めな思いをし続けるよりはずっといい。

 傷心の中式場のキャンセル料の話や親戚や職場など各方面への謝罪、そして何より「どうして私は選ばれなかったの?」という答えの出ない問いに、心を粉々にされていたはずたから。


 異世界というワードで思い出した。

 超売れっ子のお笑い芸人コンビの深夜ラジオで、自分たちは昔異世界に行ったっていう話を聞いたことがある。

 ネタだと思ってたけど、あまりにもリアリティがありすぎて、もしかして本当の話なのかもって信じそうになったんだよね。

 自分たちは嘘を真実のように語るプロだからこそ、真実をネタのフリをして語ることができるって前フリしてたから余計にそう思った。

 

 この二人組、面識はないけど私と同じ高校出身で2個上なんだよね。私もこのコンビのファンの一人だ。

 春日野先輩と上若林先輩たちの異世界話だけど、喚ばれた世界は当たり前が当たり前にない世界だったから帰ってくることにしたって言ってたね。たくさんの思い出を作ってきたって話が特に面白かった。

 今もラジオの人気名物コーナーの一つになってるし、当然異世界系の持ちネタもある。雑誌記事や書籍にも時々書いてあり、ファンとして必ず読んでいたのだ。


 そのお陰で異世界に対しての知識はゼロではない。もし何の知識もなければ、発狂して泣き叫んでいたかも。

 あの時の自分、不思議と冷静だったよね。

 

 それもあってか、この場所で私は安心して傷ついた心を休めることができていた。

 もちろん聖女としての役割をしっかりこなしながらだけど。


「……ゆっくりでいいや。ここで、やり直そう」


 そう自分に言い聞かせながら過ごす日々は、驚くほど穏やかで温かい。

 流れていく月日は、あの日、冷たい式場で浴びせられた憐れみという名の毒を、少しずつ、確実に中和してくれている。


 あの純白のドレスも今では聖なる力を宿した気高い法衣へと変わり私を守る鎧となった。


 傷が完全に癒えたわけではないけれど、時折あの地獄のような一日のことを、遠い昔の、どこか別の誰かの物語のように感じる。


 聖女としての忙しくも充実した毎日が、私の欠けた心を、新しい何かで満たしていく。この世界で出会う人々の笑顔が、私の人生を肯定する力だ。




 ――そして、今は私の手を取ってくれる大切な人がいる。


 異世界召喚の時に一番最初に話しかけてくれた騎士の人。彼は私を聖女としてではなく、一人の女性として見てくれる。

 過去を根掘り葉掘り聞くことも、同情することもなく、真っ直ぐに優しさを伝えてくれた。


 かつて愛を誓い、それを裏切った男の顔も声も姿も、もう霞んで思い出すことはない。

 代わりに私の心を占めているのは、穏やかな異世界の景色と隣で微笑む彼の体温。


 裏切られたあの日は、人生で一番最悪な日だと思っていた。

 けれど、あの日あの場所で全てを失わなければ、私は彼に出会うことも自分を愛し直すことも出来なかっただろう。


「イオリ、行こうか」


 笑顔の彼が差し出した大きな手を取り、私たちは歩き出す。

 消えてしまいたかった私は、もうどこにもいない。


 誰も私を知らない場所で始まった物語は、私を心から必要としてくれる人たちと共に、新しく、眩い未来へと続いていく。 






 一方元の世界では――。


 伊織を裏切り元カノと逃げた新郎の秀昭は、自分のしでかしたことの重大さをまだこれっぽっちも理解していなかった。


「ま、あいつなら一人でも何とかするだろ。親への説明は面倒だけど」


 メールを送りつけスマホの電源を切って元カノと甘い時間を過ごそうとしていたのだが、彼は致命的なことを知らなかった。

 伊織が、今やテレビで見ない日はない超人気お笑い芸人コンビの後輩の大親友だということを。




「……え、伊織ちゃんが突然消えた?」

「ちょっと行ってみようよ〜。マネさん予定変更、ごめんね〜」


 結婚式場に駆けつけた芸人二人。群がってくる人波を掻き分け、涙顔の後輩の案内で控室へと足早に向かう。 

 誰もいない控室、床に転がったスマホ、倒れている椅子、そして親族や友人たちの嗚咽で全てを察する。


「ねえ、おうり、もしかして伊織ちゃん、異世界に……」

「こやき、それはそれとして、今から緊急生配信するよ。裏の人たちにも協力要請するから」

「そうだね〜、新婦を捨てて逃げたクズ男を徹底的に追い込んじゃお〜」

「「浮気不倫の裏切りは絶対にあか〜ん!」」


 彼女らを支持する数百万人のフォロワーたちに向けての配信に、共感の嵐が巻き起こる。

 その日の夕方には絶大な影響力を誇る人気芸人の緊急生配信がきっかけで、SNSや動画配信サイトはかつてない炎上に包まれた。

 

 結婚式当日に新婦を捨てて元カノと駆け落ちした男として、特定班たちにより秀昭の名前や顔写真等が瞬く間に日本中に拡散されたのだ。

 逃げた先のアパートも直ぐに特定され、秀昭の勤務先の会社には抗議の電話が殺到。元カノの実家も「略奪愛の末に式をぶち壊した娘」として地域社会から完全に孤立した。


 秀昭が「何かがおかしい」と気付き、青ざめてスマホを起動した時には、すでに彼の社会的な居場所は跡形もなく消え去っていたのである。



 そんな「ざまぁ」な現実が進行していることなど、異世界の青空の下にいる伊織は知る由もなかった。


【END】

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