帰省して久しぶりに会った姉が爬虫類ではなく馬になっていた件

もも

帰省して久しぶりに会った姉が爬虫類ではなく馬になっていた件

 大晦日に姉が帰省してきた。

 私がお昼過ぎに起きてリビングへ降りていくと、姉がソファに座りリモコン片手にテレビ番組をザッピングしていた。


 私は着古したスウェットを着ていた。

 姉は紺色のワンピース。

 恐らくグッチだ。

 姉は相変わらず爬虫類的な目をしていた。氷のように冷たい。

「テレビってくだんない」

 小さく舌打ちをした。

 今にも本物の爬虫類のように舌がチョロチョロと出てきそうだ。


 姉は寝起きでぼーっと立っている私の、頭から爪先までをジロリと見た。

 鳥肌が立った。

 私は小さい頃から、姉のこの目に怯えて生きてきたのだ。

「あんた太った?」

 姉は開口一番そう言った。

 一年ぶりに会ったにも関わらずだ。


 私は早々にモヤっとしたけれど、

 いつものように言い返すことができず、

「いやー、年取ると代謝が落ちるね」

 と笑った。

「何キロ?」

 姉が間髪入れずに聞いてくる。

「…五キロ」

「糖尿になるよ」

「えー困っちゃうなぁ」

「透析は悲惨だよー」

 姉は医者なのだ。

 なのにそんな言い方するか?フツー。


 綿々と平凡な頭脳を紡いできた一族から生まれた奇跡。

 それが姉だ。


 親戚一同見渡しても医者なんて一人もいない。それどころか専門職の人間すらいない。

 姉は子供の頃から成績が抜群に良く、

 そしてすこぶる人を見下す人間だった。


「太るのは人間のレベルが低いってこと」

 今日も姉は絶好調だ。

「お母さんたちは?」

「買い物」

 姉の嫌味に逃げ出したのだろう。

 両親は昔から姉に遠慮して生きている。


 我が家は祖父の代から花屋だ。

 決して裕福ではない。

 両親は姉のために国立大学医学部の学費を、家計をやりくりして出し、授業が忙しくバイトの出来ない姉に代わって仕送りもしていた。

 なのに両親は姉に対していつもすまなそうにしている。


「光太郎さんは?」

 姉の夫だ。

「夜勤」

 姉と同じく医者をしているのだ。

 エリートを絵に描いたような爽やかな高身長イケメンで、私は会うと緊張する。

 だから、今日いなくてホッとした。

「大変だね」

「人の心配してないで、自分の心配しなさいよ。昼過ぎまで寝ててだらしにない。だから安月給で、実家出て行かれないんだよ」

「あはは」

 これ以上姉と一緒にいたら、精神が持たない。私がヘラヘラしながら、電気ポットからマグカップにお湯だけ注いで部屋に戻ろうとすると、

「専門卒じゃ一生底辺か」

 姉が体温のない瞳を向けて言った。


 ー私の何がわかるの?

 対して仲良くないくせに。


 私は心の中で叫んだけど、姉の反撃が怖くて黙った。

 言い返したいけど、したことがないからできない。後で後悔するくらいなら、口喧嘩のひとつでも仕掛ければ良いのに。


 私はデザインの専門学校を卒業している。本当は美大に行きたかった。

 でも姉が六年間学生をするということになり、両親に私立は勘弁してくれと頼まれ、ワンチャン狙って国立の藝大だけ受けたが当然落ちて、専門学校へ進学した。

 浪人は経済的に無理だった。

 美大受験のための予備校にもお金がないからと行かれなくて、高校の美術の先生にデッサンを習った。

 正直、絵はまぁまぁ上手い程度だった。

 でも勉強よりも出来たし、褒められたことが多かったからその気になったのだ。


 専門を卒業してから阿佐ヶ谷の小さいデザイン会社に入った。

 勤務体制は、当時は珍しくない超絶ブラック。

 専門卒の私は当然使い捨て要員だった。

 手取りは十三万。

 一人暮らしはできないから、町田市の実家から通った。


 姉はその頃すでに医者になっていた。

 今は個人のクリニックで内科医として勤務しているが、当時は大学病院にいたから激務だったとは思う。

 姉が医者だというとみんな「すごいね!」と言った。


 私は一年で体調を崩し、デザイン会社を辞めた。

 その後は派遣社員で食い繋いでいる。

 デザイン関係の仕事をするのは、夢のまた夢だ。


 姉が羨ましいかどうかわからない。

 ただどんなに優秀で高給取りでも、姉になりたいとは思わない。

 だってウォーホールもウィリアムモリスの素晴らしさも知らない。

 失敗した人間に優しくない。

 底辺と決めつける。


 姉は親しい友人もいなかった。


 そんなことを考えながらぼんやりと立っていると、

「出かけるよ」

 姉はいつの間にか、ジャージ姿で現れた。さっきトイレに立ったと思ったら、着替えていたのだ。

 テレビは消えている。

 真っ黒い画面に私の猫背姿と姉の姿勢の良い姿が写る。

「え?どこに?なんでジャージ?」

 姉のジャージは高校時代のものだ。

 右胸に学校名の刺繍がしてある。

 地元で一番偏差値の高い学校だ。

「運動に付き合ってあげる」

「いや、いいよ」

「私が行くって言ったら行くよ」

 姉がまた爬虫類みたいな目を剥く。

 私は固まる。小さい頃みたいに。


 3歳離れた姉は、小学校でも中学校でも私をこき使いバカにした。

 テストの点数を覗き込んで、

「そんな問題もわかんないの?バカなんじゃない」と鼻で笑った。

 私が親友としていた交換日記を、両親のまえで勝手に読み上げたりもした。


「ちょっとそこまで競争しない」

 私が家を出て少し歩いたところで、15メートル先の角を指差して言った。

 姉は走るのが超絶遅いのだ。

 そして私はわりと速い。

 

「いいよ」

 嫌がると思ったのに。

 とんとん拍子に話が進むと逆にやりにくいのかもしれない。


 よーい、どん。

 …あれ?姉、速くね?

 私が一歩を踏み出した瞬間に、すでに3メートルくらい先を走っている。


 パカっ。パカっ。パカっ。

 姉の足音、おかしくね?

 …これ馬の蹄の音じゃね?


 私は走るのを辞めて呆然と姉を見つめた。

 角に到着した姉は、

「あんた遅いね」

 と勝ち誇ったような笑みを浮かべた。


「ジムでも通ってるの」

「なんで?」

「いや、速くなったなぁと」

「うるさいな。足音、馬みたいって言いたいんでしょ」

「自覚あるんだ。いつから」

「さぁ。今年から?私、離婚したから」

「は?離婚ってあの離婚」

「情報処理が遅いんだよ」

「いや…まぁ、はぁ」

「まぁ生活変わんないけどね。ずっと別居だったから。光太郎、女がいんのよ。それがメンヘラでさぁ。しかも大学生。どこがいいんだか」

 あの道徳観溢れた雰囲気の光太郎さんが浮気?ってか不倫?女子大生と?


「恥ずかしいなぁ」

「今どき離婚なんて多いよ」

「違う。馬の蹄の音が恥ずかしいの」

「そっち?」

「当たり前でしょ」

 姉に恥ずかしいという感情があるのが意外だった。

 しかも不倫騒動て自分から引き下がったっぽいことにも。

 大人しく、かは不明だけど。


「よかったじゃん。おめでとう」

「喧嘩売ってんの」

「来年午年だしさ。めでたいじゃん」

 姉は何も言わずに空を見上げた。

 爬虫類のような瞳が、少しだけ人間になった気がした。

 空はすでに薄暗い。

 もうすぐ今年最後の夜がやってくる。

 一番星が光ったような気がした。

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