第二話 俺の×と君の目

 真っ白な封筒とそれを握る俺。少しひんやりするような春風が俺の首筋を撫でる。そして目の前には、幼馴染の瑠惟佳るいかがわざとらしい上目遣いで俺を見ている。信じ難い光景だがこれは現実だ。なぜ俺の家の前にいるのか、なぜ俺に話しかけたのか、何一つ分からない。なんと話せばいいか迷っていると、瑠惟佳が口を開く。


「久しぶり。私のこと、覚えてる?」


「もちろん覚えてるよ、瑠惟佳」


「よかった。覚えててくれたんだね」


「そりゃ、一応幼馴染だしな」


「確かに」


 いじめのことを仕返しにきたのか。謝罪を求めに来たのか。背筋に冷たいものが流れる。やはりここは謝るべきだと判断したが、それより先に瑠惟佳が話す。


「はーくんは、この制服を見て何も思わないの?」


「…あぁ、似合ってるよ」


「そうじゃなくて。昔より鈍感になったね」


「あ、その制服って、俺の高校と___」


「せいかーい。私、はーくんと同じ高校に転入しましたー」


「まじでか」


「まじまじ」


 本当にわからなくなってきた。瑠惟佳の言い草的に、わざと俺と同じ高校にしたように聞こえる。だがもう考えることをやめた。いじめた事実は変わらないし、それによって俺がどんな不利益を負っても構わない。数秒の沈黙の後、無理やり自分の口を開く。


「瑠惟佳…あの、謝りたいことがある」


「謝りたいこと?」


「…小学生の時さ、瑠惟佳のこといじめてただろ。そのこと、謝りたくて」


 瑠惟佳は何も言わずに俺の言葉を待つ。瑠惟佳の目は、真っ直ぐ俺の目を射る。


「あの時は、ごめん。自分はちょっかい出す軽い気持ちで、いじめてた。今では良くなかったって思ってる。本当にごめん」


 頭を深々と下げる。ほんの数秒の沈黙に鉛が流れ込む。その沈黙を瑠惟佳が破る。


 ___なんだ、そんなことか


 驚きのあまり喉が詰まった。そんなことで済まされる問題だったのか。もちろん、後で脅されるのではないかとか、なにか裏があるのではないかと考えているわけではない。ただ単純に、その言葉に大きな違和感とひずみを覚えた。


「確かに、私は先生に事情聴取されたし、はーくんも怒られただろうけど、私は全然嫌じゃなかったよ。だって、私のこと嫌いだからいじめたわけじゃないでしょ?」


「まあ、そうだけど…」


「ならさ、ごちゃごちゃ考えなくていいんだよ」


 瑠惟佳が俺に近づいてくる。俺は何もせずただ玄関に突っ立っている。

 そして、そのまま瑠惟佳が俺を包み込む。瑠惟佳の新品の制服はまだ固く、不器用なくらいに形を二人に合わせきれずにいる。俺の胸の中で瑠惟佳は俺と目を合わせて言う。


 ___はーくん、大好き


 一瞬疑いたくもなるセリフだが、俺の耳には素直に入り込んだ。


「はーくんは、私のこと好き?」


 俺はなんと答えるのが正解なのだろうか。でも、“いつも通りの自分”は答えをもう既に出していた。だから“いつも通りの自分”が応える。


「俺は…」


 ___×だよ


 瑠惟佳がそっと笑う。それに合わせるように俺も笑う。


「はーくんならそう言うと思ってた」


 太陽は俺たちに気づかれないように徐々に傾いている。永遠とも取れる時間を二人がギリギリで紡ぐ。


 その時間に終焉を告げたのは、俺でも瑠惟佳でもなく瑞羽みずはだった。玄関のドアを開けて顔を出す。俺たちを見るや否や急いで閉めて気まづさを回避した。


「あれ?瑞羽ちゃん?随分と大きくなったね」


 両手を自身の定位置に戻し、数歩下がった瑠惟佳が反応する。それに続けて言う。


「瑞羽ちゃんと少し話したいんだけど、いい?」


「大丈夫だけど、今来客がいて長居はできないんだけどいい?」


「学校で一緒にいたあの女の子?」


「うん、まあ」


 転校生が来ているとは知っていたが、瑠惟佳の姿は学校で一度も見ていなかった。放課後に愛菜あいなと話していたところを見ていたのは少し驚いた。


「そっか。…じゃあまた今度にするね」


「いいのか?」


「いいよ、私は」


 その言葉には、暗いとだけでは言い表せない、深淵のような何かがあった。


「じゃあ、また明日学校でね。バイバイはーくん」


「じゃあな…」


 結局、なんで転校してきたのか、なぜいじめを“そんなこと”と言ったのか何も聞けなかった。だが、それでもいいと思ってしまった。




 家に入ると、玄関には瑞羽がいた。


「さっきの人誰?」


 凍てつく視線を俺に向ける。


「昔たまに家に来てた、瑠惟佳だよ」


「え、あの瑠惟佳ちゃん!?まだいる?」


「いや、もう帰った」


「私も話しかったのに。てか、あんないちゃつくほど仲良かったんだ」


「いや…それは俺もわかんない」


「なにそれ。はーあ、話したかったなあ」


「多分また来るからその時でいいだろ」


「はーい」


 リビングに戻ると、愛菜が少し不機嫌そうにソファに座っている。


「荷物取るだけなのに遅かったね」


「ちょっと、な」


「ふーん。てかもうすぐ帰んなきゃ」


 とは言っているがまだ五時を回ったばかりだ。小学生の門限かと思う。


「今日は早いな」


「早く帰らなきゃいけなくて…」


 理由を聞こうか迷うが聞かない。不要な詮索は避けるべきだ。


「そうか。駅まで送っていくよ」


「ほんと!?ありがとー」


 このあと三人で少し談笑した後、俺は愛菜を駅まで送った。陽が落ち、涼しい風が俺と愛菜の間を流れる。駅までの時間は、いつもより早く過ぎているように感じた。

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