魔力の小さな大魔導師

axxx01

第1話 魔砲

 この話は、話の流れから少し飛んで「魔力の小さな大魔導師」の前半の中盤位の話になります。本当の始まりは次回からとなります。よろしくお願いします。


◇◇


 土嚢の匂いと、焦げた革の匂いと、乾いた鉄の匂いが混ざっていた。


 戦場は音で満ちているはずなのに――

魔砲の周りだけ、空気が薄くなったように静かだった。


 砲座は杭と縄で地面に縛られ、木製の架台は楔で止められている。砲撃をすれば反動がある。1トン近い砲身が反動で吹っ飛べば周囲の人間は無事では済まない。ここに居るのは魔砲を撃つための20名ほどの技術者、正確に確実に手順をこなすことに集中する。


 エミリアは砲座の少し後ろ、白い線の内側に立っていた。線から前には立たない。ここから動くのはトラブルがあったとき。ここから先は、砲の爆風の領域だ。


 エミリアは軍の階級を持っていない。王国軍の名簿には載らない。

だが、ここにいる。


 魔砲部隊はアヴァロン王国の領のひとつであるグレンウッド領の軍――グレンウッド家の軍隊だ。そしてエミリアは、そのグレンウッド家の第二子で長女であり、この魔砲の開発者だった。

階級がなくても、誰もが知っている。責任は、この場で彼女がいちばん重い。


 グレンウッド領軍は、まだ本軍を待っていた。王国軍本隊が間に合うまで、国境の砦と野戦陣地で踏みとどまらねばならない。敵は隣国の軍だ。数は多く、そして――数千の密集隊形で突撃の隙を伺っている。


 集まって、押し潰す。攻撃の基本だ。


 槍隊、剣士隊、重装歩兵、弓、騎馬。数千が塊で来れば、この陣地は人の濁流に押し流される。こちらの槍隊や弓兵が戦闘の前衛数列を倒しても、敵はさらにそれを乗り越えて埋め尽くすだけだ。

 エミリアが戦場に出て初めて知ったのは、敵が「賢い」ことではない。敵が「重い」ことだった。


 魔砲部隊長が片手を上げた。


 「前、下がれ。白線より後ろ。耳を塞げ」


 全員が一斉に白線の内側に引く。旗手の短い旗が、風を受けて一度ひるがえった。砲撃の合図だ。

 合図は一つではない。近くの者は魔砲部隊長の声を聞く。遠い者は旗を見る。耳が潰れても動けるように、合図は目でも耳でも伝えられる。。


 「圧、安定」

 「照準、固定」

 「――よし。撃て」


 一時押さえられていた魔素圧縮機の回転音が再び大きくなった。そして魔素転換点まで徐々に魔素の圧力が近づいていく。

 一瞬、光が膨らんだ。

 次の瞬間、音ではなく衝撃が来る。胸の奥を拳で殴られたように息が止まり、地面の砂が跳ねた。


 砲口の前で空気が白く裂け、熱が波のように押し寄せる。架台が吠えた。軋む木、鳴く鉄。楔が地面に食い込み、縄が張り切って耐える。


 丘の向こうで遅れて土煙が立った。見張りが旗を二度振る。命中の合図。


 ――だが、敵の塊は崩れない。


 遠目に見える黒い列は揺れただけだ。薄いところに当たったのだろう。威嚇にはなった。だが、こちらが欲しいのは威嚇ではない。数千人のあの黒い重さを止めることだ。


 「次を急ぐ」


 魔砲部隊長の声は短かった。

 魔砲は一度しか撃てない。砲身の中身の魔石や鉄片を高温にして吹き出させる兵器だから、撃って空になった砲身は交換する。次を撃つには砲身ごと替える必要がある。


 傍らには、すでに中身を詰めた交換用砲身が木枠に固定されて待っていた。木製の簡素なクレーン――滑車と梃子だけの仕掛け――が引き寄せられ、縄が張られる。


 この交換に最低でも十分。

 この間に攻められれば無力だ。


 「交換工程に入る。熱い、触るな。縄、張れ。楔、追加。掛け具を通せ」


 兵が走り、技師が手で合図を飛ばす。

 撃ったあとは砲身が高音になっており、撃つ前より危ない。動くものが多い。縄、滑車、砲身、熱、圧。人が増えれば、事故の芽も増える。


 そのときだった。


 魔素圧縮器の側で、乾いた金属音が跳ねた。

 次いで、ぎし、と嫌な軋みが一度――それが終わるより先に、破裂音が空気を裂いた。


 飛んだのは火ではない。破片だ。鋭い鉄片が弾けるように散った。それを受けて女性の魔砲技師が吹っ飛ぶ。


 「ローザ!」


 視界の端で、ローザが転がった。

 左の胸から腹へ、斜めに布が裂け、軍服が十センチほど赤く開いていた。


 次の瞬間、血が噴いた。どくん、どくん、と心臓の拍に合わせて鮮やかな赤が溢れる。動脈をやったのだ、と誰もが本能でわかった。


 それでもローザは、立ち上がろうとする。


 「魔砲を止めるな……!」


 ローザは傷を片手で押さえたまま、砲座の縁へ手を伸ばした。自分の席へ戻ろうとした。交換工程の途中で持ち場が空く。それを嫌ったのだろう。責任感の強い癖が、ここで顔を出した。


 魔砲部隊長の声が低く刺さった。


 「戻るな。ここで無理をするな。すぐに補助を入れる」


 列の端――赤旗を預かる列指揮官も、同じ目をしていた。彼はローザの勇敢さを知っている。だが勇敢さはここでは必要ない。


 「お前が一人減ったら後日の砲撃に差し支えるんだ、命優先だ」


 ローザの唇が動く。反論しようとしたのだろう。

 その前に、最も近い列の列指揮官が迷わず動いた。


 赤旗が上がる。

 停止命令。


 その瞬間、列の中の手が止まる。縄を押していた兵の手が止まり、滑車が静止し、導管方の指が弁から離れる。誰もが訓練で叩き込まれた通りに凍りついた。

 中途半端に止めれば、別の箇所で圧が暴れ、新たな破裂になる。だからこそ「止める」と決めた瞬間には全部がきちんと止まらなければならない。


 赤旗は、合図であると同時に左右に伝わるルールがある。

 近くの列指揮官がそれを見て、赤旗を上げる。

 さらに隣の列指揮官も、赤旗を上げる。

 止めるのは一つの列ではない。――魔砲は、一つの列だけが動いても魔素の密度を上げきれない。全部で4列が同時に稼働しており、連携をとって稼働する。


 そして最後に、魔砲部隊長の赤旗が上がった。

 全体停止。

 砲座の周囲から、動きが消え、音が消えた。


 ――しかし、最初に旗を上げた列指揮官の胸の内は落ち着いてなどいない。

 手の中の旗竿が重い。


 この判断が正しかったか。正しいはずだ。正しくなければいけない。けれど、戦場で「正しい」はいつも後からしか分からない。

 止めたせいで二発目が間に合わず、陣地が攻撃されたら? ローザ救助を優先とした結果、砲撃が遅れたら?

 その想像が、喉を締めた。


 列指揮官は無意識に視線を走らせた。魔砲部隊長でもなく、技師でもなく。

白線の内側に立つ少女へ。


 エミリア。グレンウッド家の長女。魔砲の開発者。

 この場の失敗を最初に引き受けるべき者。階級ではない。だが、事実上の責任者だ。


 視線が合う。

 列指揮官の目に、問いが浮かぶ。――止めた。判断は正しいか。


 エミリアは言葉を返さなかった。

 ただ、コクン、と小さく頷いた。


 列指揮官の肩から、目に見えない重さが少しだけ落ちた。

 次の号令が腹の底から出た。


 「負傷者搬送! 治癒師! 担架!」

 「弁は現状固定! 触るな! 縄も滑車もそのまま!」


 赤旗が上がったまま、修理が始まる。

 他の列の魔砲技師が集まり、破片を集め、導管を外し、歪みを確かめ、替えの部材を当てる。締め具を新しくし、弁の動きを確かめる。

 列指揮官が簡易テストを命じ、異音と振動を拾い、合格を確認する。


 ローザはなおも座ろうとして、そこでようやく体から力が抜けた。膝が折れる。崩れ落ちる直前、彼女は唇だけで笑った。


 「……まだ、いける」


 「いけない。――“いける”のは、お前を無事に運んでからだ」


 治癒師が飛び込む。布を裂き、傷口に押し当て、指で強く圧をかける。出血が一瞬弱まり、また噴く。治癒師の顔色が変わる。


 「動くな。喋るな。息を浅く――!」


 担架がローザの横に置かれる。三人がローザを担架に乗せた。血が地面に滴り、砂を黒く染めていく。ローザの手は最後まで、砲座の縁を探すように宙を掻いた。


 ――一つ、また一つと、列指揮官たちの赤旗が下がっていく。

 最後まで残るのは、魔砲部隊長の赤旗だ。


 ローザの席だけが空いていた。

 列指揮官が予備の魔法技師を呼ぶ。顔は若いが、目が落ち着いている。


 「お前だ。座れ。ローザの代理を頼む」

 「穴は埋めてもらう。工程はわかるな?」


 予備の魔法技師は一度だけ頷き、ローザの席に腰を下ろした。手がわずかに震えている。だが弁に触れる指は正確だった。


 すべての列の赤旗が消えたのを見届けて、魔砲部隊長が旗を下ろした。

そして、ようやく全体へ命じる。


 「……再開する。魔砲交換工程、最初からやり直しだ。まだ時間はある。問題なし」


 木製クレーンの滑車がきしみ、縄が張られる。

 熱を持った砲身がゆっくりと持ち上がり、脇へ運ばれる。交換用砲身――すでに詰められ、待っていた砲身が静かに所定の位置へ降ろされる。掛け具が締まり、楔が打たれ、縄が張り直される。


 十分。

 戦場の十分は長い。

 その間に敵が塊で来れば終わる。だからこそ、全員の手が速く、そして丁寧だった。


 「照準、修正。――敵の密集部だ。今度は外すな」


 エミリアの視線の先で、黒い列が――集まっていた。

 槍隊と重装歩兵が、ひとつの意思のように固まり始める。突撃の前の、あの形だ。あれが来れば、この陣地は押し流される。


 怖い。

 怖いからこそ、撃つしかない。


 魔砲部隊長が片手を上げた。

 旗がひるがえる。


 「圧、安定」

 「照準、固定」

 「――撃て!」


 二発目の光は、一発目より冷たく見えた。

 衝撃が胸を叩き、砂が跳ね、熱が走る。


 そして――遠くの黒い塊の一角が、消えた。


 あまりの凄まじい轟音、灼熱の火炎の塊が長い太い棒となって、敵の軍隊の前半分を舐めた。ただ、そこだけが“なくなる”。次の瞬間、遅れて土煙が立つ。焦げた匂いが風に乗ってこちらへ届く。火ではない。何か――生きていたものが焼けた匂いだ。


 見張りが旗を振る。

 いつもの「命中」の合図より、長く、重い振り方だった。


 敵の塊が崩れる。

 槍が落ち、盾が落ち、列がほどけ、走り出す者がいる。走れない者がいる。

 あの場所にいた者――千に届く数が、消し炭になった。


 歓声は上がらなかった。


 こちらの陣地でも膝をつく者が出た。吐く者が出た。

 敵の悲鳴は距離があっても届いた。人の声というより、獣の声に近い。


 エミリアは自分の手が震えているのを見た。

 魔砲は敵を止めるために作った。そう思っていた。

 だがいま自分が作ったものは、敵を止めたのではない。――敵を「消した」。


 ローザの血が砂に吸われていく光景が脳裏に重なる。

 エミリアは息を吸う。焦げた匂いが肺に刺さった。

 泣きたいのに、涙が出なかった。


 代わりに胸の奥に小さな火種が残った。

 ――これを、ただの砲撃で終わらせない。

 敵が侵攻する意欲を削がなければならないのだ。


 遠くで敵の列が揺れ、退き始めるのが見えた。再編成されるのだろう。

 学ぶのだ。敵も。こちらも。


 この戦いは、まだ始まったばかりだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る