第6話(最終話)

朝いちばんのコンビニの前は、まだ空気が薄い。


 空は完全には明るくなりきっていない。灰色の雲の隙間から、少しだけ白い光が滲み出している。その光がビルの壁にあたって、冷たい色を返す。


 シャッターはすでに半分ほど開いている。中から、蛍光灯の白い光が地面に細長い四角を落としている。シャッターの金属のきしむ音が、まだ少ない車の音と混ざる。


 入口の脇にある小さなカメラが、通りを見下ろしている。


 その視界の中を、出勤前らしい人たちが何人か通り過ぎていく。マフラーを巻いた人。コートの前をしっかり閉じている人。まだ眠そうに目をこすっている人。誰も、看板を見上げたりはしない。


 自動ドアのガラスには、「冬のあったかフェア 12/1〜12/25」というポスターが貼られている。角のほうが少しめくれて、テープが黄ばんでいる。


 店内のレジ横のモニターには、小さく日付が表示されている。その数字は、「12/18」と光っている。


 ――その少し前の映像を巻き戻すと、同じ画面には「11/30」が光っている。さらに早送りすると、「01/09」「03/02」「04/11」と、数字だけが入れ替わっていく。


 画面の隅の小さな日付が変わっても、映っているものは、ほとんど同じだ。


 同じ場所。よく似た時間。よく似た動き。


――――


 しばらくすると、手をつないだ親子が信号を渡ってくる。


 大人のほうは、片手に紙コップを持っている。反対の手で子どもの手を握りしめている。子どもは、その腕の長さに少し引きずられ気味になりながらも、足を小刻みに動かして追いつこうとしている。


 信号が青から点滅になりかけたところで、二人は横断歩道を渡りきる。


 自動ドアの前に立つと、センサーが反応してドアが開く。白い光と、あたたかい空気が外に漏れ出す。その瞬間、外の車の音が一段だけ遠くなる。


 天井近くにある店内のカメラは、その二人を上から見ている。


 親はまっすぐコーヒーマシンのほうへ向かい、子どもは一度だけ振り返って、ドアの外の空を見上げる。雲はさっきより少しだけ薄くなっている。


 菓子パンの棚の前で、子どもの指がカラフルなパッケージをいくつか撫でる。その手の動きは、迷っているようでもあり、答えはもう決まっているようでもある。


 レジに立つ若い店員が、「温めますか」と定型文を口にする。声の調子は穏やかで、特別に優しいわけでも、冷たいわけでもない。


 レジ横の小さなポップには、「ポイント二倍デー 11/30まで」と書かれた文字がそのまま残っている。隣には、別のキャンペーンのポップが重ねて貼られている。「年末ジャンボくじ発売中」。


 親子が会計を済ませて店を出る。子どもは袋を片手に持ち、もう片方の手で親の袖をつかんでいる。自動ドアが閉まると、ドアの向こうで、親子の背中が小さくなる。


 店内カメラの映像から、やがてその姿はフレームの外に消える。


 録画画面の右下には、「再生中 03/02 08:17」と、小さな文字が出ている。


――――


 昼が近づくと、コンビニの前の通りの音が太くなっていく。


 車線を走る車の数が増え、エンジン音が層をなす。信号が赤になるたびに、列がぎゅっと詰まり、青に変わると、いっせいにほどけていく。その繰り返しが、一定のリズムを街に刻む。


 メインのカメラの視界に、スーツ姿が一人、横断歩道の手前で立ち止まる様子が映る。


 片手にはビジネスバッグ。もう片方の手には、くしゃくしゃになったレシートが握られている。信号が青に変わると、スーツは周りの人たちと一緒に歩き出す。コンビニの前を通り過ぎ、そのままビルのほうへ消えていく。


 別の時間、同じ場所を、別のスーツが歩く。


 今度のスーツは、コンビニの入口でふと立ち止まり、ガラス越しに中を覗き込む。レジのあたりには誰も並んでいない。店内には、レンジのチンという音と、冷蔵庫の低い唸りだけが響いている。


 スーツは、ほんの少し考えるような間を置いてから、自動ドアの前に立つ。ドアが開き、カメラの視界から姿が消える。


 店内天井のカメラが、その続きを受け取る。


 飲み物の棚の前で、缶チューハイを一本手に取る手。ホットスナックのケースの上に貼られた「冬のほろ酔いフェア」のポップ。レジ前の床に、硬貨が一枚、転がっていく様子。


 「すみません」「いえ」


 小銭を拾おうと伸ばされた二つの手が、わずかな距離で止まる。天井カメラには、指先と硬貨と、床のタイルの目地だけがアップになる。


 画面の片隅には、「01/09 21:34」という数字が一瞬だけ光る。


 別の日の映像では、同じ角度、同じ床の目地の上を、まったく別の靴が通り過ぎていく。そこに転がる硬貨はない。レジには、別の顔の店員が立っている。


――――


 昼を過ぎると、コンビニの前の人の流れは、少しだけ緩む。


 スーツや作業着が途切れたあとの時間帯に、買い物袋を持った人や、ベビーカーを押す人が歩く。自転車を押しながら子どもに話しかけている人もいる。


 メインカメラは、横断歩道と一緒に、その通り全体を見下ろしている。


 歩道の片隅には、前の晩に降った雨の名残がまだ小さな水たまりになって残っている。雲が切れて、そこに薄い光が反射する。信号待ちをしている人の足元に、その光が揺れる。


 交差点の向こう側には、大きな温度表示付きの電光掲示板がある。「3℃」という数字が青い光で点滅している。その下を、マフラーを二重に巻いた人が足早に通り過ぎていく。


 別の日、同じ掲示板には「12℃」という数字が表示されている。コートの前を開けて歩いている人たちの肩が、昼の光を反射している。交差点の角には、「春の新生活応援セール」と書かれた看板が立っている。


 カメラの位置は変わらない。ただ、そこを通る人の服と、掲示板の数字と、看板の色だけが変わっていく。


 録画装置の中では、「11/30」「12/18」「03/02」「04/11」といった日付が、ファイル名として規則正しく並んでいる。そのどれを選んで再生しても、画面の中の足音と信号のタイミングは、ほとんど同じだ。


――――


 夕方が近づくと、光の色が変わり始める。


 ビルの壁にあたる日差しが傾き、街灯がひとつ、またひとつ点いていく。空は、薄いオレンジと灰色が混ざったような色に沈んでいく。


 横断歩道の前には、また人が集まり始める。


 手をつないだ親子。片手にコンビニの袋を持ったスーツ姿。イヤホンを差している人。自転車にまたがったまま、足で地面を蹴ってバランスを取っている人。


 メインカメラのフレームには、その全員が一度に収まっている。


 信号が赤から青に変わる。横断歩道の白い線の上を、人たちの影が一斉に動き出す。少し遅れて、自転車も進む。


 その一瞬だけを切り取ると、全員が同じ時間、同じ場所に集まっているように見える。


 別のカメラの映像では、その横断歩道を、上から別の角度で見ている。


 高い位置から見下ろすと、頭の形とコートの色と、手に持った荷物の種類だけが見分けの手がかりになる。そこには、朝ここを通った親子に似た背格好も、夜ここを通るスーツに似た歩幅も含まれている。


 ただ、その映像の隅に映り込んでいるビルの窓には、別の日の空が反射している。温度表示の数字も違う。街路樹の枝に残っている葉の枚数も、ほんの少し違う。


 レンズは、その違いを気にしない。レンズは、ただ通り過ぎる人たちを同じ速度で写す。


――――


 夜になると、コンビニの看板の光が、通りの中で浮いて見えるようになる。


 ビルの窓のいくつかにも灯りがともる。オフィスの蛍光灯。マンションの白い光。暖色の間接照明。どの光も、外から見れば四角い枠の中に収まっている。


 メインカメラの視界の上のほう、少し離れたビルのベランダに、小さな影が立っている。手すりにもたれ、下の通りを見ているように見える。


 その影の近くの窓の中では、テレビの画面がちらちらと色を変えている。ニュース番組のスタジオの光と、バラエティ番組のテロップの色が交互に映り込む。


 テレビ画面の隅に表示されている日付と、店内レジに表示されている日付は、揃ってはいない。


 外からは、どちらの数字も、はっきりとは読めない。


――――


 店内の天井カメラが映す夜は、昼間とは違う静けさがある。


 棚のあいだを歩く客の数は少ない。レジ前に列はない。レンジの前で立ち止まる人も、誰かに譲る必要はない。


 若い店員が、一人でレジに立っている。ときどき、棚の商品のフェイスを揃えたり、ホットスナックのケースを覗いたりする。その動きにも、決まったリズムがある。


 自動ドアが開くと、外の冷たい空気が一瞬だけ入り込む。そのあとすぐに、店内の空気に飲み込まれる。


 スーツ姿の人が、缶を二本と、揚げ物を一つトレーに載せてやって来る。会計を済ませ、ビニール袋を受け取り、レジ横に置かれたレシートを一枚だけ取る。


 レシートには、「03/02」の印字と、「ご利用ありがとうございました」の文字が並んでいる。


 別の日、別のスーツが、似たような中身のカゴをカウンターに置く。レジ画面に表示される金額はほとんど変わらない。レシートに印字される日付だけが違う。「04/11」。


 紙は同じ幅で、同じ長さで、同じ字体で数字を並べる。


――――


 店の外を、一台のトラックが通り過ぎる。


 側面には、大きなロゴと、「クール便」の文字が書かれている。荷台の中には、発泡スチロールの箱やダンボールがいくつも積まれている。


 そのうちの一つの伝票には、遠く離れた町の住所と、この街と同じ名字が並んでいる。差出人の名前は、角度のせいで読み取れない。


 トラックは信号に引っかかることなく、そのまま交差点を抜けていく。コンビニの看板の光が、荷台に一瞬だけ反射する。


 別の時間、別の場所では、その荷物がマンションの一室に届けられている。


 ドアチャイムの音。ドアが少しだけ開き、荷物を受け取る手が現れる。宅配業者が伝票にサインをもらうあいだ、箱の中身は見えない。


 部屋の奥には、テレビの光と、テーブルの上の缶と、洗いかけの皿がある。


 箱のふたが開くと、煮物のタッパーから、しょうゆとだしの匂いが立ち上る。その匂いは、その部屋の空気と混ざって、どこにも記録されないまま消えていく。


――――


 夜が深くなってくると、コンビニの前を通る人の数も減っていく。


 車の列も、少しだけまばらになる。それでも、完全に途切れることはない。遠くから近づいてきては、また遠ざかる音の波が、途切れ途切れに続く。


 店内の照明は、昼と同じ明るさのままだ。清掃用のモップが床をゆっくりと滑っていく。棚の隙間に、掃除機の低い音が入り込む。


 天井のカメラは、そのすべてを黙って見ている。


 レジ横の時計は、「23:47」を指している。レジの機械には、「本日の売上」の金額が表示されている。その数字が、昨日と比べて多いのか少ないのか、画面には何も書かれていない。


 レジの下の引き出しには、今日一日で集まった硬貨と紙幣が収まっている。どのコインが、誰の手から来たものなのかを知る方法はない。


――――


 外のビルのいくつかの窓の光が、ひとつ、またひとつ消えていく。


 それでも、完全に真っ暗になることはない。どこかの部屋の灯りが、必ずいくつかは残っている。夜勤の人かもしれないし、寝付けない人かもしれないし、ただテレビを消し忘れただけの部屋かもしれない。


 地方の町の家の窓にも、いくつか灯りが残っている。国道の向こう側で、トラックが通るたびに、ガラスがわずかに震える。台所のテーブルの上には、送り状の控えが一枚置かれている。


 都会のマンションの一室では、同じ名字の文字が、ゴミ箱の底に丸められて沈んでいる。箱を開けたあとに残った段ボールの切れ端と一緒に。


 どちらの部屋の天井にも、短く区切られた一日の明かりの跡が、見えないまま残っている。


――――


 時間が進むにつれて、記録だけが増えていく。


 コンビニの防犯カメラの中には、今日一日分の映像が、早送りできる形で蓄えられていく。誰がいつ入ってきて、何を手に取り、どのくらい店内にいて、何を買って出ていったのか。顔や服や動きが、止まることなく並んでいく。


 レジの中には、何時何分に、どのレジから、いくらの会計が何件あったかの数字が記録されている。そこには、名前も、声も、気分も書かれていない。


 商業ビルの勤怠システムには、誰が何時に出勤し、何時に退勤したかのログが残る。エレベーターの防犯カメラには、無言で乗り降りする人たちの姿が写る。


 スマホの中には、発信・着信・未接の履歴が増えていく。メッセージアプリには、「既読」の文字と、返事のない吹き出しと、短いスタンプが静かに積もっていく。


 どの記録も、「今日」というラベルを貼られて、見えない棚にしまわれていく。


 棚の中で、「今日」は何十枚も、何百枚も並ぶ。日付だけが少しずつ違う。


――――


 コンビニの前を、最後の客が通り過ぎる。


 自動ドアが閉まり、店内の照明が少しだけ暗くなる。深夜モードの照明が、棚と床だけを均等に照らす。店員が端末を操作し、「日次締め」の処理を行う。画面の中で、数字が一度区切られる。


 レジの中で、「本日分」と「翌日分」の線が引かれる。紙のロールには、新しい日付が印字される準備が整う。


 外では、車の音が、まだ続いている。


 高いところにいるカメラは、それをずっと聞いているようにも見えるし、何も聞いていないようにも見える。


 今日この店を通り過ぎた人たちのことを、誰も名前では呼ばないまま、夜はゆっくりと明け方に向かっていく。


 別の日の同じ時刻にも、同じような足音と、同じような会話と、同じようなレジの音が、この通りを通り過ぎるだろう。


 日付だけ違う、よく似た「今日」が、無人島みたいな部屋の数だけ、静かに増えていく。


 明日、同じカメラの前を、またたくさんの人が通り過ぎる。


 それぞれに、それぞれの「今日」があることを、互いに知らないまま。

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大都会の無人島 FLYFLAT @FLYFLAT

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