第69話

📘 第69章:傷跡という名の宝石



(痛みを知らない心は、

喜びの深さも知ることはできない。)



🔷 【プラスチック・エモーション】


2060年。高校の教室。

休み時間の話題は、新作のゲームでもファッションでもなく、**「自分のアップグレード」**についてだった。


「ねえ真羽、聞いた? 3組のアイツ、また顔変えたらしいよ。『K-POP顔』に飽きたから次は『北欧モデル風』だって。」


「あはは、ウケる。私もさ、来週のテストだるいから『数学Bパッケージ』入れようかな。親にお金頼まなきゃ。」



友人たちの会話は、まるでスマホのアプリを入れ替えるような軽さだ。

真羽(まう)は、曖昧に微笑んで相槌を打つ。


「……そうだね。便利だよね。」


彼女の胸元には、幼い頃に母・光生がくれたロケットペンダントが今も揺れている。


クラスメイトたちは、嫌なことがあればすぐに『リコ(記憶修正)』り、才能が欲しければ『インストール』する。

彼らの笑顔は常に輝いている。悩みも、陰りもない。


けれど真羽には、その笑顔がどこか「プラスチック」でできた造花のように見えて仕方がなかった。


(みんな、怖くないのかな……。)


自分が自分でなくなっていくことに。

積み上げた時間が、データに置き換わっていくことに。


真羽は、自分の左腕をそっとさする。そこには傷はない。けれど、心の奥には、父・翔真から受けた恐怖と、それを乗り越えた夜の「傷跡」が刻まれている。


その傷こそが、今の強い自分を作っているのだと、彼女だけは知っていた。



🔷 【アナログな診療所】


放課後。真羽は透也(とうや)が営む『朝比奈カウンセリングルーム』にいた。

ここは、街で唯一と言っていい、RE:CODE(機械的処置)を行わない**「対話のみ」**の診療所だ。


「……先生。私、ピアノの『ショパン・パッケージ』を入れたんです。」


相談者の少女が、涙を流しながら訴える。


「指は動くんです。完璧に弾けるんです。……でも、楽しくない。何も感じない。拍手されても、まるで他人が褒められているみたいで……虚しいんです。」



透也が何か言う前に、お茶を出した真羽が、少女の隣にそっと座った。


「……それは、あなたの心が『本物』だからだよ。」


「え……?」


真羽は、少女の手を優しく包み込んだ。


「苦労して練習して、失敗して、悔しくて泣いた時間がないから……成功した時の喜びもないの。あなたの心は正常よ。壊れてなんかない。」


「……正常……?」


「うん。その『虚しさ』こそが、あなたが人間である証拠。……その気持ち、大切にしてあげて。」


少女の瞳から、ボロボロと涙がこぼれ落ちた。

それは、作られた感動ではなく、魂が救われた時の本当の涙だった。


透也は、その光景を少し離れて見つめながら、亡き妹・光生の面影を見ていた。


(真羽。お前は……結城が捨てた「泥臭い人間性」を拾い上げる、最後の救い手になるかもしれないな。)



🔷 【二人の父、二つの記憶】


帰り道。夕焼けがビル群を赤く染めている。


街頭ビジョンには、相変わらず「聖人・黒峰新太」のアーカイブ映像が流れ、リコ・クリニックのCMが流れている。

真羽は足を止め、画面の中の父(新太)を見上げた。


(パパ。)


世間は彼を「記憶改変の成功例」として崇めている。

けれど、真羽にとっての彼は違う。


優しかった新太パパ。そして、恐ろしかった翔真パパ。

その両方が、私のお父さん。


(私は忘れないよ。パパが犯した罪も、ママを愛した事実も。)


もし記憶を消していたら、あの恐怖は消えたかもしれない。

けれど、命懸けで守ってくれた光生ママの愛も、血の滲むような思いで育ててくれた灯ママや紋之丞パパへの感謝も、きっと薄っぺらなものになっていただろう。


「……私は、私のままで生きる。」


真羽は、誰に言うでもなく呟いた。


この便利な世界で、あえて「不便な心」を持ち続けること。

それが、志 真羽という少女の、静かなるレジスタンス(抵抗)だった。



🔷 【琥珀色の帰る場所】


「ただいまー!」


カフェ『琥珀』のドアを開けると、コーヒーの香りと温かい空気が真羽を包んだ。


「おかえり、姉ちゃん!」


小学生になった弟・光明(こうめい)が抱きついてくる。


「おう、おかえり。今日は透也のとこ、忙しかったか?」


白髪交じりになった紋之丞が、カウンターから顔を出す。


「お疲れ様。ご飯できてるわよ。」


灯が厨房からビーフシチューを運んでくる。



ここには、最新のAIも、便利な記憶除去装置もない。

あるのは、不器用な大人たちが、傷つきながら、悩みながら紡いできた「家族」という絆だけ。


「うん……!」


真羽は心からの笑顔で答えた。

外の世界がどんなに変わろうとも、ここにある「愛」だけは、どんな科学技術でもコピーできない本物だと知っているから。


真羽は、この場所と、自分の記憶(傷跡)を誇りに思いながら、明日もまた「狂った世界」へ歩き出していく。



🔚 第69章・完

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