第51話

📘 第51章:赦されざる笑顔


(抵抗せよ。

どうせ世界は、望んで「その檻」に入るのだから。)



🔷【RE:CODE本部 – 最上階】


ショッピングモールの喧騒を遥か遠くに感じる、空調の効いた静謐(せいひつ)な部屋。


結城維人は、クリスタルのチェス駒のような美しい端末を指先で回しながら、モニターを眺めていた。

画面には、モール内の監視カメラ映像。

そこには、明らかに「不自然なノイズ」が走っている箇所がある。


「……侵入者あり。システムへの介入を確認。」

AIの無機質な報告。


通常なら即座に警備班を急行させ、エリアを閉鎖する事態だ。

だが、結城の表情には焦りも怒りもない。あるのは、実験動物を見るような冷徹な観察眼だけだ。


「セキュリティレベル、現状維持。……泳がせておけ。」

結城は淡々と言い放った。


手元の別のモニターには、世界中の「意識調査データ」や「消費行動ログ」が滝のように流れている。


「人々はもう、気づき始めているよ。『楽な方』へ流れることの快楽に。」

苦しい努力より、手軽な成功。

辛い記憶より、都合の良い忘却。

人間という種は、本能的にRE:CODEの技術(=欲を満たす世界)を求めている。


「灯(ともり)くん一人を連れ戻したところで、この濁流は止められない。……むしろ、思い知らせてやればいい。」


結城は薄く笑った。

「どれだけ足掻いても、世界は私の描いた図面通りに完成するとな。」


彼は「警報解除」のキーを押し、再びチェス駒を回し始めた。

それは、NOISEに対する慈悲ではなく、完全なる「見下し」だった。



🔷【ショッピングモール – 地下駐車場】


「……メッセージ確認。エリアCのツリーだ。」

地下駐車場に停めたバンの荷台で、佳乃(gyudon)がモニターを睨む。


灯が残した『羽』のイラスト。それが作戦開始のトリガーだった。


「よし。私の方から『受信確認(ACK)』を送ったわ。館内BGMの音飛び……これが**『一番近くの死角(トイレ)へ移動せよ』**のサインよ。」


「了解した。」

現場に潜伏していた透也(とうや)が、帽子を目深に被り直す。


この合図は、かつて灯がNOISEに参加した当初、万が一のために決めておいた緊急プロトコルだ。

彼女がまだそれを覚えていてくれれば、数分以内に動くはずだ。


「甲斐、退路の確保は?」


『清掃員に変装して業務用エレベーターを押さえてある。……いつでも来い。』


「行くぞ。」

透也は人混みの中へと滑り出した。



🔷【硝子の迷路】


週末のモールは、幸せそうな家族連れで溢れかえっている。

その誰もが、自分たちの笑顔が「作られた平和」の上にあることを知らない。


(……ここが、あいつらのいる場所か。)

透也は人波を縫って進む。


目指すは、3階の休憩スペース横にある死角――トイレへと続く長い廊下だ。


ベンチでは、新太と沙耶が座って休んでいる。

二人はカタログを広げ、楽しそうに会話を交わしていた。まるで未来を夢見る新婚夫婦のような空気感


――その完璧な演技(・・)に、透也は反吐が出る思いだった。


灯は、その二人の傍らで、じっと時を待っていた。


(……聞こえた。)

先ほどの一瞬のBGMの途切れ。


灯はそれを聞き逃さなかった。

彼らが来ている。そして、自分が動くのを待っている。


灯は、自然な動作で新太たちに声をかけた。

「すみません。少し、お手洗いに行ってきます。」


「あ、うん。行ってらっしゃい灯ちゃん。迷子にならないでね?」

新太が無邪気に手を振る。


その屈託のない笑顔。かつて誰かを殺めた手で、よくもあんな風に笑えるものだ。


灯は胸の痛みを押し殺し、小さく会釈をして歩き出した。

「ええ。すぐ戻ります。」


灯が通路へ入り、監視カメラの死角となる角を曲がった、その瞬間。

待ち構えていた影が、音もなく彼女の腕を引いた。


「……っ!」


灯が小さく息を呑み、驚いて顔を上げる。

そこには、懐かしい帽子を目深に被った男の姿があった。


「……透也、さん。」


「迎えに来た。……約束通りな。」

言葉はそれだけだった。


再会の感動を分かち合う時間はない。

透也は素早く灯に自分と同じ上着を羽織らせ、抱き寄せるようにして奥へと誘導した。



🔷【赦されざる笑顔】


「確保。これより離脱する。」

透也はマイクに囁き、甲斐が待つ業務用エレベーターへと急ぐ。


全てが順調すぎるほど順調だった。

だが、運命は意地悪だ。


エレベーターの扉が閉まる直前、遠くの通路から、新太の声が聞こえてしまった。


「――ねえ、沙耶。灯ちゃん、遅くないかな? ちょっと見てくるよ。」


その声。

かつて地下室で、獣のような目で周囲を威嚇していた、あの凶暴な翔真の声とは違う。

あまりに柔らかく、平和ボケした、無防備な声。


灯がビクリと肩を震わせ、振り返ろうとする。


透也はそれを制し、強く抱きしめて視界を遮った。

「見るな。」


「でも……新太さんが……。」


「あそこにいるのは、黒峰新太だ。……俺たちの知る『翔真』じゃない。」

透也の声は、吐き捨てるように低く、冷たかった。


(あんなに幸せそうに笑い(・・・)やがって……。)


ふざけるな、と腹の底から黒い感情が湧き上がる。

その男は、透也の妹――光生(みつき)を殺した男だ。

妹の未来を奪い、その命を絶った張本人が、自分だけ記憶をリセットし、何食わぬ顔で「良き夫」「良き父」を演じている。

罪の意識も、血の臭いも、すべて忘れ去って。

被害者は冷たい土の下にいるのに、加害者が陽の当たる場所で笑っている。

この世で最も醜悪な冗談を見せられている気分だった。


(……勝ち逃げかよ。翔真。)

(お前だけが楽園で、何も知らずに死んでいくのか。)


今すぐ駆け寄り、その喉元に真実(ナイフ)を突き立ててやりたい衝動に駆られる。


だが、それをすれば月陽が悲しむ。

皮肉にも、妹が遺した最愛の娘(月陽)が、この「妹の敵(かたき)」を慕っているのだ。

だから、手は出さない。


だが、その「偽りの幸福」を直視することには、吐き気しか感じなかった。


『透也! 沙耶が動いたわ! 新太を止めてる! 急いで!』

佳乃の鋭い声で、透也は我に返った。


通路の向こうでは、沙耶が新太の腕を掴み、何かを囁いて引き止めているのが見えた。


「……チッ。」

透也は舌打ちをし、汚いものを見るように、閉まりかけた扉の向こうの男に背を向けた。


ガコン、とエレベーターが動き出す。

地上と地下を隔てる重い音が、彼らの決別を告げる鐘のように響いた。



🔚 第51章・完

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