第12話

📘 第12章:終わる日々



🔷 【2044年 – 誕生】


2044年、春。


病室に響き渡る産声が止むと、光生の瞳から大粒の涙が零れ落ちた。


「……真羽……」


小さな産着に包まれた赤ん坊は、まだ目も開かず、光生の腕の中で静かに息をしている。


「可愛いな。」


ベッド脇に立つ翔真が、小さく微笑んだ。


「パパの言うこと聞くんだぞ。」


光生は驚いた顔で翔真を見上げ、そして優しく微笑んだ。


「……まだ何も分からないよ、この子。でも――」


赤ん坊の小さな手をそっと握りしめる。


「この子には、“真っ直ぐに、羽ばたいてほしい”って思ったの。

だから、“真羽(まう)”。」


「真っ直ぐ……羽ばたく?」


翔真はその言葉を呟き、黙って赤ん坊を見下ろした。


光生は微笑みながら続けた。


「うん。どんな場所でも、誰といても、この子がこの子らしくいられるように。

私たちがその羽を折らないようにしなきゃね。」


翔真は答えなかった。

ただ、その眼差しは赤ん坊をじっと捉えていた。



🔷 【2045年 – 家族の時間】


真羽が1歳になった。


ハイハイから伝い歩きへ。


リビングのテーブルを掴み、小さな足で立ち上がる姿を、光生は夢中でカメラに収めていた。


「すごいね、真羽!歩けるようになる日も近いね。」


真羽は無邪気に笑い、両手を伸ばす。


その隣で翔真が言った。


「パパの言うこと聞けるようになったか?」


光生は少し眉をひそめる。


「もう……まだ赤ちゃんなのよ?」


「……そうか。」


翔真は短く返事をし、真羽の頭を撫でた。

撫でる手のひらに力はなかったが、その瞳にはかすかな影が宿っていた。



🔷 【2046年 – 公園】


初夏の風が、桜並木の葉を揺らしていた。


「真羽、帰るぞ。」


滑り台を登ろうとする真羽に、翔真が声をかける。


「やだ。」


真羽は手すりを掴み、背を向けた。


「パパの言うこと聞きなさい。」


声が低くなる。


「やだ!」


翔真の目が細くなった。


無言のまま真羽の腕を掴み、無理やり引き寄せる。

小さな身体がぐらりと倒れ、肘と膝を擦りむいた。


「痛い……やだぁ……」


泣きじゃくる声を無視し、翔真は真羽を抱え帰路につく。


途中、泣き続ける真羽を背負いながら、誰もいない道端で翔真は小さく呟いた。


「言うこと、聞けよ……。

ちゃんと、聞けさえすれば――」


その声は風にかき消された。



🔷 【帰宅】


その夜。


玄関のドアが開く音に、光生はキッチンから顔を出した。


「おかえりなさい――」


言葉が途中で止まる。


翔真の背に負われた真羽の顔は、泣き腫らして赤く、腕と膝には泥と擦り傷が滲んでいた。


「真羽……どうしたの!?」


光生は駆け寄り、翔真の腕から真羽を受け取った。


「痛いの……」


真羽が嗚咽混じりに呟き、光生にしがみつく。


「どうしてこんな怪我を……公園で転んだの?」


震える声で問いかける光生に、翔真は靴を脱ぎながら無表情で答えた。


「……言うこと聞かないから、帰ろうとして転んだだけだ。」


その声音は淡々としていて、怒気も苛立ちもなかった。


だが、その無表情の奥に、わずかに揺れる何かを光生は見た。


(……今の顔……なに?)


胸の奥に冷たいものが走った。


「……あなたが……やったの?」


思わず零れた問いに、翔真はゆっくりと顔を上げ、光生を見た。


その目には何も映っていなかった。


光生は息を呑む。


(ごめん……今、私……疑った……)


震える指先で真羽の髪を撫でる。


「大丈夫よ。ママがいるからね。」


その声は震えていた。



🔚 第12章・完

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