ピンクの髪のブライドメイド

猫小路葵

ピンクの髪のブライドメイド

 わたしの名前は彩夏あやか

 二十五歳。

 もうすぐお嫁に行く。

 今日はパパとの最後のデートだ。だからって特別なことは何もしない。まずは美術館で絵を鑑賞した。が――


(全然わからん……)


 正直、わたしには絵の良さなんてわからない。あくびが出そうになるのを、パパに悟られないよう必死に我慢した。パパは、そんなわたしのために隣で色々教えてくれた。パパの説明はすごくわかりやすくて、自然と話に聞き入っているわたしがいた。美術館なんて学校の社会見学以来だったけど、わたしは楽しく過ごせた。パパも楽しめただろうか。

 そのあとはただ一緒に街を歩いて、気になったお店があれば立ち寄り……そんな穏やかな一日の終わりに、パパとわたしは今、カフェでお茶を飲んでいた。


「パパ、いっぱい歩いて疲れたんじゃない?」


 わたしが聞くと、パパはうれしそうに「大丈夫だよ」と答えた。


「久しぶりに彩夏と一緒に過ごせてよかった」

「うん、あやも。ね、それめちゃくちゃうまいでしょ? あやのおすすめ!」


 パパは「うん。うまいな」と頷き、ケーキにフォークを挿した。パパが鼻をスンとすするのが聞こえた。感傷的になっているようだった。理由はきっと、もうすぐ今日が終わるから。最愛の娘との最後のデートが、終わるから。

 わたしはそんなパパを元気づけようと、明るく話した。


「ねえパパ。今日あやのアルバム持ってきたんでしょ? 一緒に見ようよ」


 パパは遠慮して「いいの? 迷惑じゃない?」とわたしに尋ねた。一緒に見たくて持ってきたのに。わたしは「迷惑なわけないじゃん。ほら、早く出して!」とパパを急かした。パパは「そうか」と、顔をくしゃっとさせた。

 パパは鞄から、少し端の剥げた小さなアルバムを取り出した。今まで何度も手に取り、開いてきたアルバムなのだろう。パパはアルバムをテーブルに置いた。そっと開かれたアルバムには、幼い「わたし」の写真が年代順に並んでいた。

 パパが目を細めて言った。


「可愛いな……世界一可愛い女の子だよ、彩夏は」


 わたしも、「そうだね。ほんとに可愛い」と同意した。だって本当に、どの写真の「わたし」もすごく可愛かったから。ぷくぷくした赤ちゃん時代も、よちよち歩きも。幼稚園の制服も、小学校の入学式も、ピアノの発表会も……どれも全部。

 パパが「このときは――」と写真を指差し、わたしもウンウンと頷いて、二人で笑って盛り上がった。よかった。パパが笑ってくれた。


 けれど、写真の「わたし」が成長するにつれて、だんだん心配になってきた。高校を卒業して大学生になり、成人式に晴着を着て、卒業式は袴を履いて……「わたし」はどんどんきれいになった。あるときは清楚なドレスを着て、はにかむように笑っていた。またあるときは、きれいな黒髪をまっすぐ伸ばし、お人形さんみたいなワンピを着て微笑んでいた。それに比べてこのわたしは、ピンクの髪にネイルはデコ盛り。メイクもばっちりだし服もチャラついてるし……つまり、どっからどう見ても似ても似つかないのだった。


「パパ、ごめん。なんか手違いがあったみたいで……」


 わたしが焦って謝ると、パパはおかしそうに笑って「手違いじゃないよ」と言った。パパは視線を落として、冷めたコーヒーを見つめた。その様子があまりに静かで、わたしはかける言葉を見つけられずにいると、パパが再び言った。


「わざと似てない人を頼んだんだ。似ていたら、きっとつらい。あの日をやり直したくなって、明日から生きていけなくなる気がしたんだ。君が全然違うタイプの子で、本当に助かったんだよ」


 そう言ってパパは、寂しそうに笑った。パパの言葉がわたしの胸に刺さった。「お仕事」の仮面が、少しだけ剥がれそうになった。

 わたしは、「代行スタッフ派遣会社」に登録している。わたしの今日の役名は「彩夏」。目の前にいるこの人が、今日のわたしのお客様だ。

 この人が注文したのは、亡くなった娘さんの代わりに「最後の父娘デート」をしてくれる相手だった。ある日突然この世からいなくなった娘さんの名前は、彩夏。二十五歳。もうすぐお嫁に行くはずだった。婚約者と乗った車が事故に遭い、二人とも帰らぬ人となった。


「……本当ならこの後に、ウエディングドレスの写真が並ぶはずだったんだ」


 パパの視線が、アルバムの最後のページの上で彷徨った。そこで止まってしまった時間。次のページから先は真っ白でしかない。そう思ったら、わたしもどうしていいかわからなかった。


「君が彩夏と似てなくて、本当によかった。もし似てたら、僕は今日、きっと耐えられなかった」


 わたしのポケットには、派遣会社から渡された『指示書』が入っている。【名前:彩夏あやか(二十五歳)/一人称:あや/要望:「パパ」と呼ぶ、明るく振舞う】それが今日わたしに与えられた役柄だった。


「彩夏と約束してたんだ。独身最後のデートしようねって。ここまで立ち直るのに、五年かかった。当初はもうダメだと思ったよ。でも五年たって、やっとその約束をね、果たせるかなと思えたんだ」


 この五年間――この人がどれほど「彩夏」という名前を呼びたかったのかは、おバカのわたしにもわかった。その激しい喉の渇きのような苦しさを、わたしは想像した。想像することしかできなかった。


「君が待ち合わせ場所に現れたとき、そのピンク色の髪を見て驚いたけど、同時にすごくホッとしたよ。ああ、似てないって、ホッとした」


 パパは笑ったけれど、その笑顔には力がなかった。わたしは胸が痛かった。何か気の利いた言葉をかけてあげたくて、わたしは必死に考えた。柄じゃないのはわかってる。でも、このままこの人を帰したら、明日からまたこの人は抜け殻みたいになってしまう。わたしは、無い脳みそをフル回転させた。


「パパ!」


 急に私が大きな声を出したので、パパだけじゃなく、隣の席の人もチラリとこっちを見た。けれど、わたしは構わず続けた。


「も~、そんな顔してちゃ幸せが逃げてくよ! ほら背筋伸ばして! 元気出してよパパ! 猪木いのきも言ってたじゃん! 元気ですかー!」


 思いついたのはコレしかなかった。自分の頭の悪さを呪ったけれど、


「元気があれば何でもできる!」


 引き返せないわたしは、パパの鼻先で「いち! に! さん!」と指を出し、


「ダーッ!!」


 拳を振り上げたのは、わたしだけだった。孤高のビジューネイルが光っていた。




 デートの終わりに、パパとわたしは並木道のある公園まで歩いた。あっという間に傾いてきた西のおひさまが、オレンジ色に景色を染める。途中、季節に似合わない柔らかな風が吹いたとき、パパがふと後ろを向いた。


「どうしたの?」


 わたしが聞いても、パパは「いや、気のせいだ」と言った。


「彩夏の声が聞こえた気がして……」


 わたしの胸がまた締め付けられた。パパはそれ以上だっただろう。泣きそうな顔になっていたから。

 並木の入り口で立ち止まり、パパはわたしに封筒を渡した。今日の報酬だった。わたしは中身を確認する。「たしかに頂戴します。ご利用ありがとうございました」マニュアル通りにそう伝えて、わたしはパパに領収書を渡した。


「それじゃあ……今日は、本当にどうもありがとう」


 今日一日、彩夏でいてくれてありがとう――そう言って、パパはわたしに握手の手を差し出した。「父と娘の最後のデート」は、こうして握手で幕を閉じた。

 パパはわたしに背中を向けて、長い並木道を去っていった。わたしはその後ろ姿を見送っていたけれど、気づけばギュッとげんこつを握っていた。やっぱり最後の最後にもう一度、わたしはダメもとの猪木でパパを元気づけたくなった。


「パパ!」


 わたしの大きな声にパパが振り返った。さっきと同じ柔らかな風が並木道に吹いて、軽やかにスキップをして枯葉を揺らした。風はまるでワンピの裾を翻すみたいにターンして、わたしたちの間に舞い降りた。


「パパ、元気出して!」


 わたしがそう言ったとき、誰かの声が重なったような気がした。透き通るような声を近くに感じて、少し耳をすませた。けれど、何も聞こえなかった。パパはじっとわたしを見ていた。


「そんな顔しないで、パパ。幸せが逃げてくよ」


 わたしの声とハモるみたいに、天使みたいにきれいな声がかすかに聞こえる。わたしは拳をパパに突き出した。


「元気ですかー!」


 パパはハッと我に返ったような顔をした。「今だ」と思ったわたしは、「元気があれば何でもできる!」と畳みかけた。デコ盛りネイルの人差し指をぐいと立て、カウントを開始した。


「いち! に!」


 宙ぶらりんだったパパの右手が、じわりとげんこつになる。わたしは、いけると思った。


「さん!――」


 そして、


「「ダーーー!!!」」


 パパとわたしの咆哮が、夕暮れの並木道に響き渡った。叫ぶ瞬間、わたしはたしかにもう一人の声を聞いた。天国から降ってきたような、光に透けるような声が、わたしたちと一緒に拳を振り上げた気がした。

 わたしは笑った。パパもちょっと泣きそうになりながら笑った。パパはわたしに向かって、大きな声でこう言った。


「結婚おめでとう! 彩夏!」


 風が舞った。わたしはビジューネイルの両手を、頭の上で大きく振った。


「ありがとう! パパ!」


 今日、パパは彩夏さんをお嫁に出せたのだと思う。今、世界で一番思い合う父と娘の一番近くで、わたしはそのウエディングを見届けた。



 

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