境界のアルカナ 魔法石と四人の意志
不知火 甚平
第1話 錆びた宿命と若き狂気
かつて、その地には「鉄騎士の誇り」が吹き荒れていた。
ノルガルド大陸南西部、鉄騎士領アイゼンハルト。そこの王宮のバルコニーでは、二人の男が冷たい夜風に吹かれながら、北東の空を見つめていた。
一人は、聖戦士ギルフォード。
重厚な鎧を纏い、その背には後にアランが受け継ぐことになる最高級の鋼の剣を背負っている。
もう一人は、宮廷筆頭魔術師バーダック。
若き日の彼は、その鋭い知性と深い慈愛で、国の未来を照らす「智」の象徴だった。
「……ギルフォード。北東のエイルベースから流れてくる魔力が、日を追うごとに刺々しくなっている。あの国には今や脅威となる国に変貌している」
「密偵の状況ではヘカーテとかいう気になる名前を聞いて……」
「ありえない話だが古代魔法王国の上級魔導士ヘカーテと同じ名前なのが気になる」
「もし、そのヘカーテならばとんでもない事がノルガルド大陸に起きる事になるやもしれん」
バーダックの声には、隠しきれない焦燥が混じっていた。彼は、エイルベースが古代魔法の断片を手に入れ、隣国を飲み込む準備を整えていることを、膨大な魔道書と観測から確信していた。
「分かっている バーダック。だが、我が王は動かぬ」
ギルフォードは、錆び一つない手甲でバルコニーの欄干を強く叩いた。
「王は『エイルベースのような極小国が、アイゼンハルトの鉄騎士団に挑むはずがない』と笑い飛ばすばかりだ。国境付近の村が、すでに得体の知れぬ魔法騎士たちに焼かれているというのに」
「無能な権力が、国を、そして友を殺す。……私はそれが恐ろしいのだ、ギルフォード」
バーダックの予感は、最悪の形で的中した。
数日後、アイゼンハルト王はバーダックの慎重論を「臆病者の妄言」と切り捨て、聖騎士団にエイルベース国境への出陣を命じた。それは、ヘカーテが仕掛けた「情報の罠」のど真ん中に飛び込む、自殺行為に等しい進軍だった。
その日、鉄騎士領アイゼンハルトは灰に包まれていた。
北東の魔法国家エイルベースが放つ「高度広域魔法」は、誇り高き騎士たちを鎧ごと溶かし、叫び声すら一瞬で蒸発させた。
「……バーダック、息子を。アランを頼む」
それが、親友ギルフォードが戦火の中で放った最期の言葉だった。
宮廷魔術師バーダックは、自らの障壁が砕け散る音を聞きながら、親友が光の渦に呑み込まれるのをただ見ていることしかできなかった。無能な国王が強行した無謀な進軍。そのツケを、最も高潔な騎士が払わされたのだ。
「無能な権力が、国を、そして友を殺す。人間が理を司るから、悲劇は起きるのだな……」
その夜、バーダックはアイゼンハルトを去った。
幼きアランが父の死を知り、泥水をすするような放浪生活を始める傍らで、バーダックは南の海に浮かぶ島国、アルディアス王国へと辿り着いた。
かつての戦乱に疲れ果てた彼は、自らの魔力を封印し、貧しいホビットたちに手を貸す穏やかな隠者として生きる道を選んだ。先代の王、ラブリス九世はそんな彼を賢者として認め、束の間の平和が流れた。
だが、七年後。ラブリス九世の死と共に、その平和は呆気なく潰えた。
跡を継いだラブリス十世は、民の飢えを他所に増税を繰り返し、女と酒に溺れる毎日を過ごした。バーダックの目の前で、再び「無能な権力」による腐敗が、アイゼンハルトと同じ滅びの足音を響かせ始めたのだ。
「……またか。人間は、また同じ過ちを繰り返すのか」
バーダックは王宮の書庫に籠もり、古文書を貪り読んだ。そこで彼は、王国の秘宝「魔法石ルーン」が人の心を、世界の理そのものを変革する力を持つことを知る。
彼が安置されたルーンの前に立ち、その青き輝きを見つめたとき、石はまばゆい光を放って彼を包み込んだ。
『汝、我の力を求める迷いの者なり その力を与えよう』
頭蓋に響く声。直後、老いたバーダックの肉体は見違えるように若返り、二十五歳の全盛期の姿へと変貌した。だが、その瞳に宿っていた慈愛は、冷徹な秩序への渇望に上書きされていた。
「愚かな人間は、理によって支配されねばならぬ。私が、この世界の破壊と再構築を司る」
ルーンを奪ったバーダックの光が「古の塔」へと飛び去ってから、一年。
一面を暗雲が覆い、絶え間なく冷たい雨が降り注ぐ港に、一人の男が降り立った。
背中には、古びた布に包まれた巨大な鉄塊。
ノルガルド大陸で「百人斬り」ヴォルフを一騎打ちで討ち、最強の傭兵として名を馳せる男、アランである。
目的は、バーダックの首に懸かった巨万の報奨金。
アランは泥濘む道を進み、薄暗い街並みの中で唯一、温かなランプを灯す一軒の建物の前に立った。
看板には、『リリスの酒場』。
アランがその重いドアを押し開けた瞬間、漏れ出した熱気と喧騒は、これから始まる「真実への逆流」の激しさを予感させるものだった。
親友の息子と、若返ったかつての叔父。
錆びた剣と、奪われた魔法石。
誰も知らない。これが、ノルガルド大陸全土を巻き込む、終わりのない乱戦の幕開けであることを。
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