第12話 従属生活

 朝の森は、薄い霧に包まれていた。

 湿った土の匂いと、夜露を含んだ葉の気配。

 ルシェルは扉を開け、外の様子を一瞥してから、ゆっくりと背伸びをした。

 ――寒くない。

 そう感じてから、理由に気づく。

 室内の炉はすでに落ち着いた火を保ち、薪の追加も済んでいる。

 火が“生きている”状態。

 人間がいないときには、だいたい消えているはずのもの。

「……起きてたわね」

 独り言のように呟くと、奥から控えめな足音がした。

「おはようございます」

 低く落ち着いた声。

 アルトリウスはすでに身支度を整え、朝の作業を終えた様子だった。

「別に挨拶はいらないって言ったでしょう」

「ですが、朝なので」

 あっさり返され、ルシェルは軽く鼻を鳴らす。

「人間は面倒ね」

 そう言いながらも、否定はしない。

 机の上には整えられた帳面と、昨夜乾かしておいた薬草束。

 ――昨日より、散らかっていない。

 それに気づいてしまい、ルシェルは視線を逸らした。

「今日も昨日と同じよ」

「採取と、掃除。それから……」

「料理ですね」

「……先回りしないで」

 叱る口調だったが、声に棘はない。

「命令はちゃんと聞きなさい」

「承知しました」

 返答が早すぎるのも、少し気に障る。

 従うなら従うで、“縛られている顔”をしていればいいのに。



 森での作業は、昨日よりも静かだった。

 ルシェルが歩みを止めれば、アルトリウスも止まる。

 指で示せば、言葉にしなくても理解する。

 枝を払う位置。

 足場の選び方。

 危険な植物との距離。

 ――騎士。

 それも、かなり出来のいい部類だ。

「そこ、動かないで」

「はい」

 即座に従う。

 彼の肩に、毒花の花粉が落ちる寸前だった。

 ルシェルが花を摘み取り、軽く息を吐く。

 指先に残る粉を払い落としながら、思わず呟く。

「……あんた、よく気づくわね」

「主の動きが変わったので」

「だから、主って――」

 言いかけて、やめる。

 訂正するのが、少し面倒になってきた。

 それに、訂正しても、彼はまた同じように呼ぶ。

 呼び方が変わったところで、この“距離”は変わらない。



 昼過ぎ、家に戻ると、ルシェルは机に向かった。

 帳面を開き、薬の配合を書き留める。

 静かだ。

 紙を擦る音と、炉のぱちぱちという音だけ。

 少し、喉が渇いた。

 ――そう思った、次の瞬間。

 と、と小さな音がして、視界の端に動きが入る。

 アルトリウスが棚から茶葉を取り出し、湯を注いでいた。

 二つのカップ。

 動作に無駄がない。

「……ちょっと」

 声をかけると、彼は自然にこちらを向いた。

「はい」

「私、あなたにお茶が飲みたいって言った?」

 淡々とした問い。

 アルトリウスは一瞬だけ考え、首を横に振る。

「いいえ」

「でしょうね」

 ルシェルは椅子に背を預け、腕を組む。

「従属の呪いっていうのはね」

「主の“命令”に従わせる呪いなのよ」

「命じられていないことまで勝手にするものじゃない」

 説明する声は落ち着いている。

 ――落ち着いていなければいけない。

 胸の奥がわずかにざわつくのを、理屈で押さえ込む。

 本来、命じなければ縛られた者は待つ。

 判断もしない。

 先回りもしない。

 気遣いなど、しない。

「……主が、喉を乾かしているように見えましたので」

 返ってきたのは、静かな答え。

 言い訳でも反論でもない。

 事実を述べただけの声音。

 ルシェルは彼の顔を見る。

 縛られている者の顔ではない。

 怯えも、媚びもない。

 命令を待つ“空っぽ”もない。

 それが、少しだけ引っかかる。

「……それ、呪いの効能じゃないわ」

 思わず零れた言葉。

 本来の従属の呪いは――

 “命じられたことしか、できなくする”魔術だ。

「すみません。不要でしたら下げます」

 アルトリウスがカップに手を伸ばす。

 ――違う。

 不要じゃない。

 そこまで思考が走って、ルシェルは自分でそれを止めた。

 “不要ではない”と言ってしまえば、理由が必要になる。

 理由を言えば、何かが変わる。

 変わるのは面倒だ。

「……置いて」

「はい、主」

 カップから立ち上る香り。

 一口飲んで、息を吐く。

 考えるのは、やめた。

 面倒だし、今すぐ困ることもない。

 呪いは、かけた。

 発動も、した。

 そう思っていれば、それでいい。



 夕方。

 掃除と仕込みを終え、アルトリウスは静かに立っている。

 待機。

 命令待ち。

 それが、正しい状態だ。

 ……正しいはずなのに、目障りではない。

 存在が、邪魔ではない。

 それが逆に腹立たしい。

「そこに立ってないで、座りなさい」

「承知しました」

 従う動きが、やはり自然すぎる。

 “命令されたから”ではなく、“そうするのが当たり前”みたいに。

 ――従属の呪い、よく効いてるわね。

 ルシェルはそう結論づけ、深く考えないことにした。

 命令は守られ、家は整い、日常は滞りなく進んでいる。

 それで十分だ。

「明日も同じよ」

「掃除と、採取と、料理」

「はい、主」

「だから、その呼び方は――」

 言いかけて、途中で止める。

 今は、いい。

 訂正するほどのことでもない。

 訂正して、距離が近づいたように感じるほうが、もっと面倒だ。

 こうして、今日の従属生活は終わった。

 命令はまだ有効で、騎士はよく従い、魔女は深く考えない。

 少しだけ、昨日より静かで、

 少しだけ、自然な一日だった。

 ――自然すぎるのが、いちばん厄介だと気づくのは、もう少し先の話。

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2026年1月13日 23:00
2026年1月14日 23:00
2026年1月15日 23:00

従属の呪いをかけられた騎士団長が一途に魔女を愛する話 蜂蜜あやね @324-0179841ampm

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